第十六話:天麩羅
悠が異世界で生活を始めてから、二週間と少し程が経過した。
「そっちに行ったぞ、ユウ!」
「オッケー!」
未知の味覚に興奮しながらも不安と孤独を感じていた生活は、今や二人の仲間を加え、賑やかで楽しげな物となっている。
キャンプから程々に離れた岩場で、悠とカティアは連携をとりながら今日の食事を調達していた。
「『スパイクタートル』は極圏にも見られる魔物だ! 強くはないが、素早く鋭利な棘を持つ! 怪我をしないよう気をつけろよ!」
「忠告ありがとな。……しかし、素早い亀とはなんともなあ」
今日の獲物は脚に棘を持ち、背中から棘を生やす亀の『スパイクタートル』だ。
脚のスパイクで岩場を駆け回り、背中の棘で身を守る──岩場を素早く駆け回る亀という地球では見ないような生態に呆れた笑みを浮かべる悠。
刺々しい甲羅はともかく、亀と言えば日本ではノロマの象徴なのだが。それと真反、せわしなく脚を動かして凄まじい速度で駆ける亀の姿は、思わず笑いを誘う。
「……!」
だが、笑ってばかりもいられない。固定観念を捨てて集中を持って亀と相対すると、悠を避けて通れないと覚悟したスパイクタートルは背中に棘を『生やして』対応する。
甲羅の目から一つずつ鋭い棘が生える様を見て、悠は気を引き締めた。
スパイクタートルは日本に住む亀でも珍しくない程度の小型だが、それなりの重さを持った物体がラジコンカー並の速度を出し、棘を携えて突っ込んでくる光景は笑ってはいられない危機感を煽る。
まっすぐに悠へと突き進むスパイクタートル。しかし、今回は少し相性が悪かった。
悠の体を紅い光が包む。スパイクタートルはそれを気にすることはなかったが──野生が警戒を怠った瞬間、勝負は決着する。
「捕まえたァ!」
スパイクタートルが激突すると同時に、悠は亀を両手で包み込むようにして捕まえた。
普通の人間ならば、スパイクタートルは脚を容赦なく突き刺し、敵が怯んでいる隙に楽々逃げ去っただろう。
だが棘が悠の身体を貫くことはなかった。それも、全てはこの赤い光──硬質化の能力に依るものである。
「やれやれ、その力は本当に凄まじいな。とはいえ、わかってはいてもヒヤヒヤする」
「へへへ、美味いもののためなら多少の無茶はな。つっても、ディアルクの角だって耐えられるんだ、これくらいは大丈夫さ」
今日の戦果を手に入れた悠に、カティアが駆け寄る。
悪びれず笑う悠に返すのは、呆れを感じさせながらも微笑み。まだ二週間にも満たない付き合いではあるが、そのやり取りは長く続く友人同士のもののようであった。
困っている人間を見捨ててはおけず、賢い判断を思い浮かべながら心根で行動してしまう悠と、生真面目で騎士然としたカティアは性根が似ているので相性が良いのだろう。
「しかし……スパイクタートル、というか亀を食うというのは聞いたことが無いな……臭いが凄くてとても食えたものではないと聞いたが」
「調理方法が間違ってりゃ、そうなるな。でもちゃんと調理すれば結構美味いんだぜ。確かに独特の風味はあるけど──うん、今日の晩飯はちょっと力を入れてみるか」
「ほう! それは楽しみだな」
ついでにいうと悠は言うに及ばず、カティアの方も結構食いしん坊だ。
完成度が高く、異国(カティアにとっては紛れもない異世界)の文化を感じさせる刺激的な料理は、今一番カティアが楽しみにしているものだった。
「よーし、じゃあさっさと帰るぞー!」
「おー!」
悠のノリに合わせて、腕を突き上げるカティア。
大人の対応のはずのそれは、幼い少女に見えるカティアにとてもよく似合っていた。
◆
「それじゃ調理を開始したいと思います」
「わー!」
日が落ち始めた頃、悠はクララとカティアを前に、調理を開始しようとしていた。
そのノリは何故か料理番組風だ。もちろんクララもカティアも見たことはないが、自然と拍手が出る辺り、なんとなくそういった空気と言うのは何処の国も一緒なのだろう。
