終幕の鐘
「……ぱい、起きて、…………かみやせんぱい。」
柔らかなうたた寝の遠くから、誰かに声をかけられた気がした。
「あ……う…」
うっすらと開いたまぶた。
ぼやけていた視界は、少しずつ現実を映し出した。
道路に横たわる僕。
それをかがみ込むようにのぞく彼女。
体を起こそうにも、言う事をきいてくれない。
まるで寝起きのように、頭がぼんやりとしている。
ズキンと体中に痛みが走る。
「うぐっ…」
猛烈な痛みが無理やり僕を覚醒させた。
痛みが増すにつれて、脳が稼働しだす。
ゴムの焼けた臭い。
響きわたる悲鳴。
走り回る雑踏の音。
遠くから聞こえるけたたましいサイレン。
そして、何が起きたのかを鮮明に思い出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何事にも安定を求めていた僕は、無難な大学に普通に通い、卒業し、田舎とも都会とも言えないごくごく平凡な町の公務員になった。
何不自由ない人生を歩むためのスタートラインに立つことができた気がした。
24にして、初めて彼女ができた。
自分には割に合わないくらいにできた人だ。
これで一生幸せに過ごせると思った。
ずっとこの人を守っていこうと誓った。
肌寒い季節になり、街のところどころでイルミネーションが準備されていく。
もうすぐ、クリスマス。
その日も2人でデートに出かけていた。
何度目かのデートだと言うのに、お互い未だに緊張してしまう。
「神谷先輩、今日はなに食べに行きます?」
真っ白なダッフルコート、少しウェーブのかかった長い髪、そしてキレイに整った顔。
僕にはもったいないと、何度も思った。
「そうだな、せっかくだしお洒落なレストランにでも行ってみる?」
隣に立つ、少し背の低い彼女の顔を見つめることが幸せだった。
「そんな無理しなくてもいいですよー!ファミレスとかで構わないですよ、だって家族になるかもしれないんだし。」
照れ隠しのように、はにかむ彼女が愛おしくてたまらなかった。
「ははっ、ありがと。」
たくさんの人が行きかう交差点、2人だけの世界のように思えた。
そんな世界を邪魔するように、トラックは突っ込んできた。
ものすごい勢いで迫る車のライトを視界に捉えた瞬間、繋いだ手を離し、思わず彼女を押した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道路が真っ赤に染まっていき、僕を中心に血溜まりが広がっていく。
身体中を巡っていた熱が、徐々に失せていった。
「せっかくのコートが…赤く汚れちゃうよ…」
喉からはかすれた声しか出なかった。
自分がトラックに轢かれたこと、そして死が近いことを思い出した。
「いや…いやだ…死んじゃいやだよ……。」
涙を流す彼女。
こんな時だと言うのに、やっぱり可愛いなと思ってしまう。
「ごめんね…僕のことは、忘れていいから…」
「むり!忘れてやんない!だからそんなこと言わないでよ!」
彼女の流した涙が、僕の頬へと落ちてくる。
「ごめんね…ありがと………」
ゆっくりとまぶたが閉じていく。
せっかく鮮明になった意識が、だんだんと遠のいてく。身体全体が重くなるのを感じた。
薄れゆく意識の中、彼女が僕に声をかけ続けていることだけが最期まで残っていた。
あぁ、神様。
どうか彼女に幸せを。
僕が世界から消えても、彼女だけは笑顔でいられますように。
カランカラーン
荘厳な鐘の音が聞こえた気がした。
そうして、僕は24年間という短い人生を終えた。