特別な魔法
カイルが暖炉の前に移動したことを確認して、瑞希は小さく歌を口遊みながらミルクパンを用意した。この距離なら、ちょっとくらいの音は聞こえない。歌うのは、ライラと同じ豊穣祭の歌だ。
作るホットミルクは、とりあえず三人分。ライラの分は彼女がお風呂を上がってから作る。
ミルクパンに並々と牛乳を注ぎ、火にかけている間にマグカップと蜂蜜を準備する。
と、そこに風呂場からルルが戻ってきた。
「何作ってるの?」
「ホットミルクよ。ルルも飲むでしょ?」
「もちろん! あ、アタシ、甘ぁいのがいいなぁ」
おねがい、と甘えた口調でねだるルルに、瑞希は笑いながら頷いた。
そのうちに、牛乳の縁がふつふつと気泡を作り始める。瑞希はミルクパンを火から下ろし、マグカップに注いだ。
加える蜂蜜は、要望通り少し多め。
立ち上る湯気とともに、牛乳と蜂蜜の甘い香りが辺りに漂う。
不意に、一番小さなマグカップが独りでに動き出した。見えない手に持ち上げられるように浮き上がったそれは、ルルの許まで飛んでいく。
ルルはそれを両手で受け止めて、瑞希が止める間もなくホットミルクを啜った。
「あっ、もう、ルルったら。歩……飛びながら飲まないの」
「ちょっとだけだから」
そう言いながら、またホットミルクを啜る。嬉しそうな笑顔を見せるルルに絆されて、瑞希は仕方ないと言うように一つ息を吐いた。
「甘くて、とっても美味しい」
「口に合ったならよかったわ」
諦念を滲ませて返し、残った二つのマグカップを手にキッチンを出る。
暖炉の前では、カイルがモチのブラッシングをしていた。
温かい場所でのブラッシングは格別に気持ちいいのだろう。幸せそうな顔で微睡むモチに、自然と笑みが零れ出た。
「カイル、ホットミルクできたよ」
モチを膝に乗せたままのカイルにマグカップを手渡して、熱いから気を付けてねと声をかける。
カイルはお礼と一緒に頷いて、ふうふう冷ましながらホットミルクに口を付けた。
期待に輝いていた水色の瞳が、きゅうっと何かを堪えるように瞑られる。火傷したのかと焦ったが、カイルの口元は柔く綻んでいた。
「甘いねぇ……」
表情と同じふにゃふにゃの声が呟く。
言葉にか、甘い香りに誘われたのか、モチがマグカップめがけて伸びあがった。ふすふすと鼻を鳴らして興味を主張する。
カイルが見えるようにとマグカップを下ろすと、食べ物ではなかったからかモチはたちまち興味を失くし、またカイルの膝に落ち着いた。
食いしん坊らしい反応に、カイルとルルが小さく笑う。
そうして、ライラの歌を聞きながら、のんびりとした時間を過ごした。
ルルも参戦してのブラッシングに、モチはご満悦の様子で大人しくしている。冬が近づいてもふもふ具合が増した体は、丹念な手入れの甲斐あって見事な毛並みを誇っていた。
ルルはいい仕事したと達成感に満ちた顔をしていたが、しかしカイルはうとうととし始めていた。
「ベッドに行く?」
「んーん……まだ、へーき……」
そうは言うけれど、睡魔はなかなか手強いらしい。だんだんと目を閉じている時間が長くなり、やがてモチに折り重なるように俯せた。
苦しいと訴えるようにモチがカイルの膝を叩くけれど、それすらも眠りに誘う一助にしかならないらしい。カイルはすっかり気持ちよさそうに寝息を立てていた。
くすり、瑞希が苦笑する。
「仕方ないわねぇ」
今回だけよ、とルルがいつもより大きく指を振った。
ゆっくりと、カイルの上体が起き上がる。眠り続けるカイルの体が宙に浮いて、モチが膝から抜け出した。
「ベッドに連れてく?」
「ううん。一人は寂しいだろうから、もう少しここで」
言いながら、瑞希が暖炉の前に座る。ぽんぽん、と膝を叩いて示すと、心得たとルルがカイルの頭をそこに乗せた。
「ルル、人も浮かせられたのね」
「とっても疲れるけどね」
それでも、弟のためだからと頑張ったのだろう。
カイルを見つめるルルはとても優しい目をしていた。
「ありがとう」
礼を言った瑞希に、ルルは何のことだかと肩を竦めるだけだった。




