日常
一つ風が吹く度に堪らず体が震えるけれど、馬車に揺られる人々は笑顔に溢れていた。
あと少し、もう少し。
そんな気持ちばかりが胸を占める。こんな寒い時期にはどうしても、彼処に行きたくて仕方がないのだ。
「今日はみんな何を求めて?」
誰にともない御者の声に、真っ先に応じたのは年若い女性だった。寒い寒いと着込んだ胸元を握りしめるほどなのに、その声は楽しげて温かい。
「私はハーブティーよ。寝る前に飲むと、体がポカポカして寝やすいの」
一回知ったらもうやめられないわ、とうっとりした微笑に、わかると年代問わず同性達が頷いた。まだ試したことがないらしい何人かも、興味深そうにはしゃぐ声に耳を傾ける。
「オレは軟膏だな。カミさんが赤切れ気にしてたから。でも、寒がりだからハーブティーも買って行こうかな」
そう言ったのはやや強面の男性だった。厚着した上からでもわかるほど肩の筋肉が盛り上がっているから、力仕事を生業としているのかもしれない。傍目には近寄りがたい風貌を塗り替える性質に、それが良いと同乗者達がその背を押した。
「なら、いくつかオススメを教え……ない。やっぱりやめとくわ」
「ああ……でも、気持ちだけは有り難く受け取らせてもらうよ」
「お前さん、なかなかイイ男じゃないか。アタシがあと三十若かったらねぇ」
「おいおい、勘弁してくれよマリッサ婆さん」
わかりやすく揶揄い煽てるマリッサに、慌てて男性が音を上げる。いかつい見た目も何処へやら、へにょりと下げられた眉に、馬車内で大きな笑い声が弾けた。
冬の寒さも吹き飛ばす勢いのそれに、近隣の茂みから野生の小動物達が何事かと顔を覗かせる。
荷台を引く馬さえ楽しそうに歩いていた道のりも、やがては終わりを迎える。
揺られていた乗客たちは名残惜しさを感じながら、しかし足取り軽く店の扉を開いた。
途端、温かな空気と笑顔に迎え入れられる。
「いらっしゃいませ!」
ぴったり揃った双子の声とともに、差し出されるのは今し方話題に上がったハーブティー。
男性は扉の近くで暫し立ち止まり、ハーブティーを配り終えた双子に腰を屈めて話しかけた。
「こんにちは。ハーブティーが欲しいんだけど、オススメを教えてくれないか?」
「! はぁい!」
「ご案内しまーすっ」
嬉しそうな笑顔で手を引かれて、男性は破顔して双子に連れられていく。その一部始終を、他の客たちは微笑ましげに見守っていた。
その中で、マリッサはカウンターで穏やかに微笑んでいる見知った顔に話しかけた。
「相変わらず、働き者で可愛い良い子たちだねぇ。ミズキもずいぶん鼻が高いだろう」
「ええ、本当に。自慢の子供たちですよ」
屈託ない瑞希の笑顔に、そうだろうとマリッサがしみじみと頷く。
「あの子たちもだが、ミズキだってアタシたちの、街の自慢だよ。男手がいなくなって苦労も増えただろうが、何かあったらいつでもお言いよ」
「ありがとうございます」
「……って言いながら、言ってこないのがミズキだからねぇ」
困ったモンだとマリッサが呆れた溜息を吐く。困ったように苦笑する瑞希の耳に、小さな笑い声が届いた。マリッサに気取られないように目だけを動かすと、思った通りクスクスと笑うルルがいた。
「バレバレねぇ、ミズキ?」
蝶のような翅をひらめかせて肩に飛んできたもう一人の娘に、瑞希は声をかけるわけにもいかず、ただ苦笑を深めるだけ。
それをどう捉えたのか、マリッサは幼子に言い聞かせる時のように一本指を立てた。
「いいかい、絶対に、素直に正直に言うんだよ。遠慮なんてしようものなら、ただじゃおかないからね」
きっと眦を吊り上げて凄むマリッサに、たじたじと気圧されながら瑞希はこくこく頷いた。
「き、肝に銘じます……」
若干引き攣った応答に、ルルは声を張り上げて大笑した。
「ミズキの負け〜!」
(んもう、ルル!)
恨みがましい瑞希の視線もなんのその、ルルの笑いは落ち着く気配を見せやしない。
出入り口近くに戻る途中、男性客の案内を終えた双子は、不思議そうに互いを見合った。
「何かあったのかな?」
「さぁ? でも楽しそうだし、大丈夫じゃない?」
「そっか」
なんだかよくわからない納得の仕方と温度差に、何人かが肩を揺らした。




