瑞希の選択
定時よりも2時間早く店を閉めて、出入り口のプレートを「close」に替える。
プレートの鎖にわずかに錆が浮いていて、もうそれだけの時間が経っていたのかと気がついた。
毎日が怒濤のように過ぎていくから、待っている日々もあっという間だった。振り返る暇も、名残惜しむ暇もなかった。
(これは、いいことなんでしょうね……)
元の世界で教師という仕事にやりがいを感じて生きていた頃も、日々はあっという間に過ぎ去っていって、毎日が戦いのようだった。でも、あの日々と今は違う。今の方がずっと充実していると思えた。
地球での日々を充実していなかったとは思っていない。仕事は楽しいし、思うようにならないことはたくさんあったが、それもまた人生だから。
しかし、あの頃とは自由度が違う。学歴ではない、本当に自分自身の能力で生計を立てるという今の生活は、保証がないという不安もあるが、それ以上に自分の努力次第でもっと上を目指せるのだとやる気が出る。自分が、思っていた以上に野心家だったのだと初めて知った。
「ミズキ……やっぱり、元の世界に帰りたい?」
肩に乗ったルルがおずおずと尋ねる。その表情は見るからに寂しげで、別れを嫌がってくれているのだとよくわかる。
「帰れるなら帰りたいーーずっと、そう思ってたわ」
瑞希の答えにルルはショックを受けて、込み上げる涙をぐっと堪えた。
仕方のないことなのだ。いきなり、望まないトリップを果たして、たった一人異世界に放り出されてしまったのだから。家族にも、友人にも別れを告げることもできなかったのだから。
もし、理さえも超えて無事に元の世界に帰れる方法が存在するならーー
「でもね、もう思えないのよ」
強い瑞希の声にはっと顔を上げる。
瑞希は笑っていた。悲しみや寂しさを覆うように、その微笑みには溢れるほどの慈しみが浮かんでいた。
ルル、アーサー、ライラとカイル。集落の妖精達に、街の住人達。誰一人としてかけがえのない、大切な人達。
今思えば、この世界に来たことは人生最大のチャンスなのだろう。
何の柵もない世界で、自分自身の力で縁を結び、未来を切り拓く。これ以上の充実感も達成感も、あちらでは感じることができなかったことだから。
「ミズキ、そろそろ街に行ってくる。……どうかしたか?」
ただプレートを返すだけにしては重々しい雰囲気を感じて、アーサーが問う。
アーサーとルルとを見比べて、ゆっくりと口を開いた。
「もし、理さえも超えて無事に元の世界に帰れる方法が存在するなら」
ルルはどきりとした。それは、さっきルルが思ったことだ。
アーサーも表情を強張らせる。続く言葉を彼は予想してしまっていた。
わかりやすい二人に、ふふふと楽しげな笑いが溢れる。必要とされているのだと、優越感を感じた。
「もし見つかっても、いらないわ、そんなもの。捨てて帰るには、大切なものが増えすぎちゃった」
困っちゃう、と嘯きながらも、その微笑は苦しくなるほど優しくて、愛おしい。
アーサーは瑞希の体を引き寄せた。バランスを崩した瑞希の体を追うようにルルが飛びつく。
「こんなに必要とされるなんて、冥利に尽きるわよねぇ」
冗談めかした言葉が瑞希の本心だった。
「ねぇ。私は、ここにいてもいい?」
「あったりまえでしょ!」
ルルが叫ぶ。
アーサーは何度も頷いて、華奢な体を抱きしめた。
「ああ、ああ。もちろんだ。ずっとここにーー傍にいてくれ」
かすかに掠れた声に、幸せだと感じた。




