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 先頭を走っていた兵士が飛び込むように取っ手の壊れた扉を開け放つ。続けてなだれ込んだ一同に、立ち尽くしていたディックがぼんやりと顔を向けた。その顔は先導の兵士に劣らず血の気を失っている。


 「どうした、何があったんだ」

 「…………ごめん」


 ディックが顔を俯け、消え入りそうな声で謝罪を口にする。は、と吐き出した息は震えていた。いよいよただ事ではないと、ダートンたちの顔が険しさを増す。どうした、何があったと彼らが努めて穏やかな声で問いかけても、ディックは顔を上げることすらしなかった。

 いや、できなかったのだ。


 「ディック――お前の剣は何処だ?」


 アーサーの問いに、室内が水を打ったように静まり返る。壁際に置かれた剣立てには、本来あるべき剣がなかった。

 ディックの顔がいっそう下を向く。それが、答えだった。


 「だ、誰かが掃除のときに移動させただけなんじゃねぇのか?」

 「あり得ません……大会中はすべての控室が関係者以外立ち入り禁止なんです」


 それは城の掃除婦でも例外ではない。

 すみません、と兵士が震える声で詫びる。彼が悪いわけではないのに、その声は遣る瀬無さで震えていた。


 「城下のお店に……いえ、お城の剣を借りることはできないんですか?」

 「無理だ。城の剣は官給品、貸与は禁止されている」


 瑞希の言葉をアーサーが否定する。蒼白の兵士も悔しそうに頷いていた。嘘だろ、と呟いたのは誰だったか。

 ならばやはり城下へ、という声も上がったが、ディックの試合までは多く見積もっても移動時間と微調整の時間を考えるとどうしても間に合わないという結論に達してしまう。

 大人たちが難しい顔をして頭を捻る輪の外で、立ち尽くすディックには双子が寄り添っていた。


 「兄ちゃん……」


 カイルとライラがディックの服の裾を掴む。不安そうな二人に大丈夫だと言いたいのに、嘘でもその言葉が出せなかった。


 「……ごめん。オレ、ここまでみたいだ」


 泣きそうな顔で笑うディックに、馬鹿を言うなと口では言えても、現状打つ手がないのは事実だ。そしてそれを誰より理解しているのがディックなのだ。震えるほど固く握られた拳が、諦めきれない彼の本心を如実に表していた。


 「………………」


 アーサーが自分の腰に目を落とす。そして徐に口を開く。


 「そこの兵士。大会で使う剣の条件は、刃引きした物で間違いないな?」

 「え? えぇ、その通りですが……」

 「ダートン、仕事道具はあるんだったな」

 「あ、あぁ……」


 それぞれから返される戸惑いの色濃い返答に、アーサーが一つ頷いた。自身の愛剣を腰から外し、オーウェンに差し出す。へ? と気の抜けた声を零した彼に強引に剣を押し付けた。


 「これの刃を落とせ。その場凌ぎにはなるだろう」

 「ちょっ、それはアンタのだろ⁉」


 そこまでしてもらう理由はないと慌てて首を振るディックに、しかしアーサーはどこまでも冷静だった。――表面だけは。


 「国主催のこの大会で、実力以外が勝敗を分けるなどあってはならない」


 抑揚のない声が地を這うように響く。静かなはずの黒い瞳の奥底には、苛烈な怒りが滾っていた。

 剣呑な目を向けてくるアーサーに、ごくりとディックが喉を鳴らす。


 「本当に、いいのか。商売道具だろ」

 「構わん。今は薬屋の店員だ。それに、どうせ実家に顔を出す。ついでに代わりを取ってくるから問題ない」


 未練もないときっぱり言い切ったアーサーに、ディックが勢いよく頭を下げる。


 「悪い。この借りは必ず」

 「言葉が違う」


 ぴしゃりと言葉を遮ったアーサーに面食らったディックが、やがてくしゃりと顔を綻ばせる。


 「ありがとう。この恩は必ず」


 そしてディックは今度はオーウェンに対して頭を下げた。


 「お前がまだ納得してないのはわかってる。でも、頼む、力を貸してほしい」


 ごめんと詫びる声には、さっきまでとは違い力強さがあった。

 オーウェンが、手元の剣とディックとを見比べる。困惑に彩られていた瞳に、別の光が浮かんだ。


 「お頭。道具、貸してください」


 声は揺らがなかった。ダートンから差し出された鞄をしかと受け取って、必要な道具を取り出して作業に取り掛かる。

 兵士は少しでも時間が稼げるようにと運営の方へ走っていった。

 瑞希たちには聞きなれない、けれどディックたちには馴染み深い金属音が室内に響く。アーサーがまめに手入れしていた剣の刃は早くも見る影を失くした。潰しては研磨を繰り返し、時折ディックの体に当ててさらに微調整を加えていく。

 その内に兵士が戻ってきて、最後の試合にずらしてもらえたと報告された。どのくらいの猶予ができたのかはわからないが、順番には別の兵士が知らせに来てくれるらしい。しかしそれよりも先にオーウェンの手が止まった。

 実用剣とは違う丸みを帯びた縁が煌めく。


 「お前自身の力で決着を着けてこい」


 無様な姿見せたら承知しないからな、と凄む声に、ディックはわかってると引き攣り震える喉から声を絞り出した。

 間もなく、伝達の兵士が控室に飛び込んでくる。彼はディックの手に輝く剣を認めると、安堵に顔の強張りを解いた。


 「お時間です」


 兵士の声に頷き、ディックが兜を被る。一歩歩くごとにがしゃりと重い音がした。

 ディックの姿が見えなくなると同時に、オーウェンの体が傾く。精魂尽き果てたと、呻くような声とともに詰めていた息を吐き出していた。だらしなく両足を投げ出した彼の傍らにダートンが胡坐をかき、ぐっと頭を垂れた。倣うように、他の鍛冶師たちもオーウェンに頭を下げる。


 「ありがとうよ」


 師匠から、先輩から頭を下げられたオーウェンが、らしくねぇのと照れ隠しに笑った。


 「ミズキ、アタシたちも」

 「ええ。ディックの試合、観に行かなくちゃね」


 ここまで来て見逃すなんて悔やんでも悔やみきれない。

 瑞希の声を拾った鍛冶師たちが立ち上がる。疲れてふらつくオーウェンは彼の先輩たちが支えた。普段と逆だな、なんて軽口を叩きながらも、補助を止めるつもりはないらしい。

 せめて荷物はと瑞希たちで協力して運び、一同はディックの控室を後にする。

 首を垂れる兵士に見送られて、瑞希たちは今度こそ観客席への道を辿った。

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