油断大敵
バタンとドアの閉まる音がしたから、きっとアーサーが帰ってきたのだろうと思った。それは子供達も同じようで、すぐにでも飛び出して行きそうなのをうずうずしながら堪えていた。待てと焦らされる仔犬のようだ。とても可愛らしい。
「いいわよ。後は私がやっておくから、アーサーのお出迎えをしてあげて」
「いいのっ?」
聞き返すカイルに頷いて答える。
確かに洗い物の量は決して少なくないが、こなせない量でもない。それにこの後は大荷物を抱えて歩くのだから、これ以上手伝わせるのは酷だろう。
カイルはライラの手を引いて、ぱたぱたと玄関の方へ走っていった。
「ルルは一緒に行かなくていいの?」
「あら、だってミズキ一人じゃ大変だもの。それに、アーサーにはアタシは見えないから、行っても行かなくても変わらないわ」
なんでもないように言い切って、ふわふわと食器と水を踊らせる。人の手に触れられることなく泡まみれになった食器が水を潜ってキラキラと輝く光景は何よりもファンタジックだ。
洗い物はルルに任せることにして、瑞希は一服しようと薬缶に火をかけた。子供達もいるからノンカフェインの茶葉を手に取ったところで、がしゃんと物が壊れる音がした。子供達の悲鳴が壁越しに聞こえた。
「ライラ、カイル!」
瑞希はキッチンを飛び出した。
誰も怪我をしていないようにと、それだけが気がかりだった。特に子供達なんてせっかく生傷が塞がったばかりなのだ、もう痛い思いなんてしてほしくない。
駆けつけた玄関には、花瓶だったものの破片と活けていた花が散乱していた。
子供達は身を寄せ合って泣いている。怯え震えるライラを背に庇って、カイルが睨みつけていた。
「ああ、ミズキ!会いたかった、久しぶりだね、私の愛しい人!」
満面の笑みを浮かべて親しげに声を掛けてくる男に瑞希は顔を顰めた。ルルも、聞こえないのをいいことに「げっ」と心底嫌そうな声を漏らした。
「ヒューイットさん……どうしてここに?これはどういうことですか」
「どうしてなんて、君に会うために決まっているじゃないか!驚いたよ、君が素性の知れない男と一緒に暮らしてると聞いた時は、本当に心臓が止まるかと思ったよ」
芝居めいた口調と身振りでつらつらと言葉を重ねるこの男--マース=ヒューイットは、店を持ってからは一度も顔を見ていなかったが、露天商時代には常連というほどではないがよく贔屓にしていた客だ。そして、ミズキに執拗に言い寄って来る迷惑客の一人でもある。
あのドアの音はこの男によるものだったらしい。子供達だけで行かせるのではなかったと、瑞希は自分の犯した失態に酷く歯噛みした。




