現状把握と家族愛
伯爵令嬢なんていうと、浮ついたお嬢様言葉と縦ロールのイメージが強いのかもしれないが、伯爵家にも上から下まである。うちは中の中。お金に困るほどではないが、政略結婚も考えないとね!という御家柄。
政略結婚とか伯爵なんて言葉、21世紀の日本では小説の中でくらいしか出番がないだろう。
そう、私、セレスティア・フォン・タスメイキアが、過去の自分を取り戻し、この世界がある乙女ゲームに沿ったものであると気づいたのは、父の言葉のおかげだ。
10歳の誕生日を目前に控えたある日の晩餐、父は宣言した。
「お前とユージット・ベル・リーゲル様を婚約させようと思う」
その名前を聞いた瞬間、電流が走った。ビリッと脳髄を駆け抜ける衝撃。そして、思い出したのだ。ある乙女ゲームの存在を。
『ファンタジーに恋して』略してファン恋。そして、その乙女ゲームに確かに、今聞いた名前と、私の苗字『タスメイキア姉妹』という言葉が出てきたのである。
さて、乙女ゲームで女の名前が出てくるとしたら、二つしかない。一つは主人公の友人役。だが、姉妹で出てきている以上、それはない。つまり、もう一つの選択肢が自然と考えられる。
――――――そう、ライバル役だ。
この絶望が分かるだろうか。つまり、これから私が婚約するであろう相手は、将来、どこの馬の骨とも知らぬ相手(主人公)にとられ、私は盛大に振られるのである。
物凄いショックだった。断ってやろうかとも思ったのだが、侯爵家と伯爵家なら伯爵であるうちの方が確実に弱い。メンツが命の貴族社会で断るなんて真似したら、ゲームより数年早く路頭に迷う羽目になる。断るに断れないとはこのことであった。
姉のエルヴィアは心配そうに私を見ていた。たぶん、衝撃で何も言葉を発さない私を訝しんだのだろう。
「セレス?」
「、……ごめんなさい、お父様。急なお話しだったから、びっくりしてしまって、」
「はは、まぁそうだろうな。1ヵ月後に、食事をと言われている。向こうは寛容な方だ。そう緊張しなくていい」
ちげーんだよお父様よぉ!
そう言ってやりたいのを堪えて、ふらふらと晩餐会を後にした。いや、いっそのこと反面教師的に応用できるんじゃないかとか色々なことが脳裏をよぎる。
ぼんやりしながら鏡の前に立った。パッとしない外見の割に、少しばかり吊り目が目立つ。
あぁ、美人っちゃ美人だけど、噛ませ犬だわね。
思わずため息をついてしまった。
『ファンタジーに恋して』の中で、私、セレスティアは顔の半分が隠れるくらいに前髪が長く、壁に隠れて主人公と自分の婚約者たちを窺う大分危ないキャラクターだった。自分に自信がないにもかかわらず、婚約者のユージット・ベル・リーゲルに対してストーカー的に執着しており、その結果、婚約者を奪う主人公に対しても嫌がらせを行っていた。そして当然、最終的には断罪され、婚約破棄される。正直、婚約者のユージットじゃなくても、セレスティアじゃなくて主人公を選ぶレベルで危ない女の子だった。
没落した、とは書かれていなかったが、侍女になって奉公に出ているとか何とかあったから、この家はお取り潰しに近いことになったのだろう。無理もない。姉と私しか後継ぎはいないのだし。
そこで、はた、と気づいた。そうだ、姉のエルヴィアもライバル役だった。というか、私と姉は二人そろって凶悪な姉妹で、ヒロインを、それこそシンデレラの義姉のようにいじめまくるのである。私は陰湿に、姉は陰口や悪いうわさを流す、という方法で。
そこまで考えて絶望する。なにこれ、最悪の姉妹じゃない……
その時だ。コンコン、と控えめなノックがした。こんな時間に誰だろうか、そう思いながら戸を開けると、姉がにこりと笑いかけた。
「お姉様、」
「夕食であなたが元気がないようだったから。……少し話しましょう?」
天蓋をカーテンのようにひいて、ベッドに二人で腰かける。こんな風に姉と過ごすのは久しぶりだった。
「…もし、嫌なら断ってもいいのよ?」
姉が心配そうに私を見る。
「私が行くことだってできるし、貴女一人が我慢する必要なんてどこにもないの」
じん、と胸に暖かいものがしみていく。凶悪姉妹なんて誰が言ったんだろう。姉はこんなにも優しいのに。
なぜ姉ではなく私に話が来たのか。それはタスメイキア家の跡取りとして姉は婿を取る必要があるからだ。逆にパイプとして使えるのは私だけなのである。
