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寝耳に水

 「実はな、オレの代わりに、アイツの予選を見に行ってほしいんだ」


 馬車の影に身を隠したダートンの開口一番の言葉に、瑞希は目を丸くした。誰もが心待ちにしている催しだから、てっきり彼も行く気でいるのだと思い込んでいたのだ。けれどこの口ぶりでは、彼は予選を見に行くつもりは無いことがわかる。


 「……それは、お仕事で都合が悪いということですか?」


 ダートンは静かに首を横に振った。それから弱った声で「示しがつかん」と言う。彼自身強い葛藤を抱えていることが容易に察せられる声だった。


 「あいつが武術大会に出ると言い出した時、オレは好きにしろと言った。あいつの人生だ、やりたいことをやればいい。けどな、親としてのオレはそう言えても、工房の頭領としてのオレはそう言えねぇんだよ」


 ダートンの工房には鍛治を生業とする働き盛りの男たちが多く集まっている。その中にはダートンと然程変わらない歳の者もいれば、ディックと近い年頃の者もいる。

 その彼らにとって、ディックは我が子や弟のように思っていてもやはり自分たちの頭領の子でもあった。行く行くは彼が自分たちをまとめるものだと当然のように思っているのだ。


 「あいつが剣術を習い始めた時、弟子たちは何も言わなかった。でもな、大会に出場するって言った時には、さすがに空気が変わったよ」


 ダートンたち鍛治職人の本分は作ることだ。使い心地を求めて多少の手習いをすることはあるだろうが、結局は作るということに帰結する。

 けれどディックが武術大会に出場するとなると話は変わる。手習い程度で済む話ではない。本気で取り組んでいるのだと周囲に察せられることなのだ。

 幸いと言うべきか誰も何かを口に出すことは無かったが、心中思うところがあるらしいことは間違いない。この状況でダートンが予選を見に行くことは、弟子たちに不満を抱かせるのではと彼は危惧していた。

 ダートンの話は瑞希にも他人事ではなかった。彼の気持ちは分かるし、瑞希にもディックの活躍を見たいという気持ちはあるからだ。けれど、店のことを思うと気安く頷くことはできなかった

 今年の夏は異常に暑い。今でこそだいぶ和らぎはしたものの、もしもぶり返したらと憂慮するのは瑞希に限ったことではなかった。

 悄然とするダートンの顔を、瑞希も困った顔で見返す。きっとそこで返事の察しがついたのだろう、ダートンが不器用に笑顔を作ろうとした時、不意に「いいんじゃないか?」と声が割り入った。

 驚いて振り返れば、樽を積み終わったらしい御者がとめどなく流れる汗をせっせと拭いている。


 「どうせ予選日には街なんてほとんど動きやしないんだ。せっかくだし、行ってきたらいいよ」

 「街が動かない? どういうことですか?」


 不思議に思って問えば、御者とダートンが目を丸くした。しかしそれも、すぐにそういえばと納得の目に変わる。


 「そういえば、ミズキは越してきたんだったな」


 すっかり忘れてたよ、とダートンが幾分か明るげな声で呟く。それに同意するのは御者だった。

 越してきたことと関係あるのだろうかと、瑞希は首を傾げながらも説明を求める。


 「武術大会が開かれる時は、予選だろうが本戦だろうが馬車組合(おれたち)は総出で開催場所と他の地域とを行き来するんだよ」

 「総出、ってことは……」

 「定期馬車もストップする」

 「ええっ⁉︎」


 聞いてない! と瑞希が大声を上げるが、ずっとこの土地で生まれ育った二人にはそれが当たり前だったのだ。

 詳しく話を聞いてみると、武術大会は国主催の催しだということもあって観戦希望者からの馬車の予約が殺到する。開催地の馬車組合は普段と変わらずーーとはいえ武術大会を考慮に入れた配送を実施するのだが、それ以外の場所ではそうもいかない。

 人口が開催地に集中するということは、その他の場所は人気が少なくなるということ。すると、地元に残って商いをしようとしても碌な利益が出ない。それだけならまだしも、下手をすれば不利益を被ることもあるのだそうだ。飲食店を例に挙げるならば、その日の利益より廃棄する生鮮食品の金額が上回った場合などが当てはまる。

 そういった事態を避けるために、自営業は予選本戦に関わらず武術大会開催当日店を休業するというのが暗黙のルールとして存在しているらしい。

 寝耳に水の話を聞いてぽかんと放心する瑞希に、ダートンたちが同情的な笑みを浮かべる。


 「瑞希たちにはいつも世話になってるからね。行くってんなら、人数も多くないし組合(うち)で融通利かせられるよ」


 どうする? と悪戯を仕掛けた時のような顔で聞いてくる御者の言葉を、瑞希はぼんやりとした頭で反芻した。

 ぐらぐらと瑞希の心の天秤が揺らいでいるのがわかる。

 あと一押しか。当たりをつけたダートンが下手に出て言葉を継いだ。


 「ミズキ、頼む。この通りだ。引き受けてくれないか」


 ぱんっ、と手を合わせて頼み込まれて、瑞希の葛藤は呆気なく終幕を迎えた。


 「そういうことなら、断る理由もありませんからね。喜んでお引き受けします」


 どこかすっきりとした笑顔で了承を明言した瑞希に、ダートンが「恩に着る!」と大袈裟なほどの感謝を示す。

 御者は満足そうに数度頷いて、瑞希の手を掴んで離さないダートンをせっついて馬車に押し込んだ。


 「じゃあミズキ、スポーツドリンクは確かに受け取ったからね。次もよろしく頼むよ」

 「はい、今後ともよろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げた瑞希に軽く手を振って、御者が手綱に手をかける。

 街へと帰っていく馬車をしばらく見送って、瑞希は軽い足取りで店へと戻っていった。

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