『いってらっしゃい』
すっきりとよく晴れた空。風も強すぎず、旅立つには絶好の今日。
アーサーは愛馬に荷を積み終え、出立の準備を完了させた。
「忘れ物はない?」
「ああ」
瑞希とアーサーはまるでいつも通りに話すが、子供たちはそうもいかない。モチをぎゅうぎゅうに抱きしめて、不安に歪む顔を隠していた。
「なんで晴れちゃうのよぅ……」
弱々しい声が不満を零す。
仕方のない子ね、と瑞希が苦笑して撫でてやると、我慢ならずと胸に飛び込んできた。
まだ泣いてはいないけれど、我慢の限界も近いだろう。
引きずられるように、黙り込んでいた双子もぐずぐずと鼻を鳴らし出した。
困惑したアーサーが、直感に従って双子を抱きしめる。それが引き金となり、双子の涙腺はとうとう決壊した。
「ああ、泣くな、擦るな。目が赤くなるぞ」
そうは言うけれど、一度泣き出してしまえばなかなか止まらないのが涙というもの。
しゃくり上げながら大粒の涙を流す双子に、アーサーの眉は情けなく垂れた。
そのうちに、ルルの目も次第に潤みだす。やり場のない鬱憤に手足を暴れさせるけれど、気分が晴れることはなかった。
結局三人とも泣き出してしまったけれど、それでも凄いと思うのは、誰もアーサーを引き止めたりはしないところだ。
いつ帰れるかわからないと聞かされて、「行かないで」と言える子供が世の中にどれほどいるのだろう。慕う気持ちが強いほど別れは辛くなるのに、泣きながらも懸命に自制しているルルや双子は見事としか言いようがない。いっそ不器用なほどの健気さだった。
片手でルルを、もう片手でカイルとライラを交互に撫でる。
涙に濡れた目が瑞希を見上げた。
「あのね。お見送りの時、言葉には種類があるのよ」
唐突な話を、子供たちは口を挟まずに聞いていた。
「『さようなら』は、そこで途切れてしまうこともあるけど。でも、必ずまた会おう、って約束の言葉もあるのよ」
「……なぁに?」
瑞希はにっこり微笑んだ。子供たちに、そして、アーサーに向けて。
約束の言葉もたくさんあるけれど、今この時に最適な言葉はたった一つ。
「『いってらっしゃい』」
ありふれた、これまでに何度も口にしてきた言葉に、子供たちの涙が止まる。
アーサーは瞠目した。はく、と口だけが動く。喉が強張ってうまく動かない。それでもアーサーは声を絞り出した。
「ああ。……『いってきます』」
声の震えを自覚しながら、それでもはっきりとそう言った。自分が帰るべきはここなのだと、精一杯の想いを込めて。
くん、と外套が引っ張られる。見れば、双子が鳩尾辺りを掴んでいた。
「……『いってらっしゃい』」
重なった声に、「『いってきます』」と返す声は掠れていた。
突如、胸元に何かが飛び込んできて咳がこみ上げる。息苦しい思いをしながらも確認すると、その正体はルルだった。
「〜〜〜〜っ! もうっ、もうっ! アーサーの分のご飯もおやつも、みーんなアタシたちで食べてやるんだからっ!」
もともとの猫目をさらに釣り上げてルルが叫ぶ。
勝気だった表情は、けれど一瞬でくしゃりと歪んだ。
「いっ、……『いってらっしゃい』! は、早く帰ってこないと許さないんだからねっ!」
怒る時のように捲し立てて強がるルルに、そうかとアーサーの顔が緩む。
「さっさと終わらせて帰ってくるさ。『いってきます』」
ルルを瑞希に託し、アーサーは馬に跨った。
「必ず帰る。だから、帰ったらたくさん話をさせてくれ」
「当たり前よ。寝る間もないくらい、たくさんしてやるんだから!」
「楽しみにしている」
穏やかに目を和ませたアーサーが、一呼吸ののちに顔を引き締め、手綱を握る。
高く嘶いた馬が、勢いよく走り出した。
駆ける蹄の音を響かせて、アーサーの影が小さくなっていく。
追いかけるように、晩秋の冷たい風が吹いた。全身がぞくりと震える。
アーサーの旅の無事を祈りながら、瑞希は子供たちと家に戻った。
もうすぐ、冬が来る。
アーサーのいない、冬が。