「いいえ。私は、いいのです。お姉様こそ、私がこの話を本格的に受けるとしたら、お姉様一人がこの家の責任を負うことになられます。きっと、おつらくなります、」
姉を案じるような言葉が出てきたのは、姉が普段から私に優しかったからだ。未来を変えようとかそんなたいそうなことを思ったわけじゃなかった。自然と、姉を心配する声が出てきたのだ。
「私はいいのよ。夜会に出るようになれば、相手はすぐにでも見つけられるもの。でも、貴方には選択肢すらない。これは、不公平だわ、」
「そんなことはありません。いくら家名を重視するとはいっても、お父様やお母様が酷い相手を私にあてがうとは、流石に思っていませんもの」
私が笑うと、姉は少し安心したように笑って、私の髪を撫でた。内心で、思う。
婚約、断りづらくなったな、と。
薄情ということなかれ。私にとっては死活問題なのだ。
*****
思い出したことを整理しよう。
まずはユージット侯爵。私が本格的にライバルになるルートだ。
このルートは、ユージットとイージーをかけて、イージットルート(笑)と呼ばれている。
ある意味チュートリアルに近く、一週目でも確実にハッピーエンドに到達できる、要はクリアしやすいルートなのだ。
そもそも、ユージットは、姉にコンプレックスを持ち、いつもどこか暗いセレスティアに愛想をつかしている。完全に私、セレスの片思い状態なのだ。加えて、ユージットの方が身分が高いし、さらに私が色々とやらかしたせいで、円満に(?)分かれることができる。
自分で書いてて凹んできたが、まぁ、私はライバルキャラとしてはそれほど怖くないのだ。
思わず頭を抱えた。そんな未来、絶対嫌だ。っていうか、黙って振られるのを待つとか絶対やだ。
一回婚約を破棄された貴族女性の末路なんて、簡単に想像できる。要は傷物、事故物件だ。二番目の相手とか絶対来なさそう。独身路線一直線だ。
そこまで考えて脳内で結論が出た。
つまり、私は一人で自立して生きていけるようにしなければならないのだ!
もう、こうなったら、ゲームとか知らない!私は誰でもない、私自身だ。好き勝手に生きて、ゲームの筋道を変えるしかない。
そんなことを思っていました昨日までは。
「――まったく、エルヴィア様はお嬢様の年ですでにこちらを終わらせていたのですよ?」
そう不機嫌そうに言う家庭教師に拳を決めてやりたくなった。
さっきからおとなしく授業を受けていればなんだよこいつは!教師ってのはもっとこう、できない子であっても誠心誠意教えていくもんでしょ!?何こいつ!
まぁ、教師が褒め称えたくなるくらい、我が姉、エルヴィア・フォン・タスメイキアは美しく優秀な人だ。美しい赤金色の巻き毛に、新緑の若葉のような大きく愛らしい瞳。正直、私と血がつながってるのを疑うレベルで美しい。対して私は、赤金色のストレートヘアに淡黄の瞳。条件としてはそれほど決して悪くないだろう、と思う。ただ、なんというか、地味なのである。
姉が薔薇や牡丹の花だとしたら、私は花束の時に添えられるカスミソウなのである。つまり、パッとしない引き立て役。
勉学や作法の出来も中の中。どこまで行っても平々凡々。分かっている。分かってはいる。
しかし、この教師、やたらめったら姉ばかりをほめる癖に私はひたすら馬鹿にされ続けている。ロリコンか、ロリコンなのか。ロリコンでもかわいくないとダメとかもう言葉にならない。正直、辟易してきた。
「聞いていらっしゃいますか?私はわざわざ、タスメイキア伯爵のご依頼があったからこそ、教鞭をふるう間を縫ってここにいるというのに、」
イラッとした。もう正直、猫脱ぎ捨てたいくらいにイラッとした。でも私は待っていた。このふざけた奴を徹底的にやり込められる、その瞬間を。
きぃ、と侍女が紅茶を持ってきたタイミングで、癇癪を起こしたようにヒステリックに叫ぶ。
「なら先生!私のことがそんなに気に入らないのなら、お父様に変えていただくようにいったらいかが?!お姉様のことをそんなに好きなら、結婚でも申し込めばいいのよ!!」
そう怒鳴りつけて私は走り出した。残念ながら身体は結構鍛えているので、周りにつかまることはなく、簡単に外に出られた。侍女が慌てて執事を呼びに行くのを視界の端っこで見送り、私は一人で裏庭に向かった。
やりすぎたかな。
そんなことを考えながら膝を抱える。でも私悪くないもん。あのロリコンが悪い。うん。
一人になったら、涙が出てきた。
