第十七話:幸運の若葉と不幸のシルエット
「そういえば、ユウ。今回の食事で何か力は身についたか?」
その最中であった。そういえばという言葉通り、ふとカティアが悠へと問いかける。
カティアの言葉に悠はああ、と声を漏らした。そう言えばスパイクタートルの棘を生やすのも、グラスタイラップの生態も、どちらも能力と言うに相応しい生態だったからだ。
本来なら、それは自分の能力に一喜一憂する悠にとっては重要な事だろう。
にも関わらず、悠の反応は歯切れが悪い。
「いやー、どうだろう、わかりづらいんだよなあアレ。能力に目覚めた感覚とかはないし、やってみるぞ! ってならないと出ないし……そもそも能力とか目覚めない時のが多いんだよな。硬質化なんかは偶然発動したんだけど」
その理由は、能力の存在が不確かな事にあった。
能力を持つ魔物を食べても、必ず能力に目覚めるわけではないし、目覚めた時にわかる実感もない。能力が宿ったと発覚するのは、やってみようと思ったことが出来た時なのだ。
「ディアルクを食った時も能力に目覚めると思ったんだけどなー。何故かダメだったし……まあ、試してみるか」
立派な『能力』が不発に終わった虚しさを思い出し、悠は愚痴りながら立ち上がる。
まず試してみようとしたのは、棘の生成能力だった。
意識を集中し、拳へと傾ける。骨から棘が突き出るイメージを浮かべるが──
「不発、か」
「みたいだなー」
何も起こらない。ならばと背中に生やすイメージも同様だ。
では、と次に試したのはグラスタイラップのトラップ能力。
「むむむ」
……これも、不発。何がむむむだ、と自分に突っ込むも、結果は変わらない。
「ダメかー。両方とも、使えりゃ便利だと思ったんだけどな」
「確かにな。特に、グラスタイラップの能力なんかはユウ好みだろう」
「罠猟が楽になるしな」
やはりダメだったか、と顔を合わせて笑う悠とカティア。
和気あいあいとした空気が流れるその中で、クララだけが神妙な様子で黙り込んでいた。
「両方……両方って、ダメかな?」
ぽつり、と呟きながらクララが顔を上げる。
誰にともなく向けたような言葉だったが、しっかりと自分の目を見て伝えられた言葉に、悠は表情を正す。
「両方?」
「うん。能力を、合わせてみるとかどうかなって。草を踏むと、棘が飛び出すとか……」
考えもしなかった言葉に、考え込む。
能力の合成? 常識的じゃない、そんなのは無理だ。……なんて、考えこそが非常識だ。
そもそもこんな能力があるくらいだ。一人一能力というお約束にすらハマらないような万能の能力を持っていて、何故出来ないと思っていたのか。悠はその発想に槌で殴られたような衝撃を感じた。
「やってみる価値はあるな! スゴイぞクララ!」
「え、いや、出来るかわからないよ? 私なんかが考えたことだし……!」
「なんかって事あるか。俺には考えつきもしなかった事を考えてたんだ、卑下されたら俺まで悲しくなっちまうよ!」
興奮冷めやらぬ様を隠しもせず、悠はクララの手を取って振るう。
認められた嬉しさやら、急な接触が恥ずかしいやらでクララの顔が真っ赤になるも、悠はそれに気づかなかった。
「そこまで。クララの顔を見ろ、真っ赤だぞ」
「あ、悪い!」
「うう、ううん! い、嫌じゃなかったから! 嬉しかったから!」
焦りでいっぱいいっぱいになったクララが否定のために慌てて手を振るう。
クララが焦る様子を見て逆に冷静になった悠は、嬉しかったから、という言葉に触れず飲み込む度量を取り戻す。何が嬉しかったんだ、と聞けばより混沌とした空気になることがわかっていたからだ。
だからこそ、悠はすぐにそれを試す機会に恵まれた。
