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第十三話:栄養とは?

「あー……お腹いっぱい。ツミレ汁も美味しかったなあ」

「本当に。カルパッチョとやらも、ツミレ汁も。山の中でこんな料理を生み出してしまうとは驚くしかないよ」


カルパッチョに続き、つみれ汁も大好評という結果で、少し豪華な夕食を終えた悠達。

二人の吐息はその幸福度を雄弁に語っていた。


「ごちそうさま、悠」

「本当にキミは凄いな。ご馳走になりました」


褒められると、悠としても報われた気分になるというものだ。

照れくさそうにしながらも、満足気に頷いた。


「でもちょっと気になることがあるんだけど、いいかな?」

「おう。なんでも聞いてくれ」


後はやることもなく、寝るだけ。一日の最後に与えられる、穏やかな時間にクララは控えめに聞いた。


「うん。一つは、さっき言ってた『えいよう』って何なのかなって」


一つはと前置きをしてから問い掛けられたのは、『栄養』という概念の事だった。

何が良い、何がよくない。それはこの世界でも経験として知られていることだったが、科学的な観点からの栄養の概念はまだ発達していないらしい。


「ああ、栄養ってのは……そうだなあ。いろいろな種類のマナみたいな感じというか」


指を立ててから、悠はこの世界では遠く先の未来に見つかるであろう概念を語り始める。


「マナは確か魔力の回復を早める力があるんだったな。栄養ってのも同じで、例えば疲れが取れやすくなったり、血の素になったり……沢山の種類と同じくらい多い効能がある」


熱心に聞き入る二人に、悠は気分が乗ってくる。


「こんな話があります」

「!?」

「!?」


気分が乗ってきた悠は、神妙な顔つきで地球で起きたとある事件について語り始める。


唐突な語り口と何とも言えない雰囲気の変化に、クララ達は驚愕の表情を浮かべた。


「延々と雪と氷の大地が続く過酷な環境で、探検隊が遭難しました。彼らは唯一、氷の下の海に棲まう魚を食糧にしてなんとか日々を食いつないでいたそうです」


どこか芝居がかった語り口調に、二人の興味は釘付けだ。

それが更に悠の気分を高ぶらせ、その姿をより語り手へと近づけていく。


「しかし彼らはたった一人──現地のガイドを除いて絶滅してしまいました。とある病にかかってしまったのです。皮膚や粘膜から血が滴り、歯は落ち、地獄の様相でした」

「ひいぃ……」

「っ……!」


純粋な二人はまるでその様を見てきたかのように語る悠の話に怯えている。


「病の名前は壊血病といいます。ビタミンCという栄養素が欠乏することで起こる恐ろしい病でした」

「壊血病……」

「お、教えてくれ! 何故ガイドだけが生き残ることが出来たのだ!?」


恐ろしい夢を見たようなクララに対し、カティアの反応は鬼気迫るものがある。

何故ならば、彼女には悠の語る病の症状に聞き覚えがあったからだ。


壊血病は地球で猛威を奮った病気である。有名なのは大航海時代だろうか。長旅をする者達の食糧は必然と保存の効く食材となり──それらには、ビタミンCが乏しかったのだ。


「ヒントはもう出ているぜ。探検隊は何を食べていた?」

「魚、だな」

「うんうん。ならガイドは?」

「魚、ではないのか」

「正解。じゃあそこに何の違いがあったかまで考えられるかな」

「……? ううむ……」


普段通りの悠に戻った事に安堵しつつも、今度はその謎々のような問題に顎を抱えることになるカティア。

魚の種類が考えに昇ったが、直ぐにそれを否定する。

ならば──


「もう一つヒントをやろうか。ガイドはなにもしなかった。少なくとも彼基準では、特別なことは何も。けど、彼基準で言うならば、探検隊の方が何かをしていたんだ。それも、魚を食べる前に必ず」


食べるものに何らかの細工が加えられていた。


悠はヒントという形でソレを否定した。

何もしなかった。カティアの頭のなかで、その言葉が反芻される。むしろ、探検隊のほうが魚に手を加えていた。そこまで言葉を読み返すと、カティアは驚愕した。

その様子に悠は微笑み、カティアは悠の瞳を見つめる。


「まさか──ガイドは、魚を生で食べていたのか?」

「正解! よくわかったなあ。そう、さっきカルパッチョを食べた時にも言ったろ? 生魚を食べられれば栄養的にも心強い……って」


カティアが正解を導き出したことで、悠は手を叩いて朗らかな笑顔を浮かべる。

反面、正答出来たカティアは訝しげな顔をしている。何故魚を生で食べることが壊血病の予防につながるかがわからなかったからだ。納得の行かない気持ちを読み取った悠は、焦らすこともせず解を伝える。


