宴席
広場を中心として華々しく飾られた街は、行きかう人々の笑みでいっそうその魅力を増し、ただ歩いているだけでも瑞希たちの心をわくわくさせた。もともと地方の一集落にしては結構な賑わいを見せていたが、今日はいつにもまして人口密度が高い。
けれど、それも当然の話だった。ディックの祝宴に尽力したのはこの街の人だけではないのだから。
《フェアリー・ファーマシー》はフェスティバル以降街の外からも定期馬車が組まれるようになった。それはスポーツドリンクの販売協力や特別功労賞の受賞など折に触れて手紙などで交流を続けてきたことにより以前にも増して密になっていたのだが、そこに一時的とはいえ従業員として働いていたディックの快挙の知らせが届いたとあって、近隣の集落からも多くの人々が祝いに駆け付けたのだ。
双子に見せた兄気質のように、生来から気の良い質らしい彼はするりと人の心に入り込む。
瑞希たちの知らぬ間に、ディックはディックで独自に交友関係を広げていたのだ。
見知った顔、それも浅からぬ仲である者の吉事とあって、近隣集落の人々は本来は門外不出とされる特産物まで持ち込んでやってきた。そのおかげでますます豪華なものになると、マリッサが腕を鳴らしていたと人伝に聞いた。
カイルとライラが踊るように軽やかな足取りでくるくると瑞希やアーサーの周りを回る。はぐれないように、という約束を守ってくれているのだが、浮足立ってしまうのは抑えられないらしい。満面の笑みを浮かべてはしゃぐ双子に、瑞希やアーサーも口元が緩むのを止められなかった。
「お兄ちゃん、もう来てるかなぁ?」
「こういう時って、主役は遅れてやってくるものなんじゃないの?」
この前の本に書いてあったし、と言うルルに、そっかぁとカイルとライラが残念そうにする。ぺたん、と垂れた耳が見えた気がした。
感情変化のわかりやすい弟妹に、ルルがふわりと大人びた微笑を浮かべた。
「来てないなら出迎えればいいのよ。でろっでろに蕩けきった締まりのない顔を晒すに違いないわ」
自分の溺愛っぷりを棚に上げて憎まれ口を叩くルルに、ことりと双子が首を傾げる。
お出迎えしたら喜んでもらえるのかな? と首を傾げたまま顔を見合わせているが、二人の前では頑として兄貴分の体裁を崩さないのがディックだから、おそらく意地でもにやけ顔は堪えるだろうと瑞希は察していた。
そうこうしているうちに広場に到着すると、頭の中にあった諸々はすべて吹き飛んだ。
ここに来るまでの華やかな街並みを凌ぐ人混みと装飾。中央には瑞希たちも携わった横断幕が高々と掲げられている。パーティーは立食形式らしく、テーブルには大皿に盛られているのだろう料理たちがクロッシュの中で披露目の時を今か今かと待ち侘びていた。
瑞希たちの時と同じく、主役たるディックたちの席は広場の中央に設えられている。席にまだ誰の姿もないことにカイルとライラが肩を落としていたが、数分前の姉の言葉を思い出したのかやる気に満ちた顔で広場の出入り口を見回していた。
けれど、お待ちかねの本人はまだ来ない。その代わりというわけではないがマリッサやロバートなど顔見知りの姿を見つけた。マリッサは生憎給仕に忙しそうにしていため声はかけず、ロバートのいる方へと移動する。
「せんせー、こんにちは!」
仲良く声を揃えて挨拶するカイルとライラに、ロバートの顔がにっこりと笑みを刻む。よくできました、と褒める声も撫でる手もとにかく優しく、普段の彼しか知らない何人かが己が目を疑っていた。
「大人にもこういう顔見せたらいいのに」
「それ、見た時ルルは笑わないでいられるの?」
瑞希に突っ込まれて、ルルが押し黙る。その沈黙が答えだった。
と、その時だ。ぎゅるる、と盛大な腹の虫の鳴く声が聞こえた。喧騒の中でも紛れないそれは、どうやらロバートの腹の虫だったらしい。