能力の合成──考えてみれば、それは能力の『調理』と言えるのではないか。
素材の良さを引き出すのが料理ならば、出来上がるのは、この形。
悠の中で未だ存在し得ぬ力は徐々に形を持っていく。
「……いけ!」
そして──それは、この世に顕現した。
手をかざした場所にひょっこりと生まれでたのは、可愛らしい緑の芽だ。
まるで無害に見える微笑ましい絵面。だからこそ、それが酷薄で恐ろしいものに見える。
「おお……! まさか、これは……!」
ある意味で戦うことも仕事であるカティアが、息を潜めるように興奮を叫ぶ。
今すぐにでも確かめたいと思いながら、それに近づこうとさえしないのは、彼女の賢さを表している。
「出来た……! ど、どうやって試すか……石、は危険だよな?」
想像が現実になった非現実さに、悠もまた一周回って冷静であった。
石では棘が出てきた時に跳ね上げられ、誰かに当たる可能性がある。その危険性を鑑みて、石を投げ込む事をやめたのだ。
「今日使った葉皿があるだろう、アレはダメか?」
「おお、それでいいか」
良いものが見つからなかった悠は、カティアの勧めた通りどうせゴミになってしまう使い捨ての葉皿を投げ込むことに決めた。
「いくぞ……」
恐る恐る、念のためにと出来るだけ離れながら、生きているかわからないセミを突くような体勢で葉皿を投げ込む。
葉を束ねたことによってそれなりの重さを得た葉皿は、それでもゆっくりと空気を滑るように落ちていき、グラスタイラップに似た葉に触れる。
その瞬間──目にも留まらぬ速度で棘が現れ、葉皿を貫いた。
いや、貫いたというのは表現的に正しくない。正しくは『貫かれていた』だ。
罠に触れたと思った瞬間、その左右から棘が現れ、葉皿を刺し貫いた。悠達が見たのは、挟み込まれるように貫かれた後の葉皿だ。一瞬の所業に、唖然とする。
「す……すげえっ! なんだこれすげーつえー!」
やがて驚愕の波が収まると、狂乱を悠が襲った。
あまりの興奮にシンプルな感動を並び立て、はしゃぐ。
「む、う……凄まじい力だ……! 破壊力は申し分なく、応用も効く!」
カティアもまた沸き立ってくる衝動と浮かぶ冷や汗に口角を吊り上げる。
戦闘者として、驚愕に値する。それだけの力だったのだ。
カティアの評価で、悠もまたその力の強さに気付く。何処まで離れた位置に出現させられるかは分からないが、少なくともいちいち屈む必要はない程度の距離までは届くというのは、アドバンテージだった。ディアルクの様な猛獣に襲われても、戦術に組み込むことが出来るだろう。また、誘引の力などと組み合わせても強力だ。その力の可能性に、悠は興奮冷めやらぬ様子で叫んだ。
「クララのおかげだよ! ありがとうな!」
「ふえっ!? あ、ありがとうっ!?」
礼を言う悠に何故か礼を返し、クララはワタワタと手を振る。
予想出来ないタイミングでお礼を言われて、舞い上がるよりも混乱しているようだ。
しかししっかりと嬉しそうな顔をしているクララに、悠達は笑う。
楽しい。誰もが、そう思っていた。
娯楽は無くとも飢えはせず、身体を横たえて眠ることが出来て、こうして笑い合う仲間がいる。異世界での悠の生活は、順風満帆だったといえるだろう。
「ゴアアアアアアッ!!」
──だった、と言えるのだ。和気あいあいとした声をかき消すように、山が轟く。
遥か深く地底にある災厄の扉が開くような重苦しい轟音に、悠達は息を飲む。
何らかの生物の、咆哮。咄嗟に耳をふさいでしまうような爆発的な音量でさえ、その音の正体が掴めたのは、何故だったか。
「なんッ……!? この声は……!?」
爆音によるストレスに顔を歪めながら、悠が絞り出すようにして疑問を口にする。
