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千一夏物語~優しい推理と奇怪な童子~  作者: 石切舞
第一章 不思議な鞠
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不思議な鞠のおはなし(一)

 ころころと、鞠が庭に転がってきた。


 清水優人(しみずゆうと)は、ちゃぶ台の上に置いたノートパソコンから顔を上げる。視界の端に、鮮やかな何かがちらついたのだ。


 開け放たれた障子の先に見える庭には、青々と緑が茂っている。多種多様な草木が生えていた。どれも剪定され、形を整えられている。

 夏の強い日光に照らされて、広い庭はまるで光り輝いているように見えた。


「鞠……?」


 優人は首を傾げる。いくら古めかしい日本家屋の我が家でも、鞠は一つも置いていなかったはずだ。鞠を持っている知り合いも見当がつかない。

 とにかく、もっと近くでよく見てみようと、優人は腰を浮かしかけた。


 と、その時。


 小さな人影が鞠に駆け寄る。


 今、家にいるのは優人だけだ。父母や弟は出かけている。

 優人はその姿を認めて、パソコンを消した。持ち帰った仕事は、しばらくお預けになるだろう。


「こんにちは、千一(せんいち)君」


 鞠を両手で包み込んだ子供は、優人のほうを見て、にこりと笑った。


 清水家の屋敷は、昔ながらの高い塀に囲まれているが、門はよほどのことがない限り、開け放たれている。こうした予期しない来訪者も、珍しくない。


 今回の場合は、少し勝手が違うが。


 その子供は、七五三に着るかのような派手派手しい羽織袴を身にまとっていた。鞠を持つそのたたずまいは、まるで浮世絵から飛び出してきたかのようである。お洒落な柄のマフラーをしている点だけが、少し現代風だろうか。夏真っ盛りである今、それ自体かなり浮いているものの。


「先生! 見てくださいこの不思議な鞠を!」


 千一は飛び石の上を歩きながら、優人に近寄ってきた。ぴちゃり、ぴちゃり、と千一が歩を進めるたびに、袴から水滴が零れ落ちる。羽織の袖から雫が散った。


 優人が縁側まで足を運ぶ頃には、千一は沓脱ぎ石(くつぬぎいし)までたどり着いていた。得意顔で鞠をかかげる。


 優人は鞠を受け取ろうとした。が、千一はがっしり掴んで離さない。どうやら本当に見せるだけらしい。


「どうですか先生! 褒めてもいいんですよ! 鞠をここまで無事に運んできたことを! ミッションコンプリートです! あぎにあです! ほら、鞠と同じくらい丸い頭がここにあるじゃありませんか! ほらほら! 褒める時によくやるあれです!」


「えっと、撫ぜればいいんですか?」


 仕方がないので、優人は手持ち無沙汰になった手で、千一のおかっぱ頭を撫ぜてみた。千一は目を細めて笑う。普通にしていても、千一はまぶたを半分ほどしか開けていないため、目を細めたらほとんどつぶっているように見える。


「そのままでお願いします! 手が離れたら悲しい体になってしまいました! 先生のおかげですよ!」


「ありがとうございます」


 先生、と呼ばれているとおり、優人は古ノ江(このえ)小学校で教師をしていた。

 といっても、千一は古ノ江小学校の生徒でもなければ、古ノ江に住んでもいないが。


 清水家は代々地主の家系であり、優人自身若年ながらも、古ノ江の顔ぶれはおおかた把握している。

 おかっぱ頭をしている羽織袴の子供など、心当たりは微塵もない。


 そもそも、なぜか首から下がいつもずぶ濡れな(・・・・・・・・・・)子供が古ノ江にいれば、知らないはずがなかった。


 たしかに、古ノ江は海が近い。羽織袴のまま海に入ったら、ああなるだろう。

 だが、どんなに時間が経っても乾かないどころか、零れ落ちる水量が多すぎるのだ。服の下で液体を生産でもしていなければ、ありえないくらいの量である。


 そんな謎多き千一は、今年の夏ごろから優人の前に現れるようになった。


 ぺらぺらと一人で盛り上がったあげく、目を離した隙に、どこかへふらりといなくなってしまう不思議な子供だった。残るのは、正体のわからない水たまりだけだ。


「きれいな鞠ですね。千一君のものですか?」


「この鞠は普通の鞠とは違うんです! たくさんの鞠で遊んできましたが、遊んじゃだめって言われる鞠に会ったのは初めてでした! それどころかこうして持っているだけで怒られる始末です! ですが、大丈夫だって言う人もいるんですよ! 訳が分かりませんよね! どうしろっていうんでしょう! しかも、大丈夫だっていう人の中にも、お前は触るなって限定的にお断りされる場合もあるんです! もう困り果てるしかありません! 助けてください先生!」


 千一は白い頬を膨らませる。とても可愛らしい動作だが、千一がやれば少しちぐはぐな印象を受ける。目が完全に開いていないせいで、眼球に光が反射しておらず、虚ろで、感情が読み取れない印象を受けるからだろう。


 顔立ち自体は、少女と見紛うばかりなので――そもそも、千一が男なのかどうかも、優人が勝手に名前の字面と服装で判断しただけなので、定かではないが――とても愛らしいのだが。


「それは困りましたね」


 優人は千一の手の中にある問題の鞠を、しげしげと見やる。

 鞠は、赤を基調としながらも、青や黄色など、色とりどりの糸で編まれている。柄は一般的な二つ菊だ。指を這わせて手触りを確かめてみるが――片手は千一の頭に置いたままだ――特におかしいところはない。ただの鞠にしか見えなかった。