双子の頭を撫でていた手が、悲しそうにでっぷりとした腹を撫でた。
「せんせー、お腹減ってるの?」
ライラが無垢な目で問う。カイルには「ご飯はちゃんと食べなきゃダメなんだよ」と真面目な顔で言い聞かされて、ロバートはそうだなぁと苦笑して頷いていた。
と、不意に、波のさざめきのように声の絶えなかった広場が色めき立つ。ひときわ大きくなったざわめきの向こうに目を向ければ、ディックが照れくさそうな顔をして立っていた。
その後ろにはダートンや他の鍛冶師たちの姿も見える。
家族に背を押されて戸惑いながらも広場の中心に辿り着いたディックはやや緊張した面持ちだったが、目敏く人混みの中から瑞希たちの姿を見つけると歓喜と安堵に表情を柔らかくして、気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「母さん」
「ママ」
二人に同時に呼び掛けられて、瑞希が困ったように苦く笑って待ったをかける。今すぐに飛び出していきたいと目で訴えてくる二人には可哀想だが、今はもう流れが変わってしまっているのだ。
その証拠に、ディックたちの手元にジョッキが配られている。間もなく乾杯の音頭が上がるだろう。
その予想通り、ディックはジョッキを頭上高く掲げた。
「気の利いたことなんて言えないけど、――ありがとう!」
「乾杯!」と叫んだディックの上ずった声に、広場がどっと沸き上がる。それを合図としてテーブルのクロッシュが一斉に外され、食欲をそそる香りが辺りに広まった。
見慣れた料理にも見慣れない料理にもずらりと並ぶ人の群れに、ロバートが意気込んで突撃していく。それを笑って見送って、瑞希たちはディックたちの方へと足を向けた。
人垣の向こうでは、彼の方も瑞希たちを目指していたらしく、目が合うと嬉しそうに破顔された。
瑞希とアーサーより一足早く人垣を抜け出したカイルとライラは、助走のせいか先程我慢した分を上乗せしたような勢いでディックに向かっていく。
飛びつかれたディックは数歩よろめいたが、それさえも嬉しそうに二人を腕に抱きとめた。
「改めて、おめでとう、ディック」
「ありがとう。……はは、なんか小っ恥ずかしいなぁ」
アーサーと瑞希からの祝いの言葉に、ディックがふにゃりと眉を下げる。
情けないわね、なんてルルがちくりと言葉の針を刺すけれど、その声音も表情も、明るく優しいものだった。
「疲れは取れた?」
「うん、一晩寝たらすっかり。あとは腹拵えするだけかな」
冗談めかしたディックが、しかしすぐに真面目な顔になった。二人を見下ろす目は優しく慈愛に満ちているのに、微かな未練が口元に宿っている。
ああ、やはりそうか。
瑞希も、アーサーも、明言されずともディックの選択を理解していた。
ルルは、何のことかと首を傾げている。教えてやるべきかとも思ったが、今はと思い憚られた。
「決まったのか?」
何が、とは言わなかった。けれどその意図をディックは違わず汲み取った。
きょとんと腕の中から見上げてくる双子に何でもないよと笑いかけ、言葉を選んでアーサーに返す。
「希望は出したよ。受理されるかは、まだわからないけどね」
「……あまり遅いようなら、領主を責付け。あの御仁なら喜んで請け負うだろう」
「ええ? あんた、怖いもの知らずにも程があるよ」
真面目な顔してと苦笑うディックは、それが冗談だと思っているらしい。
軽くあしらわれたアーサーは憮然としていたが、憂いの晴れたディックの表情に、まぁいいかと掘り下げるのは辞めた。
「通るように祈っててよ」
へらりとした笑みに、アーサーが無言で鼻を鳴らす。明確な返事は無かったが、唇は柔らかく緩んでいるのは誰の目にも明らかだった。