「壊血病ってのはビタミンCという栄養の不足で起こるってのは言ったよな。だから予防にはこのビタミンCを摂れば良いんだ。このビタミンCってのは、結構色々な食材で摂ることが出来る。それこそ、魚にも含まれてるんだ」

「え? でも探検隊の人達も魚は食べてたんでしょ?」


今度疑問の声を挟んだのはクララだった。悠は一度頷いてから続ける。


「その通り。でもな、ビタミンCって、直ぐに壊れちまうんだよ。塩漬けにしたり、空気に触れ続けたりしても壊れちゃうくらいに脆いんだ」

「……む? あ!」


つらつらと語る悠の説明がそこまで進んだ所で、カティアは気付く。

「そう。加熱なんかしたら、結構な勢いでビタミンCが失われるんだ。その時探検隊を出してた国でも、生魚って食うもんじゃなくてさ、現地でも生魚を食べる習慣があったガイドだけが生き残ったわけだな。壊血病ってのは、長い間塩漬け肉みたいなモンばっかり食ってるとなりやすいから、そういうモノばっかりの食生活を続けた時は気をつけたほうが良いぜ。その点さっきのカルパッチョは生魚に柑橘系──ザボナでビタミンCは満点! ってわけだな。こっちの食材にも同じ栄養が含まれてるかは確実じゃあないけど」

「た、確かにその病は船乗りや探検者などに多いと聞く! しかし、そんなことが……!」


まるで天啓を得たかのように興奮するカティアに、悠はまた目を細めた。

自分の拙い知識に感心してくれるのは、素直に嬉しかったのだ。

生来の面倒見の良さから、クララと同じように悠もまた人に頼られることは悪い気がしないらしい。

「だが、焼くことでびたみん、しー? が失われてしまうのならば、普段の食生活でも不足してしまうのではないのか?」

「んー……なんて言ったら良いか。加熱してもビタミンCが失われづらい食材もあるんだよな。芋とかがそうなんだけど。こいつらはでんぷんって栄養素を持ってて、ビタミンCが壊れるのを防いでくれる。他にも今言ったようにそもそも生で食べる野菜にも多く含まれてるし、揚げ物だと加熱してもビタミンCが壊れないんだよな。逆に、茹でるとあっという間に失われちまうから注意だ」


ビタミンCは酸素と結びつき、酸化することで別の物質に変化してしまう。悠は説明が難しい理屈を避けながらも、かいつまんで理解しやすいようにビタミンCの性質を纏めた。

この世界ではまだ発見されていない概念ながらも、クララとカティアが感心している様子を見れば、上手く伝わったようだ。


「ま、だから生魚が食えれば心強いんだよ。栄養素ってホントに沢山あるから、そればっかでもダメだけどな。食事はバランスよく、って事だ」


小さな手を叩く拍手の音に、悠は控えめに胸を張った。

高校生にしてはよく出来た説明だ。彼にはそれをする権利があるだろう。

だが、彼にはもう一つ答えることが残っている。

「じゃあ、二つ目、いい?」

「どうぞなんなりと」


それはクララのもう一つの質問である。

一つは、と前置きをされていたので、悠は自然に続きを要求した。


「うん。普通は生魚を食べるとお腹を壊すよね? なんで今回は大丈夫なのかなって」

「ああ、それか。一つは単純に鮮度の問題だな。魚は腐りやすいからな。海が近けりゃ問題ないけど、離れた場所なら運んでる内に腐っちまう。焼けばある程度は平気になる。今回はとれたてピチピチだからな。鮮度は問題なかった」


なんでもないことのように悠が離した内容に頷くクララたちだが、その答えには然程驚くこともなかったようだ。

だからこそ、悠は気にすることもなく続ける。


「二つ目は……寄生虫の問題だな。結構魚って虫が付いてるからな。調理すれば大抵死ぬんだけど、生きたまま食っちゃうと腹の中で暴れて大変な事になったりするんだ。俺の能力で虫がいるかいないかが見極められるみたいだったからさ、居なかったやつを刺し身にできたんだよ。……でも当たっちまうと大変だから、本来サバイバル中に生魚ってのはできればナシだ。食えるんなら心強いってのは、そういう意味」

