第二十四話:街へ行こう!
煌々と輝く太陽。乾いた空気が泳ぐ風。
時折鼻腔を擽る青々とした匂いの元、悠は空を見上げて眼を細める。
雲ひとつ無いという表現が似合う天候は正しく快晴。悠は自分の晴れ晴れとした気分に空模様を重ねる。
無限にでも広がっていそうな空は、未知の冒険への期待をそのまま写していそうな気がした。
「えっへっへぇ~」
だが、上機嫌なのは悠だけではない。
自分の少し前を歩く声に視線を戻すと、そこには白銀の髪を風に遊ばせる少女がいた。
森で遭難しているときに出会った少女にして、今は大切な仲間の一人。クララだ。
顔で笑み、声で楽しさを表現しているものの、それだけでは表しきれない喜びは踊るような動きとなって現れていた。
「あんまりはしゃぐと危ないぞー」
「あははー、ごめんごめん。自由に歩き回れるのが楽しくって!」
後ろ手に手を組んで振り返るクララが銀の髪をたなびかせるのは、まるで物語の中のお姫様のようで。
日本では見たこともないような、広々とした草原と併せて、ここが異界の地であることを悠に実感させる。
「まったく。また脚を怪我しても知らないぞ?」
「うっ……それはちょっと嫌かな……き、気をつけるね?」
草原とは言っても平坦な道ばかりではなく、なだらかでは在るものの傾斜も存在する。
よそ見をしながら跳ね回れば、転んでしまってもおかしくはない。
そうなれば、大怪我……とまではいかなくても、足を挫くくらいはあるだろう。その事に気がついたのか、ついこの間まで自分が置かれていた状態を思い出したのか。クララは肩を小さくしながら悠の方へと歩いてやってきた。
隣に並び立つと、歩調を併せて二人は歩き始める。
「しかしまあ、向こうまではどれくらいかかるんだ? もう結構歩いたと思うんだけど」
脚を踏み出すたび倒れる草の柔らかな感触を楽しみながら、悠は頭の後ろに手をやった。
クララの居た村を出て二日。決してだらだらと歩いていた道程ではなく、言う通り、それなりの距離を踏破している。
「んー、地図を見るともう少しって感じかなあ。多分もうそろそろ──あ、ほら! 見て見てユウ!」
実際に、目的地はすぐそこまで来ていたようだ。
小高い丘を駆け上がったクララが遠方を指差すのをみて、悠もまた小走りになって傾斜を上がる。
高さを得て広がった視界。そこに見えたのは視界半分の海と──大きな街と神殿の姿。
「おおお……! あれがモイラスか……!」
この国でも数少ない『街』の一つにして、多くの極圏へと繋がる場所。
そして、悠にとっては、ファンタジーの世界を色濃く映す場所だ。
「早く行こうぜ! うっはー、テンション上がってきた!」
「あはは、行こっか!」
中世のようで、しかし違う。正しく『ゲームで見たような』光景に、悠は見て判るほどに興奮していた。
こうなると、先程までとは逆の立場だ。
はしゃぐ悠に、それを微笑ましく見守るクララ。
見えてはいてもまだ遠い光景へ少しでも早く到達しようと、二人は駆け出していくのだった。
◆
「うおお……! っげー! すげー!」
街へ着いた悠は、自分がかなり目立つ服装だという事も忘れ、感動を叫んでいた。
この国においては奇抜も奇抜なパーカーで、彼方此方を見回す様は紛うことなき田舎者だ。道行く人々も、時折そんな悠の様子を見てはくすりと鼻を鳴らしている。
「モイラスは大きな街だもんね。でもそんなにすごいかな?」
今までにないくらいのはしゃぎようを見せる悠に、クララは微笑みかける。
どことなく嬉しそうなのは、『なんでも知ってる』悠が、自分の知る文化に驚いているからだろうか。
親近感のようなものを覚えながら語りかけるクララに、悠は振り返って答える。
「石造りの建物がこんなに並んでるのなんて、初めて見たんだ! 俺の居たトコじゃ、こんなのは写真──じゃない、絵の中でもないと見れない光景でさ。……ほんと、遠い所に来たんだなって」
クララの落ち着いた声で、少しだけ冷静になったのか、悠はしみじみと故郷を思い出す。
ここにはない、ずっと文明が進んだ世界の光景。この世界の建物が背を伸ばすのは何時くらいになるのだろうか──なんて思う。
「ま、それはいいんだ。それよか今は、こっちの食文化が気になるしな!」
しかし自分が生きている内に来るかどうかもわからない未来に思いを馳せても仕方がない。大事なのは今だ。
今いるこの場所の食文化。今減っている腹の具合こそがいつだって悠の行動原理である。
「んー、確かに、カティアに会う前になにか食べておきたいよね。じゃあ、まずは何処かご飯を食べれるところを探そっか?」
悠の目にわずかに交じる寂しさが消えたのを確認し、クララもまた今後の予定へと視線を向けた。
頬に指をあてがって、首をかしげる。上目遣いの瞳は、食べたいものの輪郭を捉えているのだろう。
だが、意外にも悠が最初にすべきこととして選んだのは食べ物を探すことではなかった。
「いや、それより先にすることがあるな」
「え?」
その答えはクララにとっても意外なもので、思わず困惑混じりの声が出てしまう。
何よりも誰よりも食べることが好きな悠が、食事よりも優先するもの。
それは少し考えれば判るだろう。
「お金、なんとかしないとさ。……ドラゴンの素材を売れるところを探さないとなって」
「……あ」
お金。食べ物に限らず、あらゆるものの対価として支払われる、通貨である。
今からカティアに会うまでに摂れる食事は、すでに調理済みのものくらいだろう。食材を探し、買って、調理していたらかなり中途半端な時間になってしまう。