「はい、では此方さばいたスパイクタートルになります。今日はね、これで天ぷらを作りたいと思います」
既にさばいた亀を葉の上に乗せ、クララ達に見えるよう示す悠。
「へえー、亀って聞いた時はちょっと躊躇ったけど……」
「ああ、切り分けてしまうと変わったところもないただの肉だな」
切り分けられた亀は、二人が言うとおりまさしく『肉』そのものとなっていた。
皮を取ってしまえば、大体の生物はこんなものだ。逆に皮がついている様を見れば、一瞬で生前の姿が思い起こされてしまうわけだが。
お世辞にも亀の色味は食欲をそそるものではないだろう。そのあたりの配慮は、野の食材を食べるという自分の趣味を蔑まれることもあった悠だからこそよく知っている。
「はい。では材料の下ごしらえの方に入っていきましょう。まずは、このグラスタイラップを叩いて潰していきます」
二人の先入観が薄れた所で、悠が取り出したのは付近に自生する『グラスタイラップ』という草だ。
一見なんの変哲もない草だがその葉を踏むと地中から根が飛び出し、触れたものを強固に絡め取るというトラバサミのような草だ。そうして小さな獲物ならばそのまま絞め殺し、大きな獲物ならば他の捕食者に食わせて残りを養分とすることで生息している。
今回食用にするのはその葉の部分だ。繊細なセンサーの様になっているこの部分は強靭な根とは反対に柔らかく、食用に適している。
それを、悠は叩いて細かくしていく。
すると──辺りに、心地よい香りが漂い始めた。
「ああ……爽やかな香りだな」
「お腹が減るねえ。胃がもたれ気味のときとか、美味しく食べられそう!」
その香りは、例えるのならばシソ、大葉の香りである。酸味があるのが一番の違いだろうか。それも梅干しに似ているので、違和感はないが。
野味がなく、爽やかなハーブの香りに、女性陣が沸き立つ。
「では、ここで叩いたグラスタイラップをスパイクタートルのお肉に挟んでいきましょう。そして──小麦粉の出番です。食料がなくて餓死寸前だったはずのカティアさんが持っていた、小麦粉の出番です」
「う、ぐう! 仕方がないだろう! 先輩が小麦粉さえあれば料理はなんとかなるとか言うから……!」
だが料理番組はお笑いとも親和性が高い。ついで程度にカティアの古傷を抉り、悠は調理を進めた。
「小麦粉に水、塩、そしてスパイクタートルの卵を混ぜて溶いていきます。出来上がったらスパイクタートルのお肉に絡めて行きましょう。……ちなみに、小麦粉は水で混ぜて茹でるだけでも食べられる。単独任務をする機会があったら、覚えとくといいぞ」
「うう……わかった……」
ひとつアドバイスを加えつつ、下ごしらえを終える悠。
ここからが、本番だ。悠の料理を覗き込むカティア、動けないため楽しみに待つクララというのがいつもの風景だが、二人を集めるためにわざわざ料理番組風の寸劇をしたのには、わけがある。
「ではこれを揚げていきましょう! 少なめの油を熱して──肉を、入れる!」
それは、悠が衣を纏った肉を油に入れた瞬間、起こった。
興奮が沸き起こるような、泡の快音! 液体に浸されたタネが立てる、乾いた音が弾けると、クララとカティアは思わず息を漏らす。
「わああ……! この音、久しぶりだなぁ……!」
「焼き肉のときもそうだったが、なんとも食欲をそそる音だ!」
揚げ物の醍醐味の一つ、それがこの音だ。悠は食欲を掻き立てるこの音が大好きだった。
山の中で揚げ物という一種の背徳感、そして弾けるような快音は、食しか娯楽のないこの環境においては最高峰のエンターテイメントである。
「食べるのはもちろん、目で見て鼻で嗅ぎ、耳で聞くのも料理の要素の一つだぜ」
愉快そうに喉を鳴らし、悠は火の通り具合を見極めながら天ぷらを揚げていく。
