帰宅
とんとん、とんとんとん。声もなく覚醒を促してくる刺激に、瑞希はゆっくりと重だるい目蓋を押し上げた。瞬間、ぱちりとかち合った黒の瞳に心臓が止まるかと思った。ひゅっと息を飲んだ瑞希に、アーサーが悄然と眉尻を下げる。
「驚かせてすまない。もうじき街に入る」
「え、あ、あぁ。もうそんな時間なのね。起こしてくれてありがとう」
随分寝てしまったと恥じらいながら礼を言えば、アーサーは敢えて何を言うこともなく頷きだけで済ませた。
御者台に通じる小窓から覗く空は西の方が茜色に染まっていて、間もなく夜になるだろう。駆け行く道は西日を受けて橙色に輝き、薄暗い道先を照らし出していた。
「もうそろそろ起こした方が良いかしら?」
「街に入ってからでも良いだろう。全力で遊んでいたから、もう少し寝ても夜は起きないだろう」
行きとは違い暑さが和らいでいく一方の帰り道では寄り道することなく街へと直帰する。日が完全に暮れる前には着くだろうという見立て通り、山間から陽が垣間見える頃に馬車は街の見慣れた石畳を走り出した。
昼間のグラリオートに勝るとも劣らない賑わいが車窓に映る。
人の声に、ルルがもぞりと今一度体を丸め、大きく伸びて起き出した。
「ん……あら、もう帰って来てたのね」
「もう少し寝ていても良いぞ」
「んーん、もういいわ。これ以上寝ると、夜に眠れなくなっちゃうもの」
もう十分、とルルが欠伸交じりに目を擦る。それから乱れてしまった髪を整えて、すっきりとした面持ちで猫目を優しく細めて笑んだ。その微笑の向かう先は、当然彼女が溺愛してやまない弟妹である。くうくうと寝息を立てる双子を満足そうに眺めていた。
やがて馬車が止まる。
「ライラ、カイル。起きて、お家に着いたわよ」
ぽんぽん、と肩を叩いて声をかければ、むずかりながらライラがまず目を覚ました。ライラの手が寝ぼけ半分にカイルに伸び、瑞希がしたようにポンポンと叩く。
双方向から叩かれて、ようやくカイルが身動ぎした。けれど、まだ覚醒には至らない。不機嫌そうに眉を顰め唸るだけで、青い目はちらとも姿を見せなかった。
埋めるようにモチの背に顔を押し付ける。と、モチがボールのようにすぽんっとカイルの拘束から抜け出て、カイルの顔が座席にぶつかった。
布張りで柔らかいとはいえ所詮は馬車の座席。カイルはむにゃむにゃと言いながらもなんとか上体を起こした。
「カイル、起きろ。家に着いたぞ」
駄目押しとばかりにアーサーがペチペチカイルの頰を刺激する。カイルはわかったと頷きながら、毎朝と同じくルルとライラに先導されようやく馬車を降りた。
ぐらぐらと頭が落ち着かないカイルが甘えるようにアーサーに抱きつく。アーサーはそれを窘めるが、「こら」と叱る声は甘やかす時のそれだった。
スティーブンがぎょっとした目でアーサーを見る。
瑞希はそれをころころと笑いながら、アーサーの腹に顔を押し付けるカイルに手伝いを頼んだ。
「カイル、ライラと一緒に動物たちのご飯とかを確認してきてくれない?」
「んぁ、はぁ〜い」
ほとんど欠伸の返事だったが、いくら眠くとも手伝いは断らないらしい。手を繋いで言われた通り畜舎に足を向ける二人の背を見送る。横目にルルを見れば、彼女は心得たと胸元を一叩きして双子の後を追った。
きっと帰ってくる頃には寝坊助さんの目も覚めていることだろう。
瑞希はモチを玄関に放し、荷下ろしに取り掛かるアーサーたちの中に入っていった。