しばらく山の生活が続いたせいか、クララはそのことを失念していたようだ。まあ、山では物を買う機会などあるはずもなく、獲物を狩ってくるのを見ていたのだから無理もない。
「よし、じゃあ換金できそうな場所を探すぞー!」
「おー!」
こうして目標を定めた二人は天に拳を掲げ、息を合わせる。
無邪気な子供がするように楽しそうなのは、ドラゴンの素材が高く売れることを予想しているからだ。
ドラゴンの存在はクララにとっても非日常だ。姿を表すことさえ滅多にない、まして討伐される機会の殆ど無いドラゴンの素材の価値など知るわけがない。
ただ、それでも希少なドラゴンの素材が高値で売れることくらいは理解していた。
よくよく見ればどことなく鬼気迫る様子──そんな笑顔を浮かべながら、悠とクララは換金所を探し始めるのだった。
◆
換金所を探して数分。わりとすぐに悠達は魔物の一部を換金できる店を発見した。
この辺りは食べ物だけではなく、ありとあらゆる店に露天が集まるエリアだ。当然金の価値は高く、それを扱う場所の需要も高い。
……なので、早速悠達はそこで『ドラゴンの爪』を換金すべく話を持ちかけたのだが──
そこには、誤算があった。
「……悪いが、ウチじゃこっちはどうしても引き取れないよ」
店主の言葉に、悠とクララは白い目をして固まっている。
白い目──というのは大げさな表現だが、あまりの衝撃にその表情が凍りついていることだけは確かだった。
……持ち込んだドラゴンの爪は、換金ができなかったのだ。
いや、これは少しばかり正しくない表現である。
「買い取りたいのはやまやまなんだが、金庫の中身がひっくり返ってしまうんでね。ウチで買い取れるのは、一つが限界だ」
正しくは──一つしか換金ができなかった、だ。
ドラゴンから採取した素材のうち、換金ができそうなもの、持ち運べそうなものは状態がよい爪が二本だけだった。
二本だけとはいえど、希少なドラゴンの素材。それなりの金額にはなるだろう。悠とクララは、そんな算段を立てていた。
だが、実際には。一時的にとは言え多くの金銭が集まる換金所にあって、一つ買い取るのが限界という予想を遥かに超える大金。
金額を提示された悠はこの世界の物価には疎かったが、隣で驚いているクララにそれがどれくらいの値段なのかを聞けば『宝飾店のケースを一つまるごと買えるくらい』ととにかく凄いことがよく分かる例えを貰ってしまったものだから、同じリアクションをしてしまうのも仕方がないことだった。
金庫がひっくり返るというのは商売人らしい大げさな表現だが、換金所が昼前に店じまいでは流石にまずく、あながち間違っても居ない。そんな金額だ。
農村でごく普通の夫婦に育てられたクララにも、日本のごく一般的な家庭に生まれた悠にも、その金額は大きすぎた。あまりの衝撃に固まってしまっている……というのが、現在の顛末である。
「ええと、それで、一本だけでも売ってくれるということでいいのかな。正直に話してしまうと、時間さえかければもっといい買い手も見つかると思うが──」
「い、いやいい! これでいいっす!」
「そうかい? それじゃあ、少し待っていてね」
換金のために店主が店の奥へと消えると、悠とクララは顔を見合わせた。
二人の顔は戦々恐々といった具合で、提示されていた金額の恐ろしさを物語っている。
「まさか、あんな爪一本でそんなにするとはなあ」
「極圏の魔物の素材なんて、村じゃ見なかったから知らなかったよ……」
これなら、命を賭けて極圏で一攫千金を狙う気持ちもわからないではない。改めて、ドラゴンを討伐するという事がどれほど大きな事態か、確認する二人だった。
「よし、と。おまたせしました。それじゃあ、こちらを」
やがてズッシリとした重さを感じさせる大きな袋をもって店主が現れると、二人は揃って姿勢を正した。
渡された袋を持ってみると、見た目以上のかなりの重さだ。比重の高い金属が入っていることが伺える。
大きな金額を手にすると、何故だか落ち着かない。そそくさと悠が袋を持って帰ろうとすると、膝を伸ばしかけた悠を店主の言葉が押さえつけた。
「そういえば、もう一本の爪はどうするんだい?」
「へ?」
もう一本の爪。今手にしている重い重い袋と同じかそれ以上の価値を持つであろう、ドラゴンの爪を話題に出されたことで、悠は中腰のまま静止する。
「こんな素材を持ち込むくらいだから、名のある冒険者なんじゃあないかと思ったんだけどね。顔を見ないくらいだから、モイラスにはあまり来ないんだろう? もしドラゴンの爪を加工するようなら、腕の立つ加工屋を紹介するけれども」
加工。その言葉に、悠は上がりかけた腰を下ろす。
背中をくすぐられるような焦燥が、膝を沸き立たせるような期待に変わっていく。
「かなり状態が良い素材のようだし、ナイフなんかに加工したらいいセン行くと思うんだよね。いや、ドラゴンを討伐できるような冒険者ならもう使い道は決まっているかな?」
「ナイフ!」
店主の続けた言葉を繰り返しながら、悠の目は輝きを増していく。
素材。加工屋。そしてナイフ。
魔物の素材を武器へと加工する。地球で大好きだったゲームそのもののチャートに、悠の興奮は限界突破だ。
「そ、そこ! 教えてくれません!?」
ドラゴンの爪を加工したナイフ──ドラゴンナイフ。
流石にこれほどの浪漫には、少年の心が黙っていてくれない。
鬼気迫る勢いで店主に詰め寄った悠は、加工屋の情報を手に入れるのだった。




