夜会の精霊 下
1/2
精霊は、公爵令嬢でした。みなさまごきげんよう、セレスティアです。
現状で私の心情を一言で言いましょう。
たすけて
それに尽きる。もうやらかした、なんて言葉が軽く思えてくるくらいだ。さぁっと血の気が引かせて青を通り越して白い顔になっている私に、アリスティアと名乗った公爵令嬢は微笑んだ。
「…初めまして」
細く儚げな声。それでもしっかり声が出ていることに感動してしまった。良かった!と私の前世がプラスされた大人な部分が泣いている。立った!クララが立った!
そこではっと我に返る。そうか、彼女は『あの時の事』はなかったことにしてくれるということなのだ!よかった!!思わず満面の笑みになりながら、私は答えた。
「初めまして。わたくしは、タスメイキア伯爵家次女、セレスティア・フォン・タスメイキアと申します」
教えられた形通りの礼はたぶん、ぎこちなかったに違いない。けれど、アリスティアは心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「セレスティアとおっしゃいますのね。この度は、ようこそ、レートバット領にいらっしゃいました」
嫋やかに笑う姿はまさしく天使!!可愛い!
いや、こんな天使みたいな子がいたら、そりゃ、精霊だって勘違いするって。
「ええと、セレス、…知り合いか?」
ユージットが小声で問いかけてくる。そりゃそうだろう。まずお目にかかれないような上流貴族が私に向かって一目散にやってきたら、そりゃ、吃驚するよね。
「あら、こんにちは。ユージットさんと、…そちらはタスメイキアのお嬢様ですわね。タスメイキア伯の開発商品、とても愛用させていただいていますわ。ぜひ、作った方にお会いしたいと思って、御呼びしましたの」
やってきたのは綺麗なご婦人。アリスティアが、お母様、と呼んだのでこの人がレートバット公爵夫人なのだろう。
さらりとアリスティアがユージットに説明する。なるほど、と納得しているユージットに、本当のことを言おうかどうか悩んでいると、夫人が言った。
「そうだわ!もしユージットさんとセレスティア嬢がよろしかったら、少しアリスティアとお話ししていただけないかしら?」
疑問文命令形というものをご存じだろうか。形式は疑問形だが、断る選択肢がないことである。類例としては、はい or YES が上げられるだろう。
「えぇ、ぜひ」
私は笑みを浮かべながらも思う。あぁ、これ、終わったかもしれない。
「―――先日は、ありがとうございました」
アリスティアは先ほどの私の礼なんて比べ物にしてはならないレベルの美しい所作で頭を下げた。隣でユージットがぎょっとしているのを見ながら、私も慌てて彼女に言う。
「気になさらないでください!寧ろ、私、じゃない、わたくしの方がとんでもない非礼を、」
「あの!……本当に、感謝しているんです」
彼女は私の手をそっと取る。白くて華奢な手の体温は思ったよりも低く、私は小さく息を飲んだ。
「セレスティア様がいらっしゃらなかったら、きっとわたくしはこのような場には出られず、声も出せないままだった…、本当に、ありがとう」
美しい空色の瞳に涙をためて、少女は微笑んでいた。なんて美しい。私が画家だったら、確実にこの情景を一枚の絵画にしていただろう。
「そんな、私、あなたのこと、」
精霊呼ばわりって一般的に考えてよくないんじゃないだろうか。そう思って慌てて声をかけようとした。
ぴたり、と人差し指が立てられる。アリスティアは少し悪戯っぽく笑った。
「どうか、わたくしのことは、アリスティアと名前で。敬語も結構です。……差し出がましいのは百も承知なのですけど、私を助けてくださったあなたと、お友達に、なっていただきたいのです」
可愛い美少女からお友達になってください、と頼まれて断れる人間がいるだろうか、いやいない(反語)
私はゆっくりとその手を握って、笑った。
「敬語は、おいおい取れたらと思いますわ。…他のことは、喜んで。アリスティア。私のことはセレスティアとどうぞ呼んでください」
「はい、よろしくお願いしますね!」
キラキラと輝く瞳に、いろんなものが浄化されそうになったその時、ぽん、と私の肩に手が乗る。
「随分とレートバット令嬢と仲が良いみたいだけど、何があったの?」
満面の笑みなのに、背景に何か黒いものを背負っているユージットが、立っていた。
「―――ということで、わたくし、一時的に声帯がマヒしていたようなのです。それを助けてくださったのが、他でもないセレスティアだったのです」
アリスティアは普段から敬語なのだという。流石お嬢様。こんなところまでお嬢様要素しかないとは。
私が妙な関心をしている隣で、ユージットは目を半眼にしている。
「セレス、一つ聞いてもいいか?」
「はい」
「森に、一人で入ったの、いつ?」
「森と言っても小さいものですよ?入ったのは…3日前ですね」
森と聞いて心配されたのかと思い、言い訳じみたことを並べた。どういうわけか、ますます不機嫌になるユージット。え、そんなに危ないの?
