第二十二話:料理の王
「で、出来たぞ……こちらドラゴンのステーキになります……」
調理を終えて結局は一日が終わろうとしている時間に、悠は戦々恐々とした様子でその料理を配膳した。
各々の好みを聞いての、二百から四百グラムの肉のカット。スパイスで香りを付け、適度な塩を振り、しっかりと肉汁を閉じ込めミディアムレアに焼き上げた一品。
ステーキの焼き加減だけにはこだわりのある人も多いだけに、悠は今回全力をもってドラゴンステーキを焼き上げた。
すると、どうだ。出来上がったのはステーキとは名ばかりのナニカであった。
「ふ、わああ……! すごい、お肉と脂の層……!」
「ピンクと白のコントラストが美しい……!」
「肉と脂でミルフィーユみたいになってるな……」
そこに出来上がったのは、もはやステーキを超えた美術品と言っても良い存在だった。
肉と脂の層が得も言われぬ美しさを生み出し、微かに昇る湯気は炎に煌めいている。
ただ切って焼いただけ。それをハイレベルで行ったものの、悠はそれを『だけ』と言うだろう。だけだというのに、それは神の手を意識せざるを得ないほどの美術品であった。
喩えるのなら、美しい岩塩の地層を見たような。自然に神の存在を見る、あの瞬間だ。
「き、切ってくぞ?」
ナイフやフォークなどの整った食器がないため、悠は二人の許可をえてから、肉を一口サイズに切り分けていく。
この圧倒的な存在感を前にした今では、それさえもが冒涜であるような気がした。
焼き加減は完璧だ。肉汁が逃れたとしてもごく僅かである。しかし悠には、たまらなくそれが惜しく感じられた。
「焼く前より更に柔らかい……!」
そうしてナイフを走らせると驚いたのは、その肉の柔らかさだ。
上質な脂は低い融点の直前まで温められ、まるで抵抗を感じさせないようになっていた。
一秒でも早く肉を頬張りたい衝動に耐えながら、それでも悠は肉の繊維を壊さぬよう丁寧に切り分けた。
「もう食えるぞ……」
「わ、わあ……まさか、生きてる内にドラゴンのお肉が食べられるなんて……っ」
「私も初めてだ……食とは、これほど人の心を高まらせる事ができるのだなっ」
しかしすぐにでもその肉を食べたいというのは、二人も一緒だった。なんとか悠が切り終わるまでを待てると、もう三人の我慢は限界といった所だ。
「それじゃあ……」
「いただきますっ!」
それほどの存在を目の前に、今すぐ食べられるように置かれてはもう歯止めなど聞くはずがない。誰ともなく声を合わせると、ドラゴンステーキの一切れをすぐさま口の中へと放り込んだ。
「(う……ま……!?)」
そして、一噛み。たったそれだけで、悠の脳内は味に支配された。
調理されたドラゴンステーキの良質な脂は、口の温度に達すると一瞬で溶け出し、甘美な味わいを口いっぱいに広げていく。
複雑に絡み合った脂が融解することで、鍛え上げられた肉の繊維が解け、しっかりとした食感を演出していた。脂が良く乗っているというのに、ハーブなどを好むからだろうか、クドさはまったくない。むしろ、噛みしめるほどローズマリーやタイムなどの気品あるスパイス香が顔を出すような気さえした。
それぞれの旨味はジューシーな肉汁に乗って口の中を駆け巡る。陳腐な表現だが、悠は絢爛豪華なダンスパーティーを想像せずには居られなかった。それほど多くの要素が一斉に、音楽に合わせて秩序だったダンスを踊るように、調和していたのだ。
フライパンがないため、ソースを作れなかったことを悠は悔いていたが──塩の引き出す肉の旨味は、よほどのソースでなければ纏めることは出来ないだろうと思った。
トリップにも似た恍惚感のオーバーロードから帰ってきた悠は、ふと二人を見た。
どちらも蕩けた表情で、言葉一つ発することが出来ずに居る。無理もないだろう、これほどの味わいを、悠は他に想像することができなかった。
これに比べれば、最高級の牛肉でさえ地球の汚れを感じてしまいそうな──それほどまでに雄大で、無限の広がりを見せる味だった。
「ちょっとコレは想像以上だな……山の上で食べるもんじゃない」
「かと言って、レストランでも中々食べれるものではないだろうがな」
ドラゴンステーキに合わせるロケーションの話になると、皆頭を抱えざるを得ない。一つ判るのは、せめて食器くらいは最高のものを用意したかった……というくらいだ。
美術品だのという前に、実用性が障害になっているのだ。木のフォークや箸の木材臭さは、邪魔すぎた。
「あはー……なんだか、信じられないなあ。遭難したと思ったら、ドラゴンに会って、こんなに美味しいお肉を食べてるなんて」
「確かにある意味貴重な経験だな。……はぐれドラゴンを山で食べる、なんていうのは一生経験できなさそうだ」
皆、一口頬張っては恍惚として味に酔いしれている。
少なくとも、今地球では食べられないようなモノを食べている。その事実を噛みしめると、ドラゴンステーキは更に旨さを増す気がした。
「これが捕食される心配がない生物の旨さ、か」
……地球では強いということと美味いという事をイコールで結んではいられない。
これは『美味い』という感覚に語りかける『マナ』があるからこそ成り立つ味だった。
「もっと、色々なモノを食べてみてえなあ」
ふと口から漏れた呟き。
悠としてはごく何気ない一言だったが、確かにそれは二人の少女の耳に届いていた。
あるものはそこに旅の始まりを予見し、あるものはそこに友を止めるべきか否かという複雑な感情が生まれる。
悠の欲求が行き着く先は、より強い魔物が住まう場所──極圏へと向かうからだ。
これは必然であり、その道を探求すれば必ずや避けては通れない場所だ。
だが今は山の上。とりあえず、二人はそれを胸にしまうこととした。
「えへ、へ。ねえユウ?」
「ん、どうした?」
「おかわり、ってできるかな?」
それよりも、今この瞬間を楽しむことこそが重要だ。
控えめに、照れくさそうにクララは葉の皿を差し出す。
「おう! 出来るぞ! どうせ生肉は日持ちしないし、ガンガン食ってくれ!」
「ならば私も貰っていいか?」
「おうおう、ノッてきたな!」
こうして、ドラゴン討伐の夜は期せずして宴となった。
付近の魔物も、絶対強者が狩られた匂いを警戒し、悠達に近寄ることはない。
まるで山を貸し切ったかのようなどんちゃん騒ぎは、食い過ぎ三名を生み出すまで続いていくのであった。




