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第十八話:山越え

「……おはよう」

「おはよう」


 ドラゴンを目撃した翌日。悠は簡素な立てかけ小屋から身体を這い出させると、葉の小屋から出てきたカティアと寝ぼけ眼の挨拶を交わした。

 どちらも一見して、あまり寝られなかった様子が見て取れる。恐らくはクララも同じような状態だろう。


「多分大丈夫……って思っても結構緊張するな」

「それがヒトの生活圏を外れた場所で眠る事の怖さだな。私もこれほど緊張した夜を過ごすのは久々だ」


 その原因は言うまでもない、ドラゴンの存在だ。

 ──山や森などで野宿をする際、獣の存在というのは眠るのを妨げる要因となる。それは鳴き声や足音など音の姿をとることもあるが、それらは副次的な影に過ぎない。

 その影を作り出しているのが、何よりも普遍した自然の摂理である『死』だ。死の存在は多大なストレスを与え、眠る時に大きな妨げとなる。


 ヒトは、ストレスに弱い生き物なのだ。猛獣がいると思えばそれだけで眠れなくなることもあるし、山の断崖に張ったテントで快眠するのも、慣れねば難しい。

 悠とカティアは、今まである意味楽観的で居たのだ。事実二人の戦闘力は高く協力して戦えばディアルクさえもはや強敵とは言えないだろう。

 だが──ドラゴン。悠の知る最強の幻想生物は、何よりも非現実的であるがゆえにその現実を叩きつけるように思い出させていた。


「コンディションは良くないが行くしかあるまい。どれ、クララの手伝いをしてこよう」

「頼む。俺は最後に荷物をチェックしておく」


 寝起き特有の緩慢な動作で動き出す二人。カティアはクララが小屋の外へ出る手伝いを、悠は荷物の最終確認に。小屋の中へ行くカティアを横目に、悠は荷物をまとめていく。


「っていってもな……」


 とはいえ、荷物自体はあまり多くない。悠がこの世界に飛ばされる時に持ち込んだものくらいしかなかったからだ。しかしペットボトルに合成繊維のタオル、アルミ製の弁当箱。そのいずれもこの世界にはまだ存在しない技術で作られた貴重品だ。

