手紙と休暇
馬を駆り、謁見のため領主邸を訪れたディックは、一先ずと通された応接室で何とも言えない落ち着かなさを感じていた。
国軍所属とはいえ、基本は兵舎と訓練場の往復がほとんど。実家も合わせて、洒落っ気などない石造りばかりを見慣れてきた。
しかし、さすが領主邸。応接室ともなれば、同じ石造りでも調度品などが品良く配置されていて、洒落っ気がないなんてとても言えない。
(そういえば、オレ領主様の顔はっきりとは知らないんだよなぁ)
まだディックが幼い頃、奥方と連れ添ってフェスティバルを楽しんでいた貴人を見たことがある。距離もあり、人混みも酷くてまだ小さなディックにはよく見えなかったけれど、あれが領主様だと、父が肩車して教えてくれた。
それよりも近くで見たのは、瑞希が領兵に囚われた時。アーサーが連れてきた老公がその人だった。
(アイツの知り合いってマジでどうなってんだろ? 総帥とも知り合いっぽいし……)
知れば知るほど謎が深まるアーサーの交友関係に、考えるだけ無駄だと思考を切り替える。
今自分がすべきことは、領主への挨拶。国軍に取り立てられてから、武芸だけでなく礼儀作法も教えられてきたが、まだまだ付け焼き刃の域を抜け出せていない自覚がディックにはあった。なにせ、親は良くも悪くも職人気質、一に技術二に経験、作法など三の次四の次な人なので、自分で何とかするしかない。
(ああ、でも。それでいうと、アーサーの立ち振る舞いはカッコイイんだよな。総帥もだけど、頼もしく感じるっていうか)
記憶に残るアーサーはいつでもぴんと背を伸ばしていて、堂々としていた。それを思うと、自分は良い師につけたのだろう。口が裂けても本人には伝えないけれど。
自分もあんな風に振る舞えれば、格好がつくだろうか。
ものは試しと、脳裏に浮かぶ姿を真似てみる。とりあえず背筋は伸ばしたが、アーサーほど様になっていないことは想像に難くなかった。
(せっかく戻ってきたんだし、その辺りも聞いてみるかなぁ。ちくしょー……借りばっかり増えてくや……)
はぁーあ、と溜め息を吐いたところで、耐えきれずといった風に笑い声が聞こえた。
はっと振り返ると、いつかの姿そのままの老紳士が目元に笑い皺を刻んでいた。その後ろでは、以前面と向かった近衛ベンジャミンが呆れた目をディックに向けていた。
「えっ、あっ、領主様っ⁉︎」
ディックは飛び降りるように立ち上がり、叩き込まれた礼儀作法で高位貴族への敬意を表した。
ダグラスは気楽にと手をひらつかせ、肩を揺らしながら沈み込むようにソファーに腰を埋める。
「っふふ、ああ、いや、すまないね。随分と待たせて、気を揉ませたようだ。さあ、掛けて。楽にして」
「は、……はい。では、お言葉に、甘えまして」
ゆっくり、間違えないように言葉を出す。不自然に途切れるくらいは、愛嬌と思ってもらおう。
緊張に負けて俯くディックに、ダグラスは微笑ましいと目元を和ませる。
「まずは、おかえり。武術大会で勇ましく挑んでいた子だね。思い出すだけで胸が熱くなる」
「キョッ、キョウシュクデシュ……!」
「はっははは! こらこら、楽にしてと言っただろう」
言葉も舌も噛んだディックに、ダグラスが楽しそうに笑う。慣れない言葉は使うものじゃないと、ディックは照れ隠しに頬を掻いた。どうにも格好が付かなかったが、まずは仕事を果たさなければ。携えた文箱の蓋を取り、落とさないように両手で差し出す。
「あ、の……こちらを。渡すように言いつかった手紙です」
その正面には、誰しもが知る王家の紋章。
ベンジャミンを経て受け取ったそれを損なわないよう、丁寧ながらも慣れた手つきでダグラスがナイフを滑らせる。
手紙の内容をディックは知らない。けれど全くの無関係というわけでもないようで、ほんの一瞬、ダグラスの目がディックを見定めた。
やがて、最後まで読み終わったダグラスがひとつ息を吐く。何かの沙汰を言い渡されるような緊張感が走った。
(え、なに? 結構ヤバい手紙? どうしよう! 助けてアーサー‼︎)
真っ先に思い浮かんだ頼りになる人は、当然この場にいるはずもなく。カチンと氷漬けになったディックに、哀んだのはベンジャミンだった。
「閣下、そろそろ」
「ん? ああ、そうだね。すまないね、ディック。手紙は確かに受け取ったよ」
「あ、はい……」
「そして、君の処遇も決まったよ。遠からず、忙しくなるだろう。とりあえず一週間、暇を出すから、今のうちにゆっくり英気を養っておきなさい」
「はい、?」
きょとんと目を丸くするディックに、ダグラスは実に楽しそうに笑い、けれど何も言わずにゆるりと部屋を去っていった。




