ほっとみるく
「随分こってり絞られたみたいねぇ」
「もー、こってりどころじゃないわよぉ……」
くったりとソファーに横になる瑞希に、珍しいものを見たとルルがきゃらきゃら笑う。瑞希のお腹の上には、その腕に囚われたモチがもふもふと毛並みを愛でられていた。
耳を澄ますと、威勢の良いマリッサの声と双子の声が微かに聞こえる。店はそれなりに混んでいるようだが、双子たちの声から回らない程ではないことは察せられた。
アレンたちとの話し合いを終えた後、そのまま表に出ようと思ったのだが思っていたよりも体力が残っておらず、小休憩をもらったのだ。
今はマリッサとアレンが「ついでだから」と店に残り、手伝ってくれている。
「それで? 結局どうだったの?」
魔法によって空中で加熱されたホットミルクがふよふよと瑞希の前に浮く。指一本動かすことさえ嫌になる倦怠感に、瑞希は行儀が悪いと自覚しながら横になったままでマグカップに口をつけた。
牛乳と蜂蜜のしつこくない甘味がゆっくりと体に染み渡る。考えすぎで寄りっぱなしになっていた眉間の力が抜けた。
「いいアドバイスはもらえた?」
「んー……やっぱり、私たちの場合は人を雇う方がいいみたい」
ルルの脳裏にディックが浮かぶ。
(カイルたち、新しい人にも馴染めるかしら……)
良い子たちだけれど人見知りでもあるから、しばらくはつきっきりになるかもしれない。瑞希にとってもルルにとってもそれは困ることではないが、双子が気に病んでしまわないかが気がかりだ。
「だから、外部に任せられるお仕事をお願いすることにしたの」
「へっ? ……いいの?」
ルルの目の色が明るくなる。つり目がちな目を大きく見開いて、どうしてと表情でも尋ねていた。よいしょ、と手を伸ばして、指先で頬を撫でる。
「だって、どうしても時間が作れないんだもの」
《フェアリー・ファーマシー》の仕事の仕方は、店舗運用の典型だった。無駄な仕事は確かにない。それでも追いつかなくなってきたのは、客観的に見ても需要が高すぎるというだけ。
だから解決方法も至って簡潔で、"人手を増やす"くらいしかないというのが結論だ。
けれど店内で増やすとなると、また別の労力や時間を割く必要がある。しかし、今の状況では一時的にも負担を増やすことは難しい。
結果として残った改善案が"外注"だった。自治会所属の公認会計士を雇い、申告書の作成や提出を代行してもらう。
経費はかかるが経営において逃れられない煩雑な仕事がなくなるのだから、妥協案にしては良い落とし所だと瑞希は判断した。
「申告書、いっつも頭悩ませてたからだいぶ楽になると思うわ」
「そんなになの?」
「そんなによ。公認会計士のこと聞いてたら、絶対最初からお願いしてたわ」
真顔で力説されて、そんなになのかとルルはぼんやり頷いた。
「……嫌だった?」
「んー……ううん。べつに」
この件については、ルルの判断基準は瑞希が少しでも楽になるのか否かでしかない。
妖精たちの中では金銭感覚が人間よりなルルだが、あくまでも同族内でという狭い範囲の相対評価でしかない。人里で暮らすのだからと勉強しているけれど人間社会の仕組みは知らないことがまだ多く、今回の申告書も何の為の物かいまいちわからないから、どれほど面倒くさくて疲れるものなのかもわかっていない。
「ミズキ、休む時間増やせそう?」
「うん、大丈夫よ。もともと余裕もまだあったし」
「ふうん」
限界を迎える前に手を打てたから、ここからは多少とはいえ楽になるだけ。
よしよし、と左でモチ、右でルルを撫でてやると、どちらもそっくりな表情でゆるく目を細めた。
(そろそろ、お店戻らなきゃ……)
マリッサにもアレンにも自分の店がある。いつまでも好意に甘えてはいられない。
けれど自分の腹の上に乗るモチもルルも退いてくれる様子はないし、瑞希も少し言い出しづらかった。
モチごと持ち上げるにしても、起こしてしまいそう。ずらせば起こさずに抜け出せるのだろうか、と考えたところで、ルルが言った。
「だめよ」
「え?」
「……せめてハニーミルクは飲んでいかなきゃ」
ルルの指につられて目を動かすと、マグカップにはまだなみなみとホットミルクが残っている。
だめ、とルルが小さくいじけたように繰り返すので、そうねと瑞希は柔らかく微笑んだ。
「せっかくルルが淹れてくれたんだものね。もう少し甘えちゃいましょ」
マリッサとアレンには、その後で誠心誠意お礼を伝えればいい。
もう一度、横になったまま温くなったミルクを口に含む。
「ん、甘くて美味しい」
ありがとう、と甘やかすように頬を撫でると、ルルはモチの毛並みに顔を埋めた。白とオレンジの間から除く肌の色は、薄らと赤く色づいていた。




