闖入者の御訪問
アルバート皇子殿下にお会いして、精神的に疲れながらもユージットと楽しくおしゃべりして元気になったセレスティアです、皆さまごきげんよう。
いや、うっかりしてた。没落後のことばかり考えていたけれど、よくよく考えてみれば、この世界はもうすでに乙女ゲームの設定とはズレ始めている、はずだ。だったらユージットを大事にしない方がおかしいし、何を怯えていたんだとさえ思う。
ユージットは、今は私の婚約者様だ。容姿が気に入らないわけでも、性格が気に入らないわけでもない。私はただ、ユージットがいつか自分から離れていくんじゃないかと自分の不安を優先して、その後のことしか考えてなかった。
ユージットだって同じように不安がっているなんて、思ってもいなかったのだ。
でもお互いに同じような不安を抱えていると話し合って、私たちはこれまで以上に仲良くなれたと思う。愛情とかそういうのはまだまだかもしれないけど、少なくとも信頼し合えるようにはなっているはずだ。
――とまぁ、こんな感じで私は結構浮かれていたのである。
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『―――侵入者ですってよ皆さま!!侵入者ですってよ皆さま!!侵入者ですってよ皆さま!!』
私とユージットの共同開発した魔道具『屋敷警報装置』が作動して、高い子供の声(私の声である)が屋敷に響き渡った。この警報装置、非常に優秀かつ画期的な開発品だったのだが、登録人数が少なすぎて使用人にも反応するようになってしまった没作品である。
ユージットの屋敷ほど広くない我が家でも、メイドが通るたびに、侵入者ですってよ皆さま!と叫んでくれたので、担当のメイドと自分しか出入りしないだろう自分たちの部屋のバルコニーに設置されることになってしまったという、少し残念な経緯がある。
だが、その謎発明品が、ここにきて脚光を浴びた。寝間着に着替える前でよかった。私が部屋から飛び出すと、使用人たちが慌てて出てくるのはほぼ同時だった。音の発生源を探ると、……姉である、エルヴィアの部屋から、だった。
血の気の引いた私がドアを壊しかねない勢いで開けると、
「、ぃたっ、あ、」
ネグリジェ姿の姉を抱き込もうとしている不審者がいた。
そこから先の記憶は曖昧である。ただ、私はどういうわけか持っていた香水瓶(おそらく護身用に持ってきてしまったんだろう)を鮮やかなフォームで侵入者に投げつけ、見事に気絶させ、それだけでは飽き足らず、その侵入者の後ろ手を捩じり、馬乗りになって姉に何をした!!と怒鳴ったらしい。
「それはそれは見事な捕縛術でございました」
とは当家の執事のセリフである。どうしよう、全然嬉しくない。
そしてエルヴィアは逆に真っ青になっていた。部屋に忍び込まれた所為かと思い、どうしたのか、と問えば指先をわずかに震わせたあと、
「こ、この方、ジオトリック、と、名乗られて」
それは、現皇太子殿下の弟君の名前である。
起きてきた父母、使用人全員が、沈黙した。だが、私は高らかに笑う。
「いいえ、お姉さま、それはありえません!」
若干声が震えているのは動揺してるからではない。決してない。
「なぜ?」
「だってそうでしょう?もし本当に皇子殿下であらせられるのなら、私が投げつけたもので気絶などありえません!普通にかわせるでしょうし、この方、普通にぶつかって倒れたんですもの。そんなひ弱な人間が皇子などありえませんわ」
幼少期からのスパルタ教育でもって皇族は成り立っているという。それが高々一発KOとはいくらなんでもあり得ないだろう。私はふふん、と胸を張った。
「もし仮に、皇子殿下であったとしても、今回のことは絶対公にはされないはずです。女性の部屋に忍び込んできたら、その女性の妹が投げたものがぶつかって気絶した、などと、外聞が悪すぎます」
「―――まったくもってその通りですよ」
その声に私は背筋を震わせた。人がいないはずの場所から聞こえた声。そして再び聞こえる、警報装置の音声。
「――初めまして、タスメイキア家の皆さま。私はサツキ、そこの馬鹿の監視役みたいなもんです」
逞しい体躯をした30代くらいの男性。ばさりと羽織っていた上着を下ろすと、その下からは帝国騎士団の上着が出てくる。全員が、絶句した。その人は、窓の前でゆっくりと一礼した。侵入者ですってよ皆さま!!の声が高らかに響く。
………非常に場違いだ。
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さて、ここで一度、この帝国の皇族について説明しておこう。
現皇帝こと、ウォーレン陛下。御歳60歳。ロマンスグレーという言葉を体現しており、今だにサロンのご婦人方には大人気の渋さあふれる皇帝陛下である。夫婦仲が大変良かったため、皇帝夫妻は3人の皇子と2人の姫に恵まれた。その息子、長男で現在皇太子のザッカリー様は現在32歳。この方の長男がアルバート殿下である。
そして、今回登場したジオトリック様は、皇太子殿下の末の弟君であり、御年20歳である。現在、皇太子殿下の他の御弟妹は全員結婚によって帝都を出ていることと、アルバート殿下が成人の儀を行っていないため、実質、帝位継承権2位の御方である。
つまるところ私は、皇帝陛下の御子に、正真正銘の皇子殿下に、香水瓶を投擲して気絶させたのである。
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「あの、どうぞ、今回のこと、咎めるのでしたら私一人に、」
とりあえず、と場所を移して母と姉は着替えに下がり、メイドが紅茶を出してくれた。そんな中、咄嗟に出てきた言葉がこんなのだったあたり、私も冷静とはいいがたいらしい。だって、今現在メイドたちが介抱している男性は、皇子殿下、なのだから。
サツキさんは頭を抱える私を見て手を振った。
「気にしなくていい。正直、スカッとした」
それ言っちゃっていいんでしょうか。私の視線にサツキさんはくつくつと喉を震わせる。
「あいつ、君が投げたものをわざと受けてやるつもりだったのさ。そしたら、香水瓶だったもんだから匂いにやられてバタンキュー。いやぁ、素晴らしかったよ。」
「いやあの、…私や家族はみんなこれ慣れちゃってたので、すみません、」
香水瓶を丸ごとかぶれば、確かに匂いに耐性がなければ気絶だろうな。私は小さく頭を下げた。
「とりあえず、馬鹿をやったのは殿下自身だ。正直、いくら話す口実だとしても、やりすぎだとは思っていたんだ。君や君のお姉さんには怖い思いをさせて申し訳ない」
ん?
