思うところ
午前の営業が終わり、昼食がてらスポーツドリンクの作り方を確認してから、瑞希は連日通り国軍への配達に出た。
今日はいつもより積荷が重いので、アーサーの馬を借りている。気位が高いらしいが、アーサーの家族と認識してくれているからか、瑞希や子供たちには大人しく、言うこともよく聞いてくれる。
アーサーと一緒に乗ったことのあるライラは、力持ちで優しい良い子だと自分のことのように自慢げに言っていた。
その言葉通り、瑞希の馬では辛いだろう重い荷物を背負っても平然としていて、且つ瑞希の歩調に合わせるという気遣いもしてくれるので、すごい以外の言葉が出てこなかった。
そうして、かっぽかっぽと蹄の音を聞きながら歩いて国軍の野営地に到着したのだが、いつもはすぐに見つかるジークハルトの姿が今日は見つからない。
「まだ声が聞こえるし、指導中なのかしら?」
飲む人もそちらにいることだし、と馬にもう少し付き合ってもらうことにして奥に進んでいくと、それに連れて人の声も大きくなる。
瑞希の予想した通り訓練の最中のようだが、聞こえてくる大声はどこか楽しげな色を含んでいるようにも聞こえた。
テント群を抜けて開けたところに出て武装した人の塊を見つけると、瑞希は目を大きく見開いた。
「あらまぁ」
思わず零れ出た声を留めるように、口に手を当てる。隠された唇は、柔らかく弧を描いていた。
柔らかく弛んだ視線の先では、年若い軍兵たちに混じり指導するジークハルト。
厳しい目と声音は、向けられれば萎縮してしまいそうなほど鋭い。なのに、実際向けられている軍兵たちは、一様に尊敬の眼差しを注いでいた。
(お節介だったわね)
朝一番の会話を思い出しながら、瑞希は自省する。
立場がある、と彼は言っていた。
ならば、これが彼とその周囲の、寄り添い方なのだろう。
指導の邪魔にならないように、広場の隅で待機する。物音を立てないようにとゆっくり荷を降ろして、それでも空いた時間で訓練を観察した。
軍兵の中にはディックの姿もある。アーサーと稽古する姿は何度か目にしたが、素人目にも腕が上がっているように見えた。
頑張っているのだと、下がっていた目尻がさらに下がる。
他に目移りする気にもならず訓練風景を眺めていると、指導の区切りがついたらしい。尖らせられていた緊張がふと和らいで、構えも解かれていた。
もう話しかけても大丈夫だろう。
待っていてね、と馬の鼻面を一撫でして、談笑を始めた集団に声をかける。
「お疲れ様です。《フェアリーファーマシー》の者です、スポーツドリンクをお届けに来ました」
「あっ、ミズキ!」
ぱっと顔を輝かせたディックが嬉しそうに顔を緩める。それに瑞希はお疲れ様、と微笑で返して、ジークハルトに視線を戻した。
逆に、ジークハルトは避けるように視線を彷徨かせる。と、その目が俄かに瞠られた。
「彼女は……」
彼の視線の先にいるのは、大人しく広場の隅で待機しているアーサーの愛馬。
「私の……いつもの子では、少し辛いかと思いまして。アーサーの馬を借りたんです」
「……言うことを聞くのか」
「よく気遣ってくれる、優しくて賢い子ですよ」
わざとずらした回答も、ジークハルトには衝撃的だったらしい。信じられないとばかりに何度も視線を往復されて、瑞希は困り顔で苦笑した。
「それで、スポーツドリンクはどちらに運びましょう?」
「あ、ああ……。いや、ここで振舞ってやってくれ。私は少し席を外す」
言うが早いか、ジークハルトはマントを翻して足早にテント群へと歩を進める。どことなく動揺の色が見て取れる後ろ姿だった。
それに、思うところがあったのは瑞希だけではない。
ディックが瑞希の腕を引いて、人の輪から連れ出した。
ナンパか、などと揶揄いの声をかけながらも、他の軍兵はスポーツドリンクを求めて追いかけてはこない。
それでもディックは、人に聞かれないようにと声を最小限に潜めた。
「ミズキ、もしかして総帥閣下も、あいつの……?」
知り合いなのか、と最後までは口外されなかった問いに、戸惑いながらも小さく頷く。
すると、ディックはやっぱりかと面倒臭そうに顔を顰めた。
「ほんっと、人脈謎すぎるでしょ……。王都にも、知り合いっぽい人がわんさかいるんだ」
「ああ、アーサーは王都で生まれ育ったらしいから。お友達なのかもしれないわね」
「それはオレも聞いたけどさぁ……」
もどかしそうに頭を掻き毟るディックのに、瑞希は曖昧な笑みで追求を避けることしかできない。
ミズキも、厄介な男を選んだものだ。
なんでオレじゃなかったの、と口をついて出かけた言葉を、ディックは溜息で押し込めた。
「あいつの秘密主義、ちょっとは改善しないのかな」
「でも、無意味に隠してるわけじゃないみたいだから。アーサーが言うまで待ってあげて」
「そういうの、ほんとミズキらしいよね」
だから、なんとかなってるんだろうなぁ。
わかってしまうから余計にどうしようもなくて、ディックは深い溜息を吐く。それから、ぱちん! と両頬を軽く叩いた。
「よし。ミズキ、すぐそこまでだけど送ってくよ」
「いいわよ。またすぐに訓練が再開するででしょ。少しでも休まなきゃ」
「訓練を頑張るために、見送りしてやる気を回復させるの」
まるで子供のような言い分に、なにそれ、とおかしそうに瑞希が笑う。
ディックはニッと八重歯まで見せて、悪戯っ子のような目つきで笑った。
「いいんだって。ほら、オレのやる気のためにも付き合ってよ」
「はいはい。じゃあ、本当にすぐそこまでね」
そう言って、瑞希は馬を連れに人垣へ近寄る。
喉を潤した軍兵たちが気安い態度で述べる礼を人好きのする笑みで受け止めて、けれど話に花を咲かせることもなく、馬とともに戻ってきた。
そして、はい、と一本スポーツドリンクを渡される。礼とともに受け取って、ディックは瑞希と街道に向かって足を踏み出した。