「これが、触ると怒られる鞠ですか……何か危険がある、ということでしょうか……? 壊れ物でもなさそうですし……」


 鞠は庭に転がってきたものだが、糸のほつれ一つない。落としても、問題はなかったということだろう。もっと高いところから落とせば何か分かるかもしれないが、それなら普通の鞠だって、手荒に扱えば壊れる。なぜこの鞠だけ特別なのだろうか。


 千一にだけ触るのを禁止したという者は、鞠が濡れるのを嫌がったからだとは、容易に推測できるが。


 鞠は、濡れた手で掴まれて、色が部分的に濃くなっていた。さらに時間が経てば、羽織袴と同じように、ぐっしょりと水をしたたらせるに違いない。断わられるのも、致し方ないだろう。


「それか、かなり値打ちのあるものか……昔の貴重なものかもしれませんね……もしくは、持ち主にとっては大切な思い出の品という場合も……」


 優人は眉を寄せる。千一を撫ぜる手を一旦止めて、考えに没頭した。わずかに首を傾げる。


「いえ、それだったら、遊んでもいいと許すのは、おかしいですかね……? うーん……鞠の持ち主が心の広い方で、周りの人が止めているパターンでしょうか? 千一君、これを持ち出す時、何か言われませんでした?」


「鬼が近くにいたら蛍みたいに光る刀を知っていますか! あんわみたいにきれいなんですよ! 前に一度見たことがあるんですが感動しちゃいました! 涙がなぜか出ましたよ! 悲しかったからですかね!」


「感動しても涙は出るんですよ」


 千一が意味の分からないことを言うのは、いつものことだ。もう慣れている。


「鞠麩のお吸い物が食べたくなってきました! あれってもちもちしてて美味しいですよね! 大ファンです! ご飯のお供に毎日でも食べたいです! それが無理なら見るだけでも十分なんですけど! 透きとおっていてきれいですよね!」


「何か別のものと間違えているのではありませんか?」


「先生は何味が好きですか!」


 話を聞かないのも、いつものことだ。


 ちなみに優人は、お吸い物の味が染み込んだ麩の味が好きだった。簡単に言えば、お吸い物の味が好きだった。そもそも、麩というのは食感を楽しむためのものではないのだろうか? 優人は、ご飯のお供になる麩のことは、残念ながら知らなかった。


「もしこれが何らかの価値があるものなら、早く返したほうがいいと思いますが……」


 ふいに、優人の手から、千一のおかっぱ頭の感触がなくなる。


 千一は優人の手を離れて、縁側に飛び乗ろうとしていた。優人の隣に座りたいらしい。両手で鞠を持ったまま、後ろ向きにジャンプする。優人は慌てて千一を抱え、縁側に座らせてやった。謎の液体で濡れてしまったが、ただの水にしか見えないこともあってか、嫌悪感はない。


 一応、沓脱ぎ石の上に千一はいたが、そこまで沓脱ぎ石は高さがあるものではないし、そもそも圧倒的に千一の跳躍力が足りていない。ちょっと浮いた程度では、さすがに無理があったのだ。


「鞠が大事なのは分かりますが、それでは尻餅をついてしまいますよ、千一君」


 優人も腰を下ろす。千一のすぐ後ろにあった蚊取り線香を、自分の隣に移した。優人は両側を、煙と謎の液体を出す物体に挟まれる。


 受け皿の上に乗った何の情緒もない緑の渦巻きと、縁側をさっそく謎の液体で汚している童子を、優人は交互に見やり、微笑を浮かべた。どうやらこの組み合わせが気に入ったらしい。


 完璧に居座るつもりらしい千一は、そんな優人を見上げる。かぱっと大口を開けて、笑いかけた。


「手毬唄ってあるじゃありませんか! あれって鞠をつきながら歌うそうですが、無理がありますよね! どうやったらリズムよく鞠をつけるのか皆目見当がつきません! だって歌いながらですよ! 頭がこんがらがります! すごく困った事態になるんです!」


「ちょっと難しいですよね」


「しかもこの鞠あんまり弾まないですし! 新しいのが欲しいと思って別のにしてみても、弾まないどころかまた同じように怒られました! この鞠は十二個目の怒られた鞠です!」


「十二個目……?」


 優人はぴくりと反応する。どうやら価値のあるものという推理は間違っていたようだ。十二個すべてに価値があったと考えることもできるが、すぐに新しいものに代用できるという言い方が引っかかる。

 量産品に対するものの言いぐさのように思えた。


 重要な情報をさらりと言ってのけた千一は、革草履を履いた足をぶらぶらさせる。揺らしすぎて草履が脱げてしまいそうになっているが、どこ吹く風だ。さらに体を左右に揺らしたかと思えば、鼻歌を口ずさんだ。有名な手毬唄のメロディを少しアレンジしたもののようである。アレンジした箇所だけ調子が外れて、思わず耳を疑うほどの音痴になっているため、すぐに分かった。


「お気に入りなんですね」


 優人は、千一の太ももの上に乗せられている鞠を眺める。


 千一の両手はいまだに、鞠を拾った時のまま固定されていた。片時も手放したくないのだろう。十一個も交換した後であるが。


 ふいに、優人はうつむきがちになり、口元に手を当てた。眉を寄せる。考え事をする時の癖だ。


「さてと、価値のあるものでないとすれば、危険物ということになりますが……鞠が危険になることなんて、あるのでしょうか……?」


 だが、それ以外考えられないという気もする。


「困りましたね……」


 早々に行き詰ってしまった。


 言いぐさがまぎらわしいだけで、本当はかけがえのない価値のあるものなのだろうか。それとも、蛍のように光る刀や、透明な鞠麩のように、優人の常識では推し量れないもののことを言っているのかもしれない。


 だとしたらお手上げだ。


 千一の見ている世界と、優人の世界は根本的に違うようだから。

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