父
通路に踵を打ち付ける音が響く。瑞希たちが植物園にいる頃、アーサーは一人帰省し、自室への道を辿っていた。
戻るつもりのなかった今までは何を思うこともなかったのだが、久々に帰ってみると思いの外感慨深いものがある。かつては毎日のように目にしていた物さえ不思議と見慣れないもののように感じた。
不意に、一人分だけだった音の中に、別の誰かの音が加わる。誰だろうかと目を向ければ、懐かしい父親の姿がそこにあった。
静かに会釈したアーサーの方へと彼が歩み寄る。
「ようやく顔を見せたか。まったく、何年ぶりだ?」
「八年になります」
感情を滲ませず端的に答えたアーサーに、親不孝者めと苦笑いが浮かぶ。この息子は相変わらずらしいと、むしろ父親の方が割り切っているようだった。
「それで? 少しは留まるのか?」
内心答えを予想しながらも問えば、アーサーは予想以上の答えを父に向けた。
「いえ。……家族を、待たせておりますので」
家族。
感情の希薄な息子が口にしたその言葉に、一瞬何を言われたかわからなかった。
一拍、二拍。頭の中で何度も反芻する。ようやく言葉の意味を理解して、彼ははじけるような笑い声を響かせた。
腹まで抱えて大笑いする父親に、こんな姿を見たのはいつ以来かとアーサーもまた驚きに目を瞠る。
暫く笑いがおさまるのを待っていると、僅かに上がった息を深呼吸一度で落ち着かせた父親は良いことを思いついたと企んだ笑みを浮かべた。
嫌な予感がアーサーを襲う。思わず身構えると、それすらも愉快そうに父親は笑みを深くした。
「私もともに行こう」
異存はなかろう?
疑問の形を取りながらも、拒否権がないことをアーサーは骨身に染みて理解していた。正気ですか、と無礼を承知で確認を取るが、相手は息子の心中を承知の上で満面の笑みを浮かべて首肯する。
否やを唱えることを許されなかったアーサーは、喉元までせり上がった文句を何とか抑え込んで、嫌々、渋々、父親の要求に是と返した。
――そしてその結果が現在だ。
アーサーは己が父と、道中顔を合わせ事の次第を聞いたダグラス老まで連れ立って瑞希たちの前に立っている。気まずくてならない気持ちに苛まれながらも恐る恐る瑞希たちの様子を伺えば、四人とももれなく驚いた顔のまま硬直していた。
かける言葉も見つからず黙り込むアーサーを差し置いて、父とダグラス老がほけほけと笑う。
「久しぶりだねえ。みんな、元気そうでなにより」
「なんだ、顔見知りなのか」
「ええ、ええ。今年の『蕾』と、その家族なのですよ」
目尻に優しく皺を刻んだダグラス老になるほどと頷いて、父親が改めて瑞希たちに視線を戻す。
「初めまして。アーサーの父親の、ジェラルドという。私ともよろしくしてくれると嬉しい」
にっこりと笑顔を作ったその人は、きらりと目の奥を光らせていた。