これでも一生懸命やったのに、出来の良い姉と比べられてばかりだと、さすがにつらい。つらいというか、泣ける。そんなにバカかな、結構、頑張ったと思ってたのに。
「セレス、」
私のことを愛称で呼ぶのは家族しかいない。伏せていた顔を上げれば、姉が微笑んでいた。所々、服がほつれているし、髪の毛には葉っぱがついている。探してくれていたのだ、と一目でわかって、だから余計に申し訳なかった。
「姉様、今、私に近寄らないで、」
姉はびっくりしたように私を見た。驚いた顔さえも美人ってなんなんだろう。自分との差をまざまざと見せつけられて、余計にみじめな気持になって、目を伏せる。
「私、今、普段以上にずっとずっとブスなの。だから、お姉様の隣にいられな、」
言い切る前に衝撃が来た。姉がしっかりとわたしを抱きしめていた。ぐい、と泣いて鼻水も出ているだろう顔を上げさせられる。
「バカなことを言わないで。セレスティア、あなたはわたくしのかわいい妹よ。誰が何と言ったって、わたくしたちは姉妹だし、あなたはわたくしにそっくりなのよ?」
嘘だぁ、と思ったことが顔に出ていたのだろう、苦笑される。
「雰囲気は違うわね。瞳の色も。でも、それだけ。あなたはわたくしの可愛い、大切な妹なの。それだけは、信じて頂戴?」
急に涙が出てきた。人肌に安心したのか、それとも姉の言葉が胸を突いたのか。
「…私、お勉強、がんばったんです。でも、でも、お姉様のように、うまくできなくて、それで、『お姉様はこれだけできた』っていわれて、とても悔しくて、なんにもできない自分が、なさけなくて、それで、」
「セレス、セレス、…可愛いセレスティア。私だって最初から全部できたわけじゃないわ。人には得意不得意があるもの。私は多少、勉強ができたって、セレスのように裁縫はできないし、ダンスだって下手。そんなに落ち込まなくて、大丈夫よ」
「お姉様、……ごめんなさい、お姉様、」
「あなたは謝ることなんて何にもしてないじゃない」
「いいえ!私、私、お姉様がいなかったらこんなに苦しくなかったのに、って思ってしまったの。お姉様のことが大好きなのに、こんなにお姉様は優しいのに、」
これまでの混乱と姉のやさしさに甘え、私は一時間くらい泣き続けた。泣き続けて、そのまま、姉の腕の中で眠ってしまった。
「お嬢様、起きてください、」
声がかけられる。唸りながらも目をこすると、笑みを浮かべている侍女が立っていた。部屋はすでに薄暗く、私は随分と眠ってしまっていたことを実感した。
「さぁ、晩餐は召し上がってください。今、支度を整えますから」
そういってあっという間に私を着せ替えていく。この技術、なんなんだろう。
「さ、お嬢様」
侍女に手を引かれて、広間へ。ドアが開いた瞬間、思わず目を見開いた。
テーブルの上には豪華な食事。プレゼントの山。綺麗に支度を整えた両親と姉。三人は満面の笑みで私を迎え入れた。
「「「セレスティア、誕生日おめでとう」」」
そうだ、今日は、私の誕生日だ。
慌てて周りを見渡せば、上手くいったとばかりに家族と同じように微笑む侍女や執事の姿が目に入った。どきどきと胸が高鳴る。たぶん、今の私の顔は真っ赤だ。
「お、お父様、お母様、お姉様、お仕えしてくださるみなさん、本当にありがとう、嬉しいです、」
何とかそれだけを口に出す。泣きたくなって震えるのに、勝手に口が笑みを作ってしまう。泣きながら笑うなんてとても器用なことをした。
「――忘れていたんだが、家庭教師は新しい人にしようと思う。元々、エルヴィアの時から性格に難あり、と思っていたんだがな。遅くなってすまなかったね、セレスティア」
父はそういって私の頭を撫でる。その隣で母はよく頑張りましたね、と背中を撫でてくれた。ちらり、と姉を見る。エルヴィアは満面の笑みで私をそっと抱きしめてくれた。
家族って、こんなに温かいものだったのか、と心が満たされていく。
「あなた、そんなことよりも、セレスティアに言うべきことがあるでしょ?」
悪戯っぽい母の声になんだろう、と首を傾げていると父が口元に笑みを浮かべる。
「あぁ、そうだった。セレスティア、これをごらんなさい」
手渡されたのは絵姿。なんだろう、とめくってみれば、目の覚めるような美少年が写っていた。
「彼はユージット・ベル・リーゲル。リーゲル侯爵家の御子息だ。なかなか予定が合わなくて済まないね。プレゼント代わりの、絵姿だ」
天国から地獄。倒れそうになるのを何とかこらえながら、先ほどまでとは違う理由で私の瞳には涙が溜まっていった。