賽
ごとりとグラスの落ちる音がした。
ごくりと太い喉骨が動くのを見た。
アーサーがゆっくりと腕を引く。力など入っていないというのに、それだけで瑞希の体は容易くアーサーの胸に倒れこんだ。小柄な体はすっぽりと彼の腕の中に収まってしまう。
(あ、れ……? え…………?)
なに? なんで? 頭が答えを求めて必死に仕事をするが、実際にはぱちぱちと瞬きを繰り返しているだけだ。
離れなければ、とようやく頭が弾き出しても、体はちっとも動かない。拘束されているわけでもないのに動けないのだ。
「──ミズキ…………」
低い声が耳元で呼ぶ。掠めるように耳に吐息がかかって、瑞希の顔はますます熱くなった。
わけもわからず、逃げるようにぎゅうっと目を固く瞑る。するりと、頰と頰を重ねるように擦り合わされて、アーサーの香りがいっそう強くなる。
体の芯で火が灯ったような熱さを感じた。得体の知れない、全身が脈打つような感覚に、自分自身が怖くなる。
なんだこれは。自分の体なのに、自分のものじゃないみたいだ。こんなこと、今までなかったのに。
「あ、……アーサー……?」
唇を震わせながら絞り出すように呼ぶと、抱きしめる腕の力がさらに強くなった。あまりの強さに身動ぎしても、緩める気配さえない。逃すものかと言われている気がした。
「すまない。でも、許してくれ」
押し殺した低い声は掠れていた。
緊張と混乱が支配する中で、けれど、瑞希は本能で感じていた。
怖い。アーサーが怖い。
誰かに恐怖を抱いたことはないのに、今は何故かアーサーが恐ろしくてたまらない。瑞希を抱きしめる腕は、焦がれるほど甘やかな熱を宿しているというのに。
心臓が狂ったように早鐘を打って、瑞希の胸を切なく締め付ける。
瑞希は泣きそうになった。助けて、と誰にでもなく縋りたかった。
アーサーが男らしい指で瑞希の髪を梳く。びくりと瑞希が大きく震えてしまっても、アーサーは手を動かすのをやめなかった。ゆっくりと、宥めるように、傷つけることを恐れるように--まるで瑞希が受け入れるのを待っているかのように。
だからだろうか、体の力が抜けていく。ふわふわと浮いてしまいそうな心地がして、ゆっくりと暗闇に馴染んでいく。
アーサーに身を任せたまま、瑞希はそっと目を閉じた。
耳元で、アーサーが何かを言っている。
「─────…………」
甘く、優しい声が何かを紡いだのに、何を言っているのかは聞き取れなかった。




