一方その頃
ーーゴン、ゴン、ゴン
ややぶっきらぼうなノック音に、オーウェンは気怠そうに腰を上げた。傭兵ほど力強いノックではなかったから、大工か農夫といったところか。どちらにせよ商売道具の手入れ依頼だろうが、はてさて数はいかほどか。
「はいはい、っと。悪いね、お客さん。今は工房にゃオレ一人なんだけどー」
「おっ、そりゃ好都合だ」
「……は?」
からからと笑う声に、オーウェンの思考が停止する。ゆっくりと目線を上げると、馴染み深いブラウンの瞳とかち合った。
「えっ、……え? おま……」
まるで亡霊でも見たかのようなオーウェンに、してやったりと相手の瞳が弓形にしなる。
「よっ! 久しぶり、オーウェン」
「ディック! お前、なんでここに⁉︎」
「いや、ここオレの家だし」
「そうだけどそうじゃねえ!」
揶揄われていると理解しながらもどうしようもない衝動に、オーウェンは頭を掻きむしる。
悪い悪い、と悪びれもなく宣いながら、ディックは懐かしい工房に足を踏み入れた。
炭と油、鉄と錆の匂い。炉では煌々と炭が爆ぜ、開け放たれた窓から吹き抜ける風が籠った熱気を攫っていく。
懐かしそうに視線を巡らせるディックに複雑な気持ちを飲み込んで、オーウェンはマグカップを突き出した。
「ほらよ」
「ありがとう。……ここ、変ってないね」
「そりゃあ、な」
会話は続かなかった。パチパチと火花が散る音は頼りなく、逃げるようにオーウェンは音を立てて茶を啜った。
「親父やみんなは元気?」
「当たり前だろ。あの人たちがどうやったら元気じゃなくなるってんだ」
「それもそっか」
ディックはほっとした笑みを浮かべて、オーウェンより小さな音を立てて茶を啜った。一瞬驚きに見張られた目が、嬉しそうに綻ぶ。
何処の店の物か、ディックが気づかないはずがなかった。
「……街が恋しくなったのか?」
「まさか。自分で選んだ道だよ? ただ、思ってたよりも早くチャンスがきて、びっくりしてるだけ」
「ふーん」
よかったな。と、オーウェンは心の中だけで寿いだ。口に出すには、少し意固地になりすぎていた。だから本音の代わりに、ズズッと大きく音を立てて茶を啜った。
「これからミズキさんのところか?」
「んーや。配属先に挨拶してからかな。ここには一旦荷物置きに来ただけ」
「配属先? なんだよ、もう国軍追い出されたのかよ」
「ちっげぇよ。出向だ、出向。縁起でもないこと言うなよな」
「悪い悪い」
げしげしとつま先で軽く蹴られて、オーウェンがからからと笑う。ついで、その表情にわかりやすく悪戯心を浮ばせた。
「しっかし、このタイミングで出向とはねぇ」
「? 何、なんかあんの?」
「あるある。でもな、教えてやんねぇ」
「は? なんで」
「それくらいは自分で確かめろよ。すぐにわかるから」
「じゃあ今教えてくれたって良くない⁉︎」
教えろよー! と喚くディックを物ともせず、
オーウェンはにんまりと悪どい笑みを佩いて、マグカップの茶を一気に呷る。飲み慣れた茶さえ甘露のように感じた。
空になったマグカップをゴンっと机に置いて、ディックのマグカップを取り上げる。
「おら、仕事中なんだろ。さっさと仕事戻れよー、サボり魔」
「サボってねーし! 昼休憩だし! ったく、なんなんだよ、もー」
しっしっ、と追い払うように手を振られて、なんやかんやと言いながらディックも外へと爪先を向けた。
馬に背負わせたままにしていた荷物のいくつかをオーウェンに渡し、スッキリした胴体に慣れた動きで跨る。
「んじゃ、行ってくるな。夜にはまたこっち戻ってくるから」
「了解。親方たちにも伝えとくよ」
多分今夜は呑み明かすことになるだろう。酒屋にはとりあえず一樽頼めば足りるだろうか。 仕方がないとオーウェンは笑う。
馬が一つ嘶いて、蹄の音を鳴らして駆けていく。
小さくなっていく影を見送って、オーウェンは持たされた荷物を抱えて家屋に向かった。




