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千一夏物語~優しい推理と奇怪な童子~  作者: 石切舞
第一章 不思議な鞠
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不思議な鞠のおはなし(六)

若干区切りを変えました(2015年7月17日)

「千一君、ちょっと待っていてください」


 優人は立ち上がると、部屋の左隅に置いてある戸棚へ向かう。


 その上に置かれた鞄に手を伸ばした。慣れた手つきで財布を取り出す。札をすべて抜き取ると、戸棚を開けて、封筒を引っ張り出した。


「今は手持ちがないので、全額はちょっと無理みたいです」


 優人は金を封筒に入れた。


 これも何かの縁だと、身を切ることにしたのである。

 童子のことを甘やかしすぎている、という思いは無論あるものの、だからといって、見過ごすわけにもいかない。


千一も、大人になれば分かってくれるであろう。


 畳の上を横切り、千一の元へ行く。


千一は優人のほうを向いて、膝立ちをしていた。優人に近づきたいらしく、ずりずり畳のほうへ、膝を引きずりながら歩き出す。手を使わないのは、鞠を手放したくない一心なのだろう。


童子は宝物のように、鞠を胸にかき抱いていた。どんどん花火玉の火薬がだめになっていくのを感じる。


 優人は、謎の液体が徐々に畳を侵食していくのに冷や汗を流しつつ、小走りで駆け寄った。いくら濡れるのくらい気にならないといっても、できるだけ掃除の分量は減らしたい。


 畳のへりにたどり着いた千一の前で、優人は屈み込むと、


「いいですか千一君、必ずこれを花火職人さんのところへ持っていくんですよ。大事なお金ですからね」


 封筒を差し出す。


 千一は目をぱちくりさせ、封筒を見つめた。どう言い含めれば、分かってくれるであろうか。


 と、唐突に千一は羽織の袖に手を突っ込む。花火玉は縁側に落ちて、ころころと転がった。


 ごそごそと何かを探っていた千一は、


「先生の一挙動を見て推理したんですけど、封筒の中身はお金ですね! しかも大金です! どうですか名推理でしょう! ですが子供だからってこっちも負けていませんよ! どっちがお金を持っているのか勝負です!」


 がま口財布を取り出した。


 丸っこくて可愛らしいが、いかんせんどことなく安っぽい。地味な色合いの布でつくられているため、みすぼらしい印象を与えるのだ。


 ただ、(ガマ)の腹は、ぱんぱんに膨らんでいた。


「おや、もしかして職人さんに、ちゃんと払っていたのですか?」


 優人は前向きな考えを口にする。


 たしかに、千一は値の張りそうな衣装に身を包んでいる。お金持ちのお坊ちゃんでも不思議ではない。


だが、常識などまるきりなさそうであるし、仮に大金を持っていたとしても、きちんと払うのか怪しいものがある。


 それでも、千一を信じたい気持ちがあるのだ。


「見せ合いっこしましょうよ先生! ちょうど全財産をお財布に入れていたところだったんです! これは勝ちましたね! だって全財産ですよ! 百万は確実に入っていますから! 勝負を諦めるなら今のうちですよ! あっ! 今のはなしで! 自慢したいのでつき合ってください!」


「ええ、ぜひとも自慢してください」


 千一は大喜びという言葉がまさに似合う調子で笑うと、白い指先をひねり、口金を開ける。


 中から引っ張り出したのは、百万はあるのではないかと思われる札束だった。


 優人もさすがにここまでの大金を本当に持っているとは予想しておらず、言葉を失う。


「これは……」


 優人はおずおずと札束を受け取る。


 札束はしわくちゃで、若干濡れているが、紙幣独特の手触りがあった。


 だが、


「……これは」


 優人は封筒を縁側に置くと、札の皺を優しく両手で広げる。


 書かれている文字も模様も、日本の紙幣とはかけ離れていた。肖像もなければ、すかしもない。文字は筆で書かれたようにみえるが、漢字でもひらがなでもなかった。


 単純に考えれば、紙幣に使うような紙に、いたずら書きをしたら、こうなるであろう。

 手作り感満載である。


「……外国のお札ですか?」


 優人は空とぼける。


 頭の中では、千一が偽札を一枚一枚手作りしている姿がありありと浮かび上がっているのだが、そんなことなどおくびにも出さず、優人は蚊取り線香の時のように、そっと封筒を千一の袖に入れようとする。


「すごいでしょう先生! お金持ちっぽいでしょう!」


「参りましたね……完敗です」


 優しい嘘というものである。


「これで先生に見劣りしないお金持ちになりました! お金持ちっぽい会話をしましょうよ! とりあえずこのお札を燃やしましょうか! まだ明るいですけど!」


「見劣りなんてしませんよ」


「お金持ちの御曹司さんって呼んでもいいんですよ先生! あれ先生!? どうしてお金持ちである御曹司さんにおひねりを渡そうとしているんですか!? さすがにお金をただでもらえるほど偉くありません! 買いかぶっちゃだめです! 羽子異蛇(はごいた)じゃないんですから!」


