少しずつ
公認税理士を加えることは確定したが、申告書の作成も提出も月末の仕事だ。それだけでは日々の業務は楽にならない。なにせ、人手不足というそもそもの原因がまだ解消されていない。
そのため日々の業務の軽減については、しばらくの間休業日を増やすことにした。新しい休業日をいつにするかはまだ決まっていないが、話だけでもと先んじて知らせた定期馬車の御者からは、伝言を頼むまでもなく準備万端と即答された。アーサーが遠出したと聞いてから準備してくれていたそうだ。
「あとちょっとでも相談が遅かったら、オレらも乗り込んでたよ」
マリッサには出遅れちまったけどな、と楽しげに笑う御者に、瑞希は困ったように苦笑した。第二弾は御免被りたい。
「そうならずに済んでよかったです……」
「はっはっはっ! ま、まだ可能性が無くなったわけじゃねぇけどな!」
「えっ!?」
「はっはっはっ!」
ぎょっと目を剥いた瑞希に、御者は否定しなかった。にっと剥き出しにした八重歯がきらりと光る。夏が似合う爽やかな笑顔が逆に恐ろしく見えた。
決して地雷は踏むまいと瑞希は気を張り巡らせながら言葉を交わし、その中でいくつかの言伝を引き受けた御者は定刻通りに《フェアリー・ファーマシー》前を出発した。
座席いっぱいに客を乗せて街に戻る影が、少しずつ小さくなっていく。
ふう、と息を吐き出すと、知らずのうちに上がっていた肩の力も抜けた。ついでにと首を傾ければ、ぱきっと小気味いい音。肩を揉んでみると、表面は柔らかいが筋肉は凝り固まっていた。
(自分で思ってたより疲れが溜まってるのね……)
ぐぐぐぅ、と筋を意識して体を伸ばすと、幾許か巡りが良くなったような心地よさに包まれる。けれどそれも寒風一つで一気に冷えて、冷え切る前にと瑞希はそそくさ店の中に戻った。
「あれ、ママ? いつお外出たの?」
「今さっきよ。今夜は特に冷え込みそうだわ」
「あらら。ルル姉とモチが辛いね」
ルルもモチも、寒い季節が大の苦手だ。暖炉にたっぷりの薪を焚べても、彼らが満足するほどの室温には届かないだろう。
(湯たんぽがあればよかったのに)
古典的と思っていた暖房用具は、非常に残念なことにこの国にはない。蒸気自動車はあるのに、とも思ってしまうが、無いものは無いのだから仕方がない。けれどサイレンに相談してみようかと思うほどには、瑞希も今冬の厳しさにほとほと困っていた。
(何か、体の温まるような物がほしいな……何があるかしら……)
ひんやりとした指先で、ちょいと双子の頬をつつく。薄く色づいた頬は思った通り温かく、双子はぱちぱちと目を瞬かせた。
可愛い、とくるくる空回りしていた思考が止まる。
「日が暮れたらもっと寒くなるだろうから、二人とも上着とっておいで」
「はぁい」
「暖炉の薪も足しとくね」
とたとたと軽い足音で店を抜ける双子を見送って、瑞希がカウンターに戻った。
錫の小皿に水を張り、下から蝋燭の火で加熱する。ゆるりと立ち上る薄い湯気は、ほんの気持ち程度に店内を加湿するだろう。
「ルル、ルルは寒くない? こっちで温まったら?」
「そーするぅー」
寒い寒い、と天井近くから降りてきたルルは、そのまま瑞希の上着のポケットに潜り込んだ。毛布のようにハンカチにくるまると、体温が移っているのか表情が緩ませる。
「早く春にならないかしら」
「ルルったら、早すぎよ。でも、今夜は雪になるかもね」
横目に見た窓の向こうには、低く垂れこめた厚く湿っぽい灰色の雲が少しずつ割合を増している。今は半々だが、やがて灰色に覆われるだろう。窓を叩くような風の音が、外の寒さを伝えてくるようだ。
「寒くさえなければ雪も嫌いじゃないんだけどね」
「動けばあったかくなるわよ。もし積もったら、雪だるまでも作ったら?」
「そーいうことじゃないのよねぇ」
もー、とくったりポケットにぶら下げるルルに、意地悪が過ぎたかと小さく笑う。
明るい店内とは反比例して、外はゆっくりと夕暮れを迎えようとしていた。




