アーサーの心、瑞希知らず
さて、このウイスキーをどうしたものか。
新兵たちに取り囲まれたジークハルトから離れ、瑞希は途方にくれた。
付き合いで、と口をつけたそれは聖職者が嬉しそうに話していた通り美味しいのだろうが、如何せん瑞希には度数が高すぎる。
舌を湿らせる程度にしか飲んでいないのに、寒い夜空の下でも体がぽかぽかとして感じるのだ。
グラス一杯など、飲める気はしない。
仕方なく、グラスを手に酔い冷ましも兼ねて散歩してみる。と、酒に手を伸ばした瑞希がよほど珍しく映るのか、赤ら顔の顔見知りが上機嫌に声をかけてきた。
「ミズキーっ、乾杯だ乾杯ー!」
「んぁ? おお、そうだそうだ! 飲むからにゃあ、乾杯せにゃならん」
呂律の回り切らない酔っ払い特有の話し方に、乾杯だけならと瑞希が控えめにグラスを差し出す。
酔っ払いたちはいっそう機嫌を良くして、周囲の人にまで呼びかけたので、まるで二次会が始まるかのように盛大な乾杯斉唱になってしまった。
(こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……)
そう思うけれど、必然的に輪の中心となってしまった瑞希に、出来上がった酔っ払いたちが絡む、絡む。
無理に酒を勧めてくることはないのだが、代わりとばかりに「ちゃんと食べているのか」と父親のようなことを言ってくるのだ。
「お前はもっと食わんと体が保たんだろう」
「そうだ、そうだ。ほれ、肉を食え、肉を」
「ええ……? もう十分頂きましたよ」
「足りん!」
「そんなぁ」
すでにウイスキーを持て余しているので、この上料理まで持て余すような事態は何としても避けたい。
頭を悩ませる瑞希とは裏腹に、言い切った酔っ払いたちはげらげらと大声を上げて笑った。
どうやら冗談だったらしい。
よかったと胸を撫で下ろしたが、ちゃんと食えよと釘は刺されてしまって、瑞希は困ったように苦笑して「努力します」としか言いようがなかった。
それから少しずつ移動して、人の輪からの脱出を試みる。と、横から急に腕を引かれた。
体が何かにぶつかる。
グラスの中身が溢れ、手を濡らして地面に落ちた。
瑞希の顔が上を向く。肩越しに、アーサーの顔を見つめた。
「アーサー?」
「すまない、力を入れすぎた。痛むところは?」
「大丈夫よ。引っ張られたくらいで怪我なんてしないわ」
壊れ物じゃないのよ、と笑いを含ませて返すと、アーサーの目が緩く細まる。
その黒曜の瞳が、瑞希の手元を捉えた。なだらかだった眉間に皺が刻まれる。
「飲んだのか?」
「ほんの一口だけ、ね。ほとんどはさっき零しちゃったみたい」
勿体無いことをしたと思うけれど、量を減らせてよかったという思いもあるから複雑だ。
足元の色を濃くした土を見ていると、アーサーが気難しそうな顔をして瑞希の頰に手を当てた。
「なに?」
「いや。……本当にそうかと不安になってな」
「本当です。自分がお酒に強くないことは理解してるもの。これ以上飲む気もありません」
だから大丈夫よ、と顔を背けてアーサーの手から逃れる。
尻目に見たアーサーは物申したそうな様子だったが、「ならいい」とそれ以上は言わなかった。けれど、この場を離れる素振りは見せない。
「もういいの?」
料理か酒か、主語を省いた問いかけを投げる。
アーサーは頷いた。
「これ以上は明日に響きかねないからな」
同じ轍を踏むような醜態を晒すつもりはない。
つっけんどんな物言いだが、飲食の前のルルの揶揄いを気にしているのだろうことは丸分かりだった。
「薬ならたくさんあるわよ?」
酒のせいか意地悪が口を突いて出たけれど、アーサーは未練を断ち切るように首を横に振る。
「どうせなら、またいつか家で付き合ってくれ。ここの料理も美味いが、ミズキの作ったものが一番好きだ」
「……随分、口が達者になってるわ。たしかに、これ以上は飲まない方が良さそうよ」
まるでディックと飲んできた時のようだ、と既視感を覚えた。
けれど本人には自覚がないようで、瞬きを繰り返しながら「そうか」と同意する。
「そろそろ子供たちを探すか?」
「そうね、あんまり遅くなると、帰り途中で寝ちゃいそうだし」
ぐるりと周囲を見渡してみても、残念ながら人垣に埋もれているようで見当たらない。
「……ディックのところかしらね?」
瑞希がそうした途端、アーサーが変化の薄い顔にわかりやすい渋面を浮かべた。
「今は聞きたくない名前だ」
「そういうこと言わないの」
窘めるように言うけれどアーサーの表情は変わらない。むしろ反論したそうな目を向けられて、瑞希は嘆息した。
再びのお別れが近づいているのだ、可能性は高い。
それはアーサーもわかっているだろうに、頭と心は一致しないようだ。
くす、と瑞希が笑いを零す。
(三人とも、大変ねぇ)
ライラもディックもアーサーも、全体図をわかっていないから苦労する。
傍から見ている分には楽しいから、教えてあげるつもりはないのだけれど。
もう一つ笑いを零して、まだ不満そうな顔をしているアーサーの手を引く。
にっこりと笑顔を見せると、アーサーが二度三度と瞬きした。そして少しだけ眉間の皺を薄くして、エスコートするように引かれた手を瑞希の腰に回す。
「ミズキも、随分と飲んだようだな」
「さぁ、そうかも知れないわね」
はぐらかすように微笑する。
アーサーはとうとう口元を緩め、一歩を踏み出した。




