馬車
翌日、瑞希は朝一番の定期馬車の御者にスポーツドリンクの定期購入の受諾を伝えた。
組合ではよほど不安の種となっていたのか、御者から厚く礼を言われて、解放されるまでに暫し時間がかかったほどだ。
けれどそれも終わってしまえば、後は日常と何ら変わらない。瑞希はルルのナビゲーションをディックに伝えつつ、自身の役割である会計作業に打ち込んだ。
薬屋 《フェアリー・ファーマシー》の最初の看板商品であるゼリーは相変わらず絶大な人気を博していたが、今日はそれに並ぶほど化粧水の売れ行きが好調だった。今年は日焼けが少し楽だと直に感想を聞かせてくれた客もいて、友人にも勧めたいのだと何本も買っていく客もいた。
笑顔でやってきては満足そうに支払いを済ませていく客たちに、瑞希たちも自然と笑顔を浮かべていた。
一方、その頃。
街への道のりを辿る中で、対向する馬車を見つけた定期馬車の御者は心臓が飛び上がる思いをした。慌てて馬車を端に寄せ、御者台から転がり落ちるようにして地に足を付けた御者に、しかし対向馬車の御者はちらりと一瞥を寄越すだけ。だというのに、たったそれだけで御者は竦み上がりその身を震わせた。
かぽかぽと蹄の音を響かせながら悠然と先を行くその馬車を、御者は唇を戦慄かせながら見つめ続ける。
足が縫い付けられたかのように動かなくなった御者の傍で、わけ知らず暢気に尾を揺らしながら馬はぶるりと鼻を鳴らした。
定期馬車が来るにはまだ早い時間。《フェアリー・ファーマシー》へと向かってくる馬車の影に、また遠方からの客かと思っていたディックは驚愕に目を剥いた。
「ミズキ! アーサー!」
顔を蒼白にして引き攣った声を出すディックに、アーサーが即座に反応する。
瑞希も客に断りを入れて出入り口に近寄ってみると、近づいてくる馬車に旗が掲げられているのが見えた。
どこかの貴族か富裕層の馬車だろうか。
春の《フェスティバル》の時に見た光景を思い出した瑞希だったが、停車した馬車から姿を現した男の姿を認めた瞬間、血の気が引く音を聞いた気がした。
ひゅっと息を飲んだ瑞希の肩を、支えるようにアーサーが抱きしめる。けれどそのアーサーも、怪訝な顔をして出入り口の向こうを見据えていた。
店内の動揺など露知らず、見覚えがある制服を身に纏ったその男は《フェアリー・ファーマシー》にその爪先を向け、近づいてくる。
あの意匠を、瑞希たちが忘れることはない。常連客たちの脳裏にも鮮烈に焼き付いたそれは、かつて《フェアリー・ファーマシー》に強襲してきた一団と同じ--領兵の制服なのだから。




