第一関門
進行役の合図とともに、馬たちが手綱を引かれて入場する。一列に六頭、それが五列の計三十頭が参加者たちの前に並んだ。
元軍馬というだけあって彼らは素人目にも鍛えられているとわかる立派な体格をしている。よく躾けられてもいるようで、嘶くこともなくその場に整列していた。
自身の飼っている馬や馬車馬ではこうはいかない。そう思うとアーサーの馬は彼らに近いようだと瑞希が感心していると、あら? とルルが疑問の声を上げた。
「退役ってことは、もうお仕事はしないのよね? あの仔たち、まだまだ元気そうに見えるけど、どうして?」
「軍馬は怪我や病気の場合を除いて年齢で退役が決まる。元気そうなら、任期を満了したということだろう」
アーサーの回答に、ルルは「ふぅん」とまた馬たちを見た。無関心とも取れる反応だったがその目は優しく、彼らの健康を喜んでいることがわかる。
アーサーが柔らかい眼差しを向けると、不意にどっと周囲が沸いた。驚いて辺りを確認すると、彼らは大きく口を開けて笑っている。中には腹を抱え指差している者もいて、示される先を見てアーサーはあんぐりと顎を落とした。
「はぁ?」
こんなにも気の抜けた彼の声を、瑞希は初めて聞いた。優しい目をしていたルルも、カイルやライラたちも一様にきょとんとして、いつにない様子のアーサーを見上げている。
唖然としたまま微動だにしなくなったアーサーの視線の先では、馬によじ登ろうとして振り落とされている男たちが何人もいた。それだけではない。なんとか乗り上がれたかと思えば馬の尻を向いて跨っている者もいた。暴走馬が出ていないのが不思議なくらいだ。
レースが始まる前から失格を言い渡された者たちが、大きな体を失意に丸めてすごすごと広場の端に寄る。
誰かが何かをする度に、観客の笑い声が高くなった。
国の一大行事ともいうべき武術大会とは思えない悲惨な光景に、初見の瑞希でさえ頰を引攣らせる。自分とて馬には乗れないが、よくも参加しようと思ったものだと呆れにも似た感心の念が湧いた。
笑声と悲鳴の入り混じる中、とうとうディックの前に馬が連れられてくる。前までの挑戦者に刺激されたのだろうか、馬は頻りに地面を蹴っていて、明らかに落ち着きをなくしていた。
このまま乗らせて大丈夫なのかと、瑞希も子供たちも固唾を飲んで成り行きを見守る。
対して、アーサーは感情の読み取れない顔で静かにディックたちを見つめていた。
ディックは無言のまま、静止したまま軽い興奮状態にある馬を見つめる。徐に、ディックの手が持ち上げられた。ゆっくりと動くそれは、これ以上刺激しないようにという配慮の現れだろう。触れた手は愛でるように、落ち着かせるように上下に動いた。
焦りを見せることなく撫で続けるディックに、馬がつぶらな目で彼を見つめる。次第に、馬が気を落ち着かせていくのがわかった。
馬がディックの手に顔を擦り寄せる。それに目を剥く飼育員など露知らず、ディックは何事か馬に話しかけた。それから馬の左側に移動して、とうとう手綱に手をかける。左足を鐙に入れ、ディックはひらりと身軽な動作で乗り上がった。馬は数歩足踏みしたが表情は穏やかなまま、機嫌良さそうに尻尾を高く振っている。
しっかりと背筋を伸ばし堂々と馬に跨るディックに、子供たちから歓声が上がった。周囲は相変わらず失敗続きの参加者たちに夢中だったが
その喧騒にも負けない大きな声で声援を送っていた。
瑞希も、声こそ上げなかったものの無事に関門を乗り越えた彼の姿に肩の力が抜けるのを感じた。ただ見ていただけなのに、握っていた手には汗が滲んでいる。
(でも、本番はこれからなのよね……)
第一競技はレースによる馬術比べ。乗れたら終わり、ではないのだ。
ディックの技術がどれほどなのかは知らないが、彼のこれまでの努力が少しでも報われてほしい。
瑞希はまた気を引き締めて、試合に臨むディックに目を向けた。




