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またね

三十分も経っておりませんが、真ん中あたりの数文が抜けておりましたので同日20:15頃に加筆致しました。

 ディックの祝勝会から数日が経ったが、王都からの通知は未だ届けられていなかった。

 国軍に仕官するということは、国に仕えるということ。審査に時間がかかるのも当然だと本人は苦笑して待機の姿勢を見せていたけれど、見守る周囲には酷くもどかしかった。

 けれど、ディックもただぼんやりと待ちぼうけているわけではない。今のうちにと家業の手伝いに力を入れたり、《フェアリー・ファーマシー》が休みの日にはアーサーを訪ねてきて、引き続き剣術の訓練に励んだりと研鑽を積んでいた。


 一日、また一日と時間が過ぎ、やがて武術大会から一か月を迎えた。そのうちにだんだんと陽が沈む時間も早くなり、強すぎた日差しもすっかり和らいで、長かった夏がようやく終わりを迎えようとしている。

 そんな頃に、ようやくディックの許に一通の手紙が届けられた。


 「ハルデンフルド、国軍よりお便りです」


 やや緊張した面持ちで受け渡されたオフホワイトの封筒を封緘しているのは、深みのある赤の封蝋。艶やかに刻印された紋章は、国からの正式な文書である証だ。

 ようやく受け取れたそれを両手で持ち、ディックは逸る気持ちが少しでも落ち着くようにと深く呼吸を繰り返した。

 武術大会の時の緊張は武者震いだと言えたのに、この時ばかりは言えそうもない。小刻みに震える自身の手指に、ふっと自嘲の笑みが零れ出た。


 壊れ物を扱う時のような手つきで封蝋を剥がす。引っ張り出した便箋を広げると、その頭部にも国の紋章が捺印されていた。

 色味を抑えた白の上を、黒々としたインクが美しく踊る。その軌跡を二度三度と往復すると、熱の籠った息が弱弱しく口から洩れた。それが間を置かず連続して、やがて笑い声に変わる。

 内容を正しく理解したその時には、ディックは走り出していた。一度は宝物のように感じた通知をキッチンテーブルに叩きつけ、足のバネを活かしてまた別方向へと駆け出した。



***



 よく晴れた空の下で、瑞希は子供たちと一緒に薬草畑に出てきていた。

 気温が落ち着いてきたこともあり、朝にやった水がまだ畝の土の色を濃くしている。植物から生まれたルルに言わせると、この土が秋の訪れを感じさせてくれるのだそうだが、それは瑞希にはまだまだ分かりそうにない領域の感覚だった。

 瑞希にとってはまだまだ夏と感じさせる空の下で、子供たちは真剣な顔で背の低い植物に()った実を凝視している。

 今、四人は育てた薬材を採集をしていた。

 アーサーは秋やその先に向けて薪の備蓄を作るべく、薪割りに精を出している。姿は見えないが、カン! と小気味の良い音が不規則に聞こえてきていた。


 「母さん、この実は捥いでもいーい?」

 「ん~? んー、まだちょっと早いかなぁ」

 「じゃあ、こっちは?」

 「ああ、そっちはちょうどいいくらいね」


 一つ一つ確認しながらの作業は手間も時間もかかるけれど、数を重ねていけば二人も見慣れてくるのか収穫はスムーズになっていった。

 そうして、空だったかごが半分ほど埋まった時のことだ。


 「誰かっ! 誰かいるっ!?」


 玄関の方から聞こえた切羽詰まった叫び声に、四人は驚いて手を止めた。


 「今の、お兄ちゃんの声じゃない?」

 「だよね……どうしたんだろう?」


 瑞希は立ち上がり玄関へと足を向けた。反対側からは同じくディックの様子を訝しんだアーサーが近づいて来ている。

 けれどディックが先に見つけたのは瑞希だったのか、彼は見つけたその姿に一直線に飛びついた。


 「ミズキっ!」

 「へっ、わっ⁉」


 飛びつくように抱きしめられて、瑞希の体が大きく揺らぐ。けれど地面に倒れ込むことはなく、瑞希はディックの腕の中に引き入れられて両足を浮かせた。

 街から走ってきたのか、耳に当たる呼吸が荒い。密着してくる体も熱く火照っているのだがさすがに体力はあるらしく、ディックは瑞希一人を軽々抱き上げて、衝動のままに腕の力を強くした。

 アーサーの目が剣呑に眇められる。ルルが聞き取れないほど高い声で何事か叫んだ。

 けれどディックは、誰の何にも意識が向かないほど興奮していた。


 「通ったよ!!」


 喜色のみが溢れるその一言に、すべてが染め上げられる。


 「――――――!!」


 口にした言葉は何だったか。

 ただ、言祝ぎであったことだけは間違いない。


 みんなで大はしゃぎして、双子も混じっておしくらまんじゅうのように抱き合った。瑞希はずっとディックに抱きつかれたままで、アーサーが我慢の限界とディックを引き剥がして。それさえも、みんなして笑ったから。


 そしてその翌週、ディックは笑顔で街を発っていった。



***



 「ミズキ、カウンター用のミントティー。ここに置いておくわね」

 「うん。ありがとう、ルル」

 「なんだか違和感があるのに、いつも通りな気もするのよね」


 なんでかしら、なんて聞きながら、ルルは理由を察している顔だった。

 だから瑞希も、なんでかしらね、とはぐらかすような相槌を打つ。


 ディックがいなくなってからも、《フェアリー・ファーマシー》は通常通りだった。

 ディックは、もう十分祝ってもらったから、と街の人たちには置き手紙で国軍入りを伝えたらしい。

 水臭いことを、という人もいたけれど、すべてはもう済んでしまったこと。ディックが帰ってきた暁には説教してやると息巻く人もちらほらいた。


 国軍に入ると、休暇をいつ取れるかは人によって違うらしい。半休や二、三日の連休はあっても、帰省するには足りないことがほとんどで、配属先で過ごすのが常だという。

 あの後ディックがどこに配属されたのかは知らないが、それまでの間に最低でも一ヶ月は体力強化。そこからしばらく様々な部署の下働きをしつつ適性を見て、ようやく配属先が決まる。

 帰ってくるのは大分先のことだろう。


 「こんちはー」


 ゆるい挨拶とともに、オーウェンが湿布薬の薬壷を持ってきた。

 ダートンの後継として正式に決まった彼は、しかし工房内最年少ということもあって相変わらず世話を焼かれたり焼いたりしているらしい。その一環がダートンの湿布薬の確保だった。


 「ダートンさんのお加減は如何ですか?」

 「相変わらず、っすね。生涯現役突っ走ればいいのに」

 「世の中には勇退って言葉があるんですよ」


 ダートンは官職についてはいないけれど、概ね間違いではないだろう。

 オーウェンはふて腐れて口先を尖らせたが、朗らかに笑う瑞希の眼差しに反論を封じられ、かっくりと項垂れる。


 「タチ悪りぃ……」


 負け惜しみの言葉にも瑞希は笑みを崩さない。代金と商品を交換し、またと気さくに手を振る背中を見送った。


 そうして、《フェアリー・ファーマシー》は穏やかに秋の訪れを待つのだった。

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