 つまり、これらは悠と地球を繋ぐ唯一の品物なのだ。

 悠は自分が感傷的な人間だとは思わなかったが、それでも地球とのつながりが無くなるのは寂しい気がした。


「ゴミにするようなモンが生命線になるとはわからないもんだなあ」


 ペットボトルなどはもはや日用品だ。生命線を支えてくれた容器を感慨深く見つめる。

 悠の荷物は、殆どこれだけだ。

 此方で作った原始的なツールは、重さも考慮して置いていくことにした。


「連れてきたぞ」

「おまたせ、おはようユウ」

「おはよう。出れるならもう行こうと思うけど、平気か?」

「うん、大丈夫……お世話になるね」


 手を借りることを「悪い」と、敢えて言わなかったことを感じて、悠は微笑んだ。


「ああ。じゃあ、行こうか」


 悠は鞄を背負い──この世界で作ったとあるモノをひとつだけ、しっかりと握りしめた。


「折角ユウに作ってもらった家とも、これでお別れか。少し寂しいな」

「はは、まあ気持ちはわかるよ。でも多分、慣れた自分のベッドが一番だ。下に戻ったら、気持ちよく寝ようぜ」

「ふ、そうだな。ではフカフカのベッドを夢見て、ひと頑張りするとしようか。ひとまずクララは私が背負うこととしよう」

「ありがとう、カティア」


 最後に一度、半月以上を過ごした拠点を見つめてから、悠達は歩き出した。

 追われる様に後にすることを少しだけ、寂しく思いながら。


 ◆


 太陽はまだ頂点に達する前。悠達はゆっくりとしたペースで山の上を目指していた。

 然程の傾斜はないが、それでも片足を殆ど使えないクララには厳しい道程で、足取りは想定していたよりも遅い。

 だがそれでも、悠達はチェックポイントに到達しようとしていた。


「よし、一旦休憩にしよう。カティア、クララ、ご苦労様だ」

「ふうっ……わかった。では下ろすぞ、クララ」

「うん、ありがとう、カティア!」


 尾根の部分に到着すると、悠達はそれぞれ腰を降ろした。


「いい景色だなー……落ち着いた時に見たかったもんだ」


 悠達が腰を降ろしたのは、見晴らしの良い場所だった。ここからならば、村や自分達の位置を確認するにも適しているだろう。


「そう、かな? でも落ち着きたいのは、そうだね」


 まさに絶景、といった景色でも、クララとカティアにはあまりピンと来ていないようだ。

 地球よりも遥かに豊かな自然の中で暮らしてきた彼女たちには、あまり目新しさを感じる光景ではないらしい。


「メシを済ませとくか」


 しかし淡々としているのも悪いことばかりでもない。こうして手際よく事を進めていけるのは、今のような状況では良いことだ。

 ここへ向かう途中に集めた果実を広げると、悠はちらりと尾根から広がる景色を見る。


「水の確保が出来るかもわからないからな。なるべく水分が多そうな実を中心に取ってきた。しっかり食っといてくれよ」

「成る程、確かにここから水場があるかはわからないからな」


 悠は運良く初日に水場を見つけたものの、本来サバイバルでは水の確保は一番の問題だ。此処から先、僅かな水分でも無駄にせず、補給できるときにしておいたほうが好ましい。


「いただきます」


 揃って一言を言うと、悠達は果実をつまみ始める。

 頬張るほどの量もなく、味も薄めで美味いとはいえない。最近の食事に比べればあまり豊かな食事とは言えなかったが、それでも喉が癒され腹は膨らむ満足感はあるようだった。


「それで……クララ、どうだ? 道はわかりそうか?」

「むぐ、うん。多分、あそこに向かっていくことができれば、あとは下るだけでも村までは行けると思うよ」


 果実を飲み込んでから、クララは向かいの尾根を指差す。

 距離はそれなりにあるが、道は続いている様に見え、なんとか踏破することは可能のように思える地形だ。

 下るだけ。クララの言葉を反芻するように、悠は尾根の向う側にあるはずの村に思いを馳せる。初めて見る異世界の文明は、悠の目にはどのように映るのだろうか。珍しく食事以外の事に興味を持てている自分がおかしくなって、悠はくすりと鼻を鳴らす。