「なるほどー! 確かにひどい時とか、うじゃうじゃ居るもんね。生焼けだったりすると当たっちゃうのは、そういうことなんだ」


段々と暗くなっていく空の下、朗らかに語り合う悠達。

素直に話を聞いてくれることに信頼を感じる悠だが──


「そうそう。虫を解決できたから生魚は食えた──って、どうしたカティア……?」


話の途中で、カティアが真っ青になっていることに気付く。

目はどこか虚ろで、よく見れば肩を……いや、体中を震わせている。

明らかに具合はよくなさそうだ。


「お、おい、本当にどうした! 真っ青だぞ!?」


まさかそれこそ虫にでも当たったのか、と。

調理をしたものとしてはあってはいけない事に、焦燥する悠。


「ム、ムシ……? ウジャウジャ……? ジャア、アノトキノフクツウハ……?」


その口から絞り出されるようにして唱えられているのは──彼女の、恐怖だった。

幼い少女の様な外見ながらも、凛とした雰囲気を崩さないカティアが明確に狼狽しているのを見て、悠は固まる。


「い……嫌だぁ! む……虫がいっぱいなんてぇ! 私は虫だけはダメなんだ──っ」


呟きが叫びに変わると、予想できなかった事態に悠とクララは肩を震わせた。

真っ青な顔で錯乱するカティアは外見相応な取り乱し方をしていたが、それは昨日からの彼女から予想できない姿だったのだ。


「お、落ち着けって、な? ホラ! さっきのカルパッチョだって虫が居ないって分かったからこそ作れたんだしさ! 薄切りにすることで虫を見つけて弾くってのも調理法の一つなんだよ!」


悠の説得に、カティアは一瞬だけ動きを静止させた。少なくともさっきの食事には虫が『絶対に居なかった』という事実はカティアに少しだけ心の平穏を与えた。


「う、おう……そう、なのか?」

「そうそう。魚ってのは多かれ少なかれそういうモンを抱えてるんだけどさ、もってない奴も居るんだよ。それに腹痛だって必ず虫が起こしてたってわけでもない。そういう……あー、目に見えないくらい小さな、悪い精霊みたいなのが悪さをすることもあるんだよ」


悠が悪い精霊と言い換えたのは、ウイルスの事だった。間違いなく詭弁ではあるが『生命体』という表現を敢えて遠ざけたことでカティアはまた少しずつ平静を取り戻していく。


「うう……本当なのか……?」

「詳しくはちょいと違うけど、本当だ。さっきも言ったけど、カルパッチョには絶対に、虫は居なかった。それは誓う」

「そうか……な、情けない所を見せたな……」


悠が連続で畳み掛けると、カティアは段々声のトーンを落としていき、やがて表面上は普段の様子を取り戻す。

どちらともなく、悠とクララが顔を向かい合わせて安堵の息を吐いたのは、同じ事を思っていたからだろう。


「(……言えねえな。カルパッチョ『には』ってことは。……見える限りは取ったけど、さ)」


だが──その胸に墓場まで持っていかなければならない秘密を抱えている者は、誰も見ていない所で一人孤独に苦笑する。

……これは伝えるわけにはいかなかったが、人間気づかぬ内に様々な方法で『彼ら』を内に取り込んでいたりするものなのだ。その大半は害がないために気がつくことなく終わるが、その中にはごく偶に不運に当たるものも居る。

そして衛生の管理が地球ほど発展していないこの世界では、その機会は増えるだろう。

その秘密が少女に打ち明けられる日が来るかは──神のみぞ知ると言った所だろうか。


「けど、美味しかったね。また食べたいなあ」

「う、む。私にとっては少し衝撃的だったがな。ユウの国では、生魚はポピュラーな存在なのか?」

「そうだな。俺のところじゃもっと単純で、醤油って調味料を付けながら食べるんだ。ちょっとだけ魚醤……ガルムに似てるかな。これがまた美味いんだ」

「へえ……それは、いつか食べてみたいな」


「長い手間がかかるけど、良い豆が見つかったら作るのに挑戦してみたいな。……さて、今日はそろそろ終わりにするか」

「うん。その時は、是非ご馳走になりたいなー」

罪の十字架を一つ背負いながらも、少年の夜は更けていく。

故郷の味に思いを馳せて、彼は寝床につくのであった。

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[一言] この国はパン食文化なので脚気の原因も教えて 白パンより全粒粉の黒尾パンが大事だと教えよう 脚気で亡くなる方が多いでしょう?都市部では! ビタミンBは大事だと!教えよう脚気は手足の 麻痺が症状…
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