「話す口実、とは?」
「タスメイキア家に入れておきたい情報がある。まぁ、お姉さんや夫人がそろってからにしよう」
嫌な予感が、ビシビシしますな!!
脳内だけでも盛り上がらないとやってられない、私はそう思った。
「―――すまなかった」
起きるなり完璧な土下座をジオトリック皇子殿下はして見せた。思ったんだけど、この世界ってところどころ純和風過ぎない?米食普通にあるし。
「か、顔を上げてください、」
姉のエルヴィアは真っ青だ。もとはと言えば、自分が悲鳴を上げたせいで、と考えているんだろう。ぶっちゃけ、姉が悲鳴を上げなくても警報装置でバレバレだったのだが。
「いや、君にも、そちらの妹君にも申し訳ないことをした」
「ですが、」
「謝らせてくれ。いくらなんでもないな、と我ながら憤死しそうなくらいに恥ずかしい、」
「あの、お話があると伺ったのですが、」
これ以上話を続けてもしょうがない。どのみちこれは内輪でなかったことにされるのだし。
私が水を向けると、ジオトリックはゆっくりと息を吐いた。
「そうだったな。セレスティア嬢は、君かな?」
どうやら、話は私に対するものだったらしい。伯爵家じゃなかったのか。
それまで黙っていた父親と母親が互いに顔を見合わせて不安げにこちらをうかがっている。
「実は、君をアルバートの側妃として挙げようという話が出ている」
私の手から、紅茶のカップが滑り落ちた。
「……どういうことですか?わたくしには勿体ないほど素敵な婚約者がおります、」
目の前の人はそれを伝えてくれただけだとわかっているのに、声が震えるのが止められなかった。私のこわばった表情にもかかわらずしっかりと言葉が出てきたのを見て、サツキさんは面白そうに口元を緩めた。
「君が、アリスティアとともに茶会に招かれたのを目撃した人間から、噂が出ている。アリスティアが、君を新しい婚約者としてアルバートに紹介したのではないかって」
「そんなことありえるわけないじゃないですか!!」
思わず食って掛かってしまった。その剣幕にジオトリックはくつり、と笑う。
「まぁ、よかったよ。君がそんなに怒ってくれるってことは、少なくとも君にはその気がないんだね」
「当たり前です!私には素晴らしい婚約者がいますし、アリスティア様は私の友人です!!」
「ふふっ、ふ、そうか、それなら、大丈夫そうだな」
ジオトリックが紅茶を飲み直す。そのタイミングで、姉が口を開いた。
「あの、ご訪問の理由はそれだけですか?」
「うん?なぜだい?」
エルヴィアは一瞬だけ目を伏せて、静かに顔を上げた。
「普通に考えれば、いくら皇子殿下の婚約と言えど、既に決まった相手のいる者同士を別れさせてまで定めようとするとは思えません。皇子殿下にも、妹にも先約がある以上、そのような真似は醜聞になります。つまり、勧めるメリットは本来ないはずです」
うんうん、とジオトリックが優秀な生徒の答えを聞く教師の顔で笑う。
「ですが、それではジオトリック殿下がわざわざいらっしゃった理由としては、小さすぎます。何か、本題があるのではないですか」
言われてみればその通りだ。ユージットを蔑ろにされた気がして激昂してしまったけれど、そもそも、売約済みを皇子に宛がうのはありえない。アルバートは私と同じ10歳。アリスティアが完全復活したというのも入ってきているはずなのだ。急いで婚約者候補を打ち立てる必要はないだろう。
ジオトリックはエルヴィアと私を交互に見て、ゆっくりと頷いた。
「素晴らしい。君たち姉妹はどちらも非常に聡明だ。さて、本題なんだが、これはエルヴィア嬢に持ってきたものだ。―――私と、婚約してほしい」
「はぁっ?!」
思わず上げた叫び声は淑女には程遠い。だが、シスコン上等の私が、茶器を投げつけなかっただけでも褒められるべきだった。