帰路
「ああ、やっと寝てくれたか……」
いかにも疲れ切った様子のアーサーに、お疲れ様と瑞希が小さく笑いながら労わりの言葉をかける。途中から適当に流すこともできただろうに、生真面目なアーサーは一つ一つをまともに取り合っていたのだ。疲れも一入だろう。けれどそれがアーサーの良い所だから、瑞希は何を言うことも無かった。
泣き疲れて寝入った双子の目元は、何度も涙を拭ったせいで薄く赤らんでいる。予期せず二人の枕となったモチは大人しくその務めを全うしようとしていた。
一方で、今度はルルが睡魔に誘われだしたらしい。特等席を双子に譲った彼女はこくりこくりと船を漕ぎ出して、寝てて良いよと囁かれて瑞希の膝の上で丸くなる。仔猫のような眠り方に、瑞希は思わずアーサーと視線を交わした。
やがて寝息の三重奏が聞こえてきて、二人は図らずも同じタイミングで息を吐き出した。
「たった一日だというのに随分と長く感じたな」
「濃い一日だったわねぇ」
しみじみとしながら相槌を打つ。そんなことを言いながらも嫌な思いは露ほども抱いていないことは言うまでもなくわかりきっていた。
「この様子だと、集落に行くのは明日にしたほうが良さそうね」
「いいんじゃないか。足が早いような物は買っていない」
明日なら燻製も食べ頃だろうと続けたアーサーに、お酒が進みそうねと瑞希が揶揄する。探るまでもない魂胆に、飲みすぎないでねと釘を刺すのも忘れなかった。
だというのにアーサーは「久しぶりに一緒に一杯どうだ?」と白々しく聞いてくるものだから、瑞希は呆れた目を彼に向けた。
気を取り直して、起こさないようにと細心の注意を払いながらルルをそっと撫でる。手のひらサイズの妖精が小さな体をいっそう縮こめて眠る姿は庇護欲を刺激した。どうせなら大の字になって眠ればいいのに、と瑞希は内心で呟く。
「夕飯、起きると思うか?」
「さあ? まぁ、一食くらいなら、とも思うけど、でも水分はちゃんと摂らせたいわ」
ぷつぷつと長く続かない会話に、何か言いたいことがあるのだろうと瑞希は予感していた。実際に、アーサーは一度ならず言葉を模索するように口の開閉を繰り返しては、恐らく関係ないのだろうことを話題に挙げている。
ようやく、アーサーは声帯を低く震わせた。
「引き取ると、言い出すかと思っていた」
それが何を指すのか、主語はなくとも瑞希は正確に汲み取れた。双子という前例があるからこそ、アーサーがそう思ったのも無理からぬことである。
けれどそれは、瑞希が自覚しながら選び取らなかった選択肢だ。
「人には人の幸せがあるもの、押し付けるのは筋違いだわ」
だって、聖養院の子供たちは心の底から笑っていた。たとえ理不尽な目を向けられることがあっても、ただ純真に院長や職員を慕っていた。
諦めでも依存でもなく、自らの意思で寄り添い合っているのだと一目見てわかるほどの信頼関係。それは彼ら自身が考え、選んだからこそ成り立つものだ。そこにわざわざ割り入るのは野暮というもの。
そんなことを語る瑞希の朗らかな声に、アーサーは暫し聞き入るように目を伏せた。
声量を落としているとはいえ、子供たちに起きる気配はない。
それならと、アーサーは瑞希に手を伸ばした。
大きく固い手が髪を撫で、瑞希の頰を包み込む。
たったそれだけのことなのに、瑞希は途轍もない羞恥心に駆られて俯いた。けれどアーサーはそれを許さないというように、瑞希に顔を上げさせる。りんごのような顔で目を潤ませる瑞希に、アーサーの目が甘く蕩けた。
瑞希はますますたじろいで、逃げ場を求めるように視線を彷徨かせる。必死に母としての自分を保とうと懸命になっているのが見て取れて、アーサーの胸中で相反する二つの感情が鬩ぎ合った。
もう一押ししてしまいたくなるのを、けれど引き際を心得ているからこそ押し止める。けれど手放す気にはなれなくて、瑞希を引き寄せ自身に凭れさせた。
「あ、アーサー……?」
「ミズキも少し寝た方がいい。ずっと気を張っていて疲れただろう」
耳元で囁かれ、瑞希がぴくりと体を跳ねさせる。それに気づかなかった振りをして、アーサーはもう一度仮眠を勧めた。
こんな体勢で眠れるはずがないのにと、瑞希は悶々とした思いを抱えたまま、渋々と目を瞑った。
窓から差し込む橙色の陽光を目蓋の向こうに感じる。胸に当てた耳が拾うアーサーの心音は、思いの外瑞希に安心感を齎した。
意図して閉じていた目蓋が、次第に重みを増して、瑞希の意識がぼやけていく。
諦め悪く睡魔に抗っていた瑞希の力はついに完全に抜けきって、アーサーは一人、流れ行く車窓の景色へ視線を向けた。
馬車が一度大きく揺れる。瑞希の顔にかかった髪を払い除け、アーサーは抱き締めるように栗色の髪に頬を寄せた。