「ならせめて僕を誘うとか、」
「公爵家のところに、こちらからいきなり手紙など出せません」
「……君はてっきり、昨日来たものだとばかり思ってたのに」
どうやら、私が一足先にこの領を満喫していたのが不満であるらしい。子供か!と突っ込みそうになって気づく。そうだよ、子供じゃん。
私は仕方ないなぁとちょっと大人っぽく笑った。
「なら、森は私が案内いたしますわ」
「そうじゃなくて、………僕ばっかり会いたかったみたいじゃないか」
完璧な提案だと思ったのに、ユージットはぼそり、呆れたように何事かを呟いた。後半部分が聞き取れなくて、慌てて聞き返す。
「あの、何か仰いました?」
「いや!何も。…そうだ、なら明日は、馬に乗せてやる」
え!馬に乗れるの?!
乗馬体験なんて数える程度しかしたことがなかったし、移動は貴族らしく馬車だった。興味を示さないわけがない。思わず目を輝かせてしまった。
それを見てユージットは、私が尊敬のまなざしを向けていると思ったのだろう。片眉を跳ねあげ、機嫌よさそうに紅茶を飲んだ。
アリスティアはくすくすと笑う。
「ふふ、噂通り、本当に仲の良い婚約者同士ですね」
「そう、みえる?」
私の言葉をどうとったのか、アリスティアはやおら真剣な眼差しになるとすっと手を取ってきた。
「セレスティア、わたくしは貴方の一番の友人となります。ですから、謂われなきことや見下されるような真似をされたら、リーゲル様のためなどと考えて堪えるようなことはなさらずに、ご相談くださいね?」
そう言ったアリスティアは完全に公爵令嬢の顔になって居た。なんというかこう、凛としているというか。彼女はすっとユージットを見る。ユージットもまたこくん、と頷く。
なぜか、二人はがしり!と握手をした。
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそどうぞよろしく。セレスティアのことも頼みます。男の僕では手が回らないことも多いですから」
「勿論です!わたくしの一族は皆、義理堅いのですから」
とりあえず、婚約者と自分の友人も知り合いになれてよかった。仲がいいのか?と言われるとちょっと謎だが、もしあれだったらアリスティアがユージットを持って行っちゃうようなこともあるかもしれない。
…ふと、そんなことに思い当たって、つきん、と針のような細い痛みが走った。一瞬で消えてしまったその痛みに、私は首を傾げる。変なものでも食べたかな。
そう思っていると、アリスティアが柔らかい笑みを浮かべて、紅茶を継ぎ足してくれる。公爵令嬢自ら侍女の真似事っていいんだろうか。
いや、この世界結構緩いところは緩いから大丈夫なのかもしれない。
「それにしても、なんだかわたくしも殿下に会いたくなってしまいましたわ」
「殿下?」
「あぁ、わたくしの婚約者の、アルバート皇子殿下です」
その時私に電流走る。
思い出した。思い出してしまった!そうだ、アルバート皇子は攻略対象、でもって、この目の前のアリスティアもまた、私と同じライバル役じゃないか!!