その声はこの場の誰にも届いていなかったが──奇しくも、その問いに答える様に、声の主が姿を現す。
──その姿は、空に浮かんでいた。
世界を己に染め上げるかのように翼を広げて月の光を遮り、悠然と空を駆ける──その姿は、あまりにも偉大で雄大で、絶望的なまでに幻想だった。
だからこそ、その名を言われずとも、それが何かわかってしまう。
「ドラゴン……っ! まさか、本当にこんな山奥に居るなど……!」
ドラゴン。伝説の中にのみその姿を残す、幻想の象徴。
意識さえ向けられていないというのに頭を垂れたくなるような、絶対的な力の顕現に、悠達は三人共が一様に同じ反応を見せていた。
呼吸さえも忘れて硬直していたのだ。
これは、『彼』にとっては夜の散歩に過ぎない。だがそれが与える影響は、あまりにも圧倒的で絶望的だった。
やがて、ドラゴンは夜の闇を率いて何処かへと過ぎ去ってしまった。
そこでようやく、三人は呼吸する権利を取り戻したのだ。
「ぶ……は……! マジ、か……」
息を吐き出すと、蓄積された緊張に押しつぶされるように悠が崩れ落ちた。
ドラゴン。それは悠にとっては食の興味の対象だったが──その姿を現実に見た今、悠が思うのは久しく忘れていた『捕食者』の存在だった。
「なんとか、気づかれずに済んだようだな……」
悠ほどでは無くとも、カティアにも疲れは押し寄せているようだ。
クールな表情こそ保っているものの、その額には汗が浮かんでいる。
『騎士』が明確に顔へ浮かべた焦りは、悠に現状をこれ以上ないほど率直に理解させた。
「あは、は……あれじゃ、ここにはいられない、よね……」
この場を出来るだけ早く移動する必要が有ることを。
血の気が引いた顔で、クララは肩を抱いて震えていた。
それは、震えを止めようとしているようでも有り、今にもバラバラになりそうな──不安定な存在をつなぎとめようとしているようでもあった。
「そう、だな。奴らは縄張り意識が強い。……二度三度とこの場を通ることがある可能性を否定できない以上、なるべく早く移動するべきだろう」
ディアルクも同じだったが、基本的に強者というのは暴君だ。最も強いが故に君臨し、支配する。そうするだけの権利があるという事を、本能的に理解しているのだ。
それはドラゴンもそうで──むしろ、この世界にはドラゴンの暴虐さを喩えることわざもあるくらいである。
今回はたまたま見逃されたが、狂暴で縄張り意識が強いドラゴンだ、既に目撃情報があった以上、この山はもう彼の縄張りになっていると見るべきだろう。
見つかれば命はない。──ドラゴンが頭上を飛んでいった今、ここはこの山でも有数の危険地帯となったのだ。
「……クララ、脚、どうだ? 歩けそうか?」
「支えてもらえば、なんとか。……でも、多分村の方まで行くのは無理だよ。何日もかかると思う……」
治りが早い。クララはそう言って、事あるごとに悠やカティアへの感謝を口にしていた。
支えてもらえさえすれば、というのも、治癒が最初の予定通りのペースならば達成できていなかったことだ。
しかし、支えを要する状態で数日。村までの距離は、ここまでを駆け足でやってきてなお、届かぬほどに遠かった。
遭難中であるため、正確な位置は分からないが、それでもこの中で村の位置を大まかにでも知っているのはクララだけだ。
だからこそ、クララ自身にはわかってしまう。支えが必要な怪我人を抱えて、食料調達をしながらドラゴンの目を逃れて村まで向かうというのが不可能であることを。
「だから、私を──置いてってほしいな……」
戦闘能力が高い二人なら、なんとかそれも可能かもしれないということを。
震えたまま、クララは笑顔を引きつらせて、悠とカティアに懇願する。
怯えきった笑みに説得力はないが、クララは心の底から二人にそうすることを願った。
『もしかしたら助かるかもしれない』。そう思って一度は悠に縋ったクララが、今それをするには未来はあからさまなまでに確定的で──何より、二人を好きになりすぎた。
二人の命を天秤にかけるには、ゼロではない、とだけ言えるような確率は低すぎた。
「馬鹿、ンなことするわけねぇっていったろ」
だが悠にとっては『ゼロではない』、それだけで自分の命を賭けるには十分だった。
「市民を助けるのは騎士の仕事だ。まして友人を見捨てるなど言語道断、私の騎士道に反する。その頼みは却下だ」
カティアもそれは同じだ。誇りを持って行っている騎士の仕事を放棄するつもりはなく、また彼女も友人を見捨てるなんてことは出来ない。
「意味ないよ、そんなの! 二人なら助かるかもしれないのに、私が居たら三人とも助からないんだよ!? 少し考えればわかるじゃない!」
ともすれば深く物事を考えていないように見えるほど当たり前に宣言した二人に、クララはドラゴンの存在も忘れて声を荒げた。
だが、そんな決意の行動も、二人には届かない。
「しーッ」
「静かにな」
「──っ!」
二人揃って口の前に指を立てるジェスチャーをすると、クララも黙らざるをえなかった。
妙に息の合った行動が、毒気を削ぐ。
「冷静になれよ。短い付き合いだけどさ、俺にはそんなことは出来ない。少し考えればわかる──だろ?」
大声を咎めるような視線をいたずらっぽく綻ばせると、悠はクララの頭を撫でる。
クララは──言うとおりだった。少し考えればわかる。こんな状況でも、悠が自分を見捨てることなど出来ないということが。
「悪いけど意地の張り合いになったら、俺達のほうが有利だぞ」
「ああ。怪我人一人くらい引きずってでも連れて行ってやる」
明るくて優しい、そんな二人だからこそ大好きなのだ。だからこそ自分を秤から外したのだが──どうも、それを引きずり込むような者達がいるらしい。
「私は、少なくとも今の私は動くことも満足に出来ない足手まといだよ? ユウみたく美味しいご飯を見つけることも出来ないし、カティアみたく剣で戦うことも出来ない」
「そんなことない。俺達じゃ村までの大まかな道のりもわからないって」
クララにとって、自分は無価値だ。それでもただ死ぬのが怖いというだけで生きてきた。
だが悠は、そんな彼女に理由をくれる。ここにいていい、ではなく──
「クララじゃないと、ダメなんだ」
ここにいてくれ、と。そう言われると、クララの中に意味が満ちてくる。温かいものでいっぱいになって、溢れるのだ。
「うあああ……馬鹿、なんだからあ……」
クララは嗚咽を隠すように悠の胸へと上体を預ける。
二度目の死の決意は、あっさりと覆された。迷惑をかけたくないその人によって。
「決まり! それじゃあ……明日からは、忙しくなるな。カティア、もしドラゴンと遭遇したら、俺達で勝てるか?」
「……難しいだろうな。ドラゴンの討伐は、最低でも手練が五人の小隊からが基本とされているからな。つまり──」
「もしも出会っちまえば──ってことか」
「うむ」
そうと決まれば、悠達の行動は早かった。
「一度視界がいい場所に出れば、帰り道もわかると思う。多分だけど、あっちの方なら方向的には村に向かいながら確認できるはず」
もうそこに諦めはなかった。悠もカティアも、クララも。
「それじゃあ──出発は明日だ」
火を消した月夜の下、悠は静かに宣言した。
二人は悠の宣言に重い動きで首肯する。
たったそれだけで、三人は軽い挨拶を交わして眠りについた。
山という猛獣の檻からの脱出が、今を持って始まったのだ。




