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ディックの道

 ティースプーンでドライミントを二杯。そこに沸騰した湯を注ぐ。今回はドライフルーツは加えず、砂糖代わりにレモンの蜜漬けを持っていくことにした。ミントティーを蒸らしている間に小皿にドライフルーツを盛り付けて、トレーに載せてリビングに戻った。

 アーサーは相変わらず書類を捌いていたが、多少糖分を補給したからか効率が上がったらしく、もうしばらくもすれば終わりそうだ。手持ち無沙汰でぼんやりと窓の外を眺めていたディックは瑞希が戻ってきたことに気が付くと立ち上がってトレーを取り上げた。テーブルまで運んでくれるらしい。


 「ありがとう」

 「どういたしまして」


 ティーポットから茶を注ぐと、ふわりと清涼感のある香りが漂い鼻腔を擽った。ティーカップの一つにはレモンの蜜漬けと、蜜をたっぷり掬って入れる。見ていたディックが甘そう、と小さく呟いた。しかし、彼の驚きはそれで終わりではない。瑞希が蜜たっぷりのミントティーをアーサーに差し出す姿にぎょっとして、アーサーがそれを平然と――いや、むしろ幸せそうに飲む姿には信じられないものを見る目を向けて頬を引き攣らせていた。


 「見てるだけで胸やけしそう……」


 辟易した様子のディックが何も手を加えていないミントティーを啜る。甘くない、と満足そうな呟きが聞こえた。瑞希はそれにころりと一笑して、自分のティーカップにレモンの蜜漬けを一枚落とし、静かに口づけた。


 (個人的には蜜入りの方が好みだけど……売りやすさとしてはドライフルーツで甘みをつけた方が上ね)


 ミントティーのみを売り出して、アレンジメニューとして勧めてみるのもいいかもしれない。

 のんびりと舌鼓を打ちながらも冷静に分析していると、視界の端でアーサーが動いた。ようやくすべてに目を通し終わったらしい。ぐっと大きく体を延ばす背中は解放感に満ちていた。

 ティーカップを片手にやってきた彼が、ミズキの隣に腰掛ける。それから何を話すでもなくいると、ディックが緊張した面持ちで二人を見つめた。


 「あの、さ。すごい個人的なことなんだけど、……話、聞いてもらってもいい?」


 伺うような口調には、しかし聞いてほしいという強い意志があった。

 ふむ。一回目を瞬いたミズキがちらりとアーサーに目を向ける。彼も異存はないらしい。


 「もちろん」


 柔らかな声音と頷きで以って返された返事に、ディックの緊張の糸が少しだけ緩む。彼はこくりと喉を鳴らし、ゆっくりと口を動かした。


 「オレの家のことは、二人も知ってるでしょ」


 それなりに名の知られた鍛冶師ダートンと、彼に師事する弟子たちの集う工房。それが彼の家であり家業だ。頭領の一人息子であるディック自身も幼いころから鍛冶についてを学んできたと聞いている。

 ゆくゆくは彼がダートンの跡を継ぐのだと工房の内外を問わず目していた。

 しかし、その彼から続けられた言葉に瑞希とアーサーは言葉もなく目を丸くする。


 「オレさ、家は継がないことにしたんだ」


 ミズキは、今はもう消えた彼の痣を思い出した。もみ合うなりした拍子にぶつけたのだろうとアーサーが予想した痣。

 あれができた原因は、もしかしてこのことなのだろうか。頭に浮かんだ憶測を、ミズキはすぐに打ち消した。

 ダートンに限って、まさかそれはない。ミズキに予選を見てきてほしいと頼みに来た時にも、ディックのしたいようにさせるという姿勢を崩さなかったのだ。信じるには十分な根拠だろう。

 ミズキの読みは間違ってはいなかった。ディックと揉み合いになったのは、後継ぎとして指名されたオーウェンらしい。確定事項だと工房の全員の前で発表されて一悶着起きたそうだ。

 しかし、継がないと決めたディックの意思はそれでも揺らがなかったらしい。こうして話している今でも彼の表情は晴れ晴れとしていて、自分で自分の道を切り開くということにやりがいを見出しているのがわかる。


 「いいんじゃないのか」


 肯定したのはアーサーだった。まさかそちらから先に肯定されるとは思っておらず、ディックは面食らったように瞬きを繰り返す。そんな反応に、アーサーは淡々と言葉を繋げる。


 「やりたいことを見つけたのだろう?」


 言葉は疑問の形をとっていたが、アーサーはそれを確信していた。何の理由もなく進路を変えたわけではないのだろうと衒いなく信頼を示されて、ディックの顔が赤くなる。


 「仕官しようと思ってるんだ」


 ディックはさらに頬を染めて言った。

 武術大会の本戦で好成績を残した者には国に仕官を願い出る権利が与えられるらしい。また、もし上位には食い込めなくとも領主や貴族から声をかけられることがあるという。彼が武術大会参加を決めた理由は単なる腕試しなどではなかったのだ。


 「自分がどこまでいけるか、なんてわからないけど。それでも、やりたいんだ」


 今まで歩んできた道から外れるということは、それを覚悟するということは、生半可な覚悟でできるものではない。それでも、ディックの瞳は些かの曇りもなく輝いていた。

 ディックなら、きっと。

 贔屓目なのかもしれないけれど、彼ならきっと成し遂げる。生き生きとしたディックに、瑞希は眩しそうに目を細めた。

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