酒場にて
街に着いたアーサーは、すぐにディックと合流した。入った酒場はまだ早い時間帯だからか空席が多い。とりあえずと近場の席に腰掛けた。
「何頼む?」
「ウイスキー。と、つまみだな」
夕飯前だと打ち明けると、俺もとディックが笑った。
アーサーはウイスキー、ディックは果実酒。それから夕飯を兼ねたつまみを多めに注文すると、まずは酒、しばらくの間を置いて料理が届けられた。
グラスに注がれたそれを掲げるアーサーに、ディックも真似してグラスを掲げる。音の鳴らない乾杯はディックには異様に思えたが、アーサーにはよく似合っていた。
甘い果実酒で舌を湿らせ、味の濃いつまみで腹を満たす。それだけのことなのに、ディックは不思議と高揚した。
「俺さぁ、こうしてアンタと酒飲む日が来るなんて、正直思ってなかったんだよね」
弄ぶようにディックがグラスを揺らす。浮かぶ氷がからころと音を立てた。
自分から誘っておいて、と思いながらも、アーサーは否定しなかった。そう思う理由は、自分も同じなのだ。
「それだけ余裕がなかったということだろう」
「だよねぇ。あ、でも勘違いしないでよ。オレ、まだ諦めるつもりないから」
きっぱりと言い切られ、酒場に入って初めてアーサーの顔が顰められた。
普段は徹底して無表情を貫くくせに、家族が関わると呆気なく崩れ去る。
わかりやすいやつ、とディックが揶揄うように笑うと、アーサーは憮然とした顔で、気を取り直すようにウイスキーを大きく呷った。
(恋は人を変えるっていうけど、変わったのはどっちなのかね)
自分なのか、アーサーなのか。いや、もしかしたら二人ともなのかもしれない。
そう思うと、やはり彼女は偉大だと、ディックは自分の心が誇らしくなった。
色の変わったディックの微笑をちらと見遣り、アーサーが一つ息を吐く。間を置いて、別の話題を切り出した。
「国軍はどうだ?」
「悪くないよ。訓練は、そりゃきついけど」
「だろうな。でも、挫けはしないだろう」
「……まぁね」
ディックは擽ったそうに笑った。
テーブル越しのアーサーは相変わらず表情の乏しい顔をしているが、目尻は心なしか下がって見える。
少なくともこの状況を疎んでいない証拠だろう。
その通り、口火を切るのは珍しくアーサーの方が多かった。
「気を許せる相手はできたか」
「うん。先輩とかも、みんないい人達でさ。毎日楽しいよ」
「上司はどうだ」
「厳しいけど、いい人だよ。何がいけなかったとか、一からちゃんと教えてくれるからオレたちも聞きやすいんだ」
「……そうか」
アーサーの言葉は相変わらず短いものばかりだったが、ディックが心からの笑みとともに返せば、その声音は柔らかくなる。
それが照れ臭くも嬉しくて、ディックはどんな小さなことでも話題に上げた。
アーサーは聞き役に徹していたが、相槌を打つたびに口角が上がっていく。友人や先輩と飲む時とは違う感覚は、ディックに不思議な面映さを齎した。
しかし不意に、明るいばかりだった表情に翳りが落ちる。
「……軍で、さ。よく聞かれるんだ。ーーどこで型を習った、って」
アーサーの肩が小さく揺れた。表情は一見いつも通りのようだったが、瞳の黒が深みを増している。ぴったりと閉ざされた唇は、まるで答えあぐねているようだった。
ディックに剣を教えたのはアーサーだ。教えたといってもほとんど実戦させて、型などを教えたことはない。
それでも、ディックの剣は、アーサーのそれと酷似した。アーサーを見て学んだからこそ。
それは互いに理解していることだ。
「……俺は、王都で生まれ育ったからな。知っている者もいるだろう」
慎重に言葉を選んで出した答えは、当たり障りのないものだった。
嘘ではない。けれど、真実でもない。修飾するほとんどの言葉を伏せた、事実。
しかし、こんな返答でディックが納得しないことはわかっていた。
その通り、彼は真っ直ぐな目をアーサーに向けている。
「本当に?」
ディックの中には、それだけではないという確信があった。
アーサーもそれを察していたが何も言わず、言葉と一緒にウイスキーを飲み込む。
わかりやすい誤魔化し方に、ディックは苦く微笑した。
「律儀っていうか、不器用だよね、あんた」
「余計なお世話だ」
顔を背けたまま言い返すアーサーは拗ねた弟分にそっくりで、ディックは衝動の込み上げるまま、声を上げて笑った。




