瑞希とサイレン嬢
瑞希はゆっくりと息を吸い、努めて柔らかい声で話しかける。
「お客様、もしよろしければ奥に。どうかお願い致します」
周りには聞き取れない程度の声量でも、眼前に立つサイレンには十分な声量だった。涙目で睨みつけてくる彼女に子どもたちに対する時の様な笑みを向けて、もう一度「お願い致します」と繰り返す。
瑞希は目だけを動かした。シドを通り過ぎ、アーサーたちに止めて、にっこりとやけに深い笑みを浮かべる。
「アーサー、子どもたちとお店をお願い。使える者は使ってね」
意味深な瑞希の言葉に、アーサーが即座に無言で頷いた。誰のことかはしっかり伝わったようだ。アーサーはすぐに動き出し、シドの肩に手を置いた。
一方で、サイレンに声をかける女性がいた。彼女の侍女だ。
「お嬢様……」
「大丈夫ですわ。リエン、あなたは先に宿へ帰っていなさい」
サイレンの命に、リエンと呼ばれた女性が戸惑いながらも承諾の意を示した。
それを見届けて、瑞希はサイレンの手をそっと取り上げた。困惑に動かなかった彼女の肩が驚きに跳ねる。それを見なかったことにして、瑞希はそっと店の奥、家の方へと彼女を促した。
「お話、伺わせてください」
瑞希の言葉に、サイレンが悲しげに物憂げに目を伏せる。彼女の思考が下向いていると感じ取った瑞希は安心させたくて手を握る力を少しだけ強めた。
サイレンは先程までの激情をすっかり鎮めて、瑞希に促されるまま足を動かした。そして廊下に出る直前、名残惜しげに店内を振り返る。視線の先では、シドが丸い目でアーサーや双子を見ていた。
「大丈夫ですよ、シドさんも後で来ますから」
サイレンは一瞬息を詰めたが、動揺を振り払うように踵で強く床を打った。
***
長くはない廊下に二人分の足音が響く。歩く二人には何ひとつとして会話がなかった。しずしずとおとなしく後ろをついてくるサイレンに、