「羽子板ですか?」


 千一はその瞬間、まるで翼があるかのように、ふわりと飛び退り、庭に着地する。こつんと、革草履が沓脱ぎ石に当たった軽い音がした。優人の手の中にある封筒は、濡れてしおれたようになっている。


 すんでのところで押しつけそびれてしまった。


「それとも、目の保養になったことに対する代金ですか! それならいいんですよ! なんたって目の保養になったんですから! あっ、でもなんだか友達料みたいで嫌な気がしてきました! いえ嫌です! そんな悲しいことはやめましょう! お金なんてなくても友情は買えるんです!」


 千一は、いつものように人の話を完全に無視して、ぺらぺら勝手に喋りまくる。

 優人以外にこんなことすれば、本人だけが楽しい言葉のドッジボールになっていることだろう。


 今はそうも言ってられないが。


「そんなことじゃないんですよ、千一君。このお金は花火職人の方に渡してほしいんです。楽しいおつかいですよ」


「羽子板と羽子異蛇って別物なのに親近感がわきますよね! ついでに蛸や凧とも仲良くしたいです! 知ってますか! 凧って引きずり回して遊ぶのが正解らしいですよ! 本で見ました! でも絶対凧を揚げられない人が勝手に言い出したルールですよね! だって凧は空に揚がっていたほうが楽しいですから! もっと楽しいのは体を凧にくくりつけて天高く舞い上がることですけど、糸を持っていてくれる人になかなか出会えないんです! 先生! たこ焼きが食べたいです!」


「夏祭りはもうすぐですよ」


 優人は濡れて垂れ下がった封筒を伸ばす。が、封筒はすぐにぱたりとお辞儀した。どうやら、修復不可能なようだ。優人は小さなため息を一つ吐くと、立ち上がる。戸棚へ戻った。


 こんな濡れているものをお詫びに渡すわけにはいかない。


 千一に渡す以上、どうやっても濡れるのは仕方がない気もするが、まだ工夫の余地はある。ビニールか何かに入れたら、完全とは言えないまでも、水害を防ぐことができるかもしれない。

 たしか、いらなくなったビニール袋を、茶の間にあるタンスにしまっておいたはずだ。ついでにタオルも持ってこよう。千一も優人自身も、もう、ほとんど乾いてしまっているが。


「先生はたこ焼き器を持ってますか! まん丸いたこ焼きがずらっと並んでいるのは、とっても可愛いですよね! しかもおいしいなんて幸せだらけです! 不幸なことなんて一つも――あっ! たこ焼きを食べたら熱いです! 火傷したことが数えきれないほどあります! そのたびに落ち込みました! 不幸せです! 幸せは簡単には手に入れられないんですね!」


「でもたこ焼きはおいしいですよ」


 優人が離れても、千一は沓脱ぎ石の上で、身ぶり手ぶりを使って盛り上がっている。ずっと騒いでいて、よく疲れないものだ。戸棚の中を引っかき回しながら返事をする優人は、目の端にひらひら舞う、艶やかな羽織に感心さえ覚える。


「あ、新しい封筒がもうないですね……茶の間にはあると思いますから、ちょっと取ってきます、ほかにもいろいろと。そうだ、タオルも持ってきま――」


 優人は顔をあげて、千一のほうを見やる。


 マフラーのすそがはためいた。


 するりと、障子の陰に千一のマフラーは消えていく。薄い人影が障子を横切るのが分かった。


 優人は目を見開き、慌てて縁側へ駆け寄る。


「千一君?」


 だが、何度庭を見回しても、すでに千一の姿はなかった。

 振り向いた時には、マフラーと影だけとはいえ、たしかにそこにいたというのに。今は気配さえ感じられない。

 優人はサンダルを履き、縁側の下や、灯籠の裏など、隠れられそうな場所を探す。


 だが、それでも千一はいなかった。


 優人ははっとして、門まで走る。その途中も千一の姿を目で探したが、やはりどこにもいない。

 仰々しい門をくぐり抜け、外に出ると、


 視界を埋め尽くさんばかりに、青田が広がる。


 隠れるところなど、何一つもない。左右を見回しても、電柱や街灯くらいしかない細い道路が、どこまでも続くのみだ。いくら千一の背が低く、その上屈んでいたとしても、隠れるのは到底不可能であろう。


 優人は千一の姿がないことを把握すると、急ぎ足で家に引き返した。広々とした庭のどこかに隠れていないか、念入りに探す。隅々まで、まさに草の根を分けて探しまわった。


 だがそれでも千一はどこにも見当たらず、屋敷の中も探したが見つからず、優人は再び外へ出た。


「千一君……」


 見渡す限りの青田を、優人は半ば呆然と眺める。


 みずみずしい稲は、風に揺れて、まるで大海原に広がる、静かな波のようであった。


 家の裏は小高い山であるし、隠れられる場所など、やはり、どこにもない。


 優人は、柔らかい緑色をした稲田と、遠くのほうに見える家々を、ただただ呆然と眺め続けた。

 まだ、お金を渡していなければ、別れも告げていないというのに、本当に、いつも心臓に悪い別れ方しかできないものだ。


 次、来るのはいつであろうか。


 雨上がりの澄みきった風が、波の音をここまで運んでくるような気がした。

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