 服はどんな感じだろう。家屋の材質や大きさも気になる。社会はどんなふうに形成されているのか。一つ一つに地球との差異はあるかを考える。


「(調味料とか、どうしてるんだろうな。料理は、何処の国のに近いんだろうか)」


 それでも、自然と興味はまた食事の方に傾いていった。

 『料理』すなわち『文明』でもある。基本的に食材そのものの方へ向けられている悠の興味だが、まだ見ぬ調理法、食材の組み合わせ方もまた悠の探究するものである。


「えへへ」

「……? どうした?」

「またご飯のこと考えてるのかなって」


 控えめに笑ったクララが自分の方を見ていることに気がついた悠が何気なく聞き返すと、クララははっきりと悠が考えていることを当ててみせた。


「何故わかったんだ……」

「ユウが食事の事を語っている時は、いつもそんなふうに笑っているからな」

「おお……? そんなにわかりやすいのか俺」

「それだけいい笑顔ってことだよ」


 考えられていることを当てられて、悠は訝しげに自分の表情を触る。

 茶化されたような気がしたのは一瞬、優しい微笑みを浮かべている二人を見ると馬鹿にされているわけではないと気づき、ただ気恥ずかしさだけが残った。


「そうだな。そこまで好きになれる事があるというのはいいことだろう。それに、食べるということは生きるということだ。とても前向きな好みで大変よいと思うが」

「私達はそれで美味しいごはんが食べられたし、そのおかげで生きてこられたってところもあるし、素敵な事だと思うな」


 真っ向から自分の趣味を肯定されるのは悠にとっては珍しいことで、カティアの真っ直ぐな意見はすこしだけ目頭を熱くさせた。


「変わった趣味だって言われることが多かったから、嬉しいよ」

「なら大いに胸を張るといい。キミの趣味は、こうして私達の命を繋ぐほどのものだ」

「そうだね! 村についたら、色々な料理を教えてよ。ユウの料理を食べたら、きっと皆驚くんだから!」

「……ありがとな。じゃあ村までついたら──色々、ご馳走するよ。そろそろ行こうぜ、進める内に進んでおこう」


 これ以上言われると本当に涙が出てしまうかもしれない。

 満ち足りた気分で、ごまかすように先を促した。

 もう休憩は十分だ。なるべく早くに進んでおきたいのも、事実だったから。

 しかし──少しばかり、出発は遅かったようだ。


「……え?」


 そう、声を出したのは誰だっただろうか。

 今の今まで空では太陽が煌々と光り輝いていたのに。

 何の前触れも無く、悠達を影が包んだ。厚い雲が急に太陽を隠してしまったかのように。

 ふと、空を見上げると太陽はない。

 かわりに、そこには──


「ゴオォォッ!」


 どんな鳥よりも雄々しい翼を広げ、獅子よりも鋭い爪を携えるものがいた。


「ドラ、ゴン」


 圧倒されながらも、悠は呟くようにその名を呟いた。

 その瞬間、現実が駆け巡る。

 眼の前に居るこの絶対者が、確かに自分と同じ世界に存在しているということが。その存在の力強さが、自分たちがどうなるか、どうしなければならないかが。


「う……あ……」


 立ち上がれぬまま、クララはただ怯えながら竜を指差した。

 ……あるいは、脚が完治していても立ち上がる事ができなかったかもしれない。

 クララは完全に怯えきって、脚に力を込めることも出来ずに居たのだから。


「……っ」


 戦闘に慣れているカティアでさえ、声を張り上げることも出来ていないのだ。

 だが──ただ一人、悠だけがそんな状況を、自分たちのそれぞれを理解していた。

 ドラゴンの眼が、悠を睨む。それだけで力が抜けて虚脱状態になってしまいそうな恐怖は、まさに魔眼と言うに相応しい。


「逃げ……」


 クララの口から、言葉として成立する前の声が聞こえてきたからだ。

 それが『逃げよう』ではなく、逃げろ、あるいは逃げて……と繋がることは、考える前に理解できていた。


「戦うぞ! どの道逃げられるわけもねえ……戦って、勝つしかないんだ!」


 だからこそ、誰よりも冷静で要られた悠が、誰よりも早く叫んだ。

 今にも傾いてしまいそうな船に己を縛り付けるように。

 その一声は、硬直していたカティアをも奮い立たせる。


「ふ……! まさか守るべき市民に先んじられるとはな……!」


 悠の咆哮に、カティアは冷や汗を浮かべて笑い、剣を構えた。


「だがわかっているのか!? ドラゴンは手練の騎士が五人は集まっても無傷とはいかん相手だぞ!」

「だったら二人いりゃ確率半分くらいなモンだろ! ゼロじゃなきゃやるんだよ!」


 五人に対して二人で半分。と、言ったばかりに継いだ句はゼロではない──無茶苦茶な言葉だが、馬鹿馬鹿しいまでの悠の理論に、カティアはかえって冷静さを取り戻した。


「違いない!」


 一体何が違うのか、それはカティアにさえわからない。ただなんとなく理解している。無茶な理論でこじ付けてまで逃げることを選ばない、戦わなければならない理由を。


「二人とも、頑張って……!」


 何故二人がその道を選んだのか、クララはとっくに理解している。

 ここで先程遮られた言葉を吐き出してしまっては、二人への侮辱にあたる。

 そう知っているクララは、何よりも口にしたい言葉を飲み込んで、そう叫んだ。


「ゴオオオオッ!」


 天を、世界を震わせて、ドラゴンは吠えた。

 『狩り』ではない、本当の意味での、生きるための戦いが始まる。


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