「スパイクタートル天、出来上がり!」
鳥大葉天、のイメージで名前を付けようとするととんでもなく名前が長くなる事に気が付き、悠はその料理に主役の名のみを冠することに決めたようだ。
揚がった天ぷらは、卵に由来する色だろうか──美しく輝く金の様な気品さえ纏っており、もはや元の姿を想起させるものではない。
「美味しそう……っ!」
「なんと上品な……これがスパイクタートルとは誰も信じないだろうな」
つまるところ、美味そうなのだ。ダイレクトに食欲をそそる色味に、期待は高まる。
すった岩塩をかけると、純白の衣に装飾が散らされるようにさえ思えた。
音と、見た目。ここに場は整った。
「それじゃ、頂きます」
「いただきます!」
三人で一気に、スパイクタートル天を頬張る。
よく揚がった衣を歯が断つと、衣がその食感を叫ぶように快音を立てる。
音とは、振動だ。歯をダイレクトに伝わった振動は、まさに快感と言うに相応しい。
「(いい歯ごたえだな。小麦粉じゃちょっとボソボソするかもしれないと思ったけど──)」
此方の世界の小麦粉は、地球のそれとは違うのかもしれない。そんな知的好奇心が浮かんだのも一瞬、衣の奥に隠された世界に悠は目を見開く。
鳥のササミの様な繊維質でありながら、ジャッキリとキレる潔い食感。ゼラチン質は滋味を感じさせ、ジューシーさをも与えている。
すっぽんが美味いことを考えれば当然だろう。まして、岩場を素早く駆ける鍛えられた筋肉。食感の心地よさはそれ以上──その肉は間違いなく上質と言えた。
快感食感に、強い旨味。しかし、それでも亀の肉には僅かな臭みがある。調理方法が良かったため気にならないレベルまで抑えられているが、スパイクタートルにも確かにそれは存在した──
「わ……! 凄い食感! 美味しいっ!」
「臭みも感じられないぞ! なんと爽やかな旨味!」
そう、存在した──だ。挟み込まれたグラスタイラップの爽やかな香りは肉に挟まれた上で衣に封じられた。余すところなく閉じ込められた香りが熱によって立ち上ると、亀の臭気など跡形もなく消え去ってしまう。
濃厚でありながら、爽快。相反するはずの要素は確かにそこに並び立っていた。
こうなるともう止められない。揚げ物を腹に詰め込んだ時の倦怠感が消えてしまうのだ。まるで無限に食べられるような天ぷらは、あっという間に姿をなくしてしまった。
「美味しかったあ……こんなに美味しい揚げ物、初めてだよ……」
「驚いた……まさかスパイクタートルがこれほど美味いとは」
遅れてやってきた満腹感に押し出されるような息を吐きながら、恍惚とした表情で味を評する二人。今回の創作料理も大成功だったといえるだろう。
「亀の肉質は鳥に似てる……ってんで、やってみたけど、正解だったな。いやー、しかしいい肉だ。力強い旨味があるから、唐揚げにしたらもっと美味いだろうなあ」
悠もまた、腹をさすりながら故郷の料理を夢想する。
すっぽんの唐揚げは筆舌に尽くしがたい一品だという。これほど上質な亀肉で作れば、さぞ美味いだろう。
「カラアゲ、って?」
「俺の故郷の料理だよ。鳥を醤油に漬け込んで、こんな風に揚げるんだ。味が染み込んでサイコーだぞ」
「またショウユ、か。それほど素晴らしい調味料、一度味わってみたいものだな」
「ユウがこんなに言うくらいだもんね。食べてみたいなあ……」
「いつか作れるといいんだけどな。まあ期待しないで待っててくれ」
二人の中で際限なく高まっていく『ショウユ』への期待に苦笑しながら、悠はひらひらと手を振った。
日本ではありふれた存在の醤油がまるで霊薬の一滴の様に扱われているのは、何処か誇らしくもあるがそれ以上にかかる期待が恐ろしい。
しかし、醤油が恋しいのは事実だ。大豆によく似たものが見つかればいつか似たものは作れるだろうと、遠く離れた故郷の味に思いを馳せるのだった。




