領兵襲来
「ミズキ、子供たちと奥に……」
辛かろうと気遣ってくれたアーサーの言葉に、瑞希は唇を真一文字に結んで拒んだ。大人たちの剣呑な気配を感じ取った子供たちが、ディックに縋るように身を寄せているのを視界の端で捉える。
瑞希はゆっくりと、意識して深く呼吸を繰り返した。
(--大丈夫。私は、私の良心に恥じるようなことは何もしていない)
指先が白くなるほど強く拳を握りながら、瑞希は顎を引き自らを奮い立たせ、けれど自らが出迎えるだけの余裕などあるはずもなく、暴れる心臓の鼓動を聞きながら領兵の男が来るのをただ待った。
「失礼する。薬屋はこちらで間違いないだろうか」
武骨な印象を受ける声音で壮年の領兵が確認する。それに誰もが言葉を発せず頷きだけで答えた。
歓迎されていると勘違いさえできない張り詰めた雰囲気に、しかし領兵は動じない。続けざまに次を問う。
「店主のミズキ・アキヤマ殿はおられるか」
「--私です」
強張った声で瑞希が応じれば、領兵の目がひたりと彼女を見据えた。アイスグレーの瞳が俄かに丸くなる。
「随分と若いな……」
思わずといった風に呟いて自分をまじまじと見下ろしてくる領兵に、瑞希は引っ掛かりを覚えた。その正体が何なのかはわからない。けれど、今目の前に立つ領兵の目には、かつての男たちのような下卑た色も蔑むような色も映っていないことはわかった。
それに、同じ意匠だが少し違うのだ。破落戸紛いの乱雑な着崩しをしていた男たちとは真反対に、彼はいかにも几帳面に制服を着こなしている。それだけでも雰囲気は随分と変わるものだが、目の前の偉丈夫の肩や胸には、かつての男たちにはなかった装飾品があった。
「……私に、何か御用でしょうか?」
硬い声音で催促すれば、領兵は思い出したように意識を切り替え、居住まいを正す。
「私は、ダグラス領領兵団近衛隊所属、ベンジャミン・ピルキントンと言う。貴女に用があるのは間違いないが、この場で話し込むのは憚られる。どこか場所を変えたいのだが……」
芯のある声で名乗ったベンジャミンに、やはりと瑞希は己の感じた違和感に確信を持つ。近衛というならば、彼はかつて店に足を踏み入れた者とは格が違う。
しかし、だからといって気安く応じられるほど、瑞希は無防備ではない。どう躱したものかと思考を巡らせかけた時に、アーサーが距離を取らせるように半身を割り入れた。真っ直ぐに相手を見据える黒曜の瞳には、警戒や猜疑はあるが敵意はない。
「悪いが、敢えてこの場で用件を済ませてもらおう。この店で、彼女がかつてどんな目に遭ったか、知らないとは言わせない」
アーサーの率直な物言いに同意するように、ディックや客たちから鋭い視線が飛ぶ。
ベンジャミンは苦虫を噛み潰したような顔をして、心底忌々しげに言った。
「あのような恥知らず共と同一視されるのは心外なのだがな。…………まあ、こちらに非がないとも言えん。悲報でもなし、この場でも問題はないだろう」
ベンジャミンはアーサーの言を道理と聞き入れることにしたらしい。瑞希に移動を催促することなく、後ろへ一歩身を引いた。
すると、知らないうちに肩に入っていた力がふと抜けた。呼吸もいくらか楽になるのを感じた瑞希、はアーサーの背から出て改めてベンジャミンに正対し、彼を見直した。
「もしよろしければ、そちらのベンチでご用件をお聞かせください」
先ほどよりは喉の強張りが解け、平生に近い声が出た。それに内心安堵しながら言葉通りベンチにベンジャミンを促せば、彼は「失礼する」とまた武骨な口調で応じ、泰然とした態度を崩さないままベンチに腰掛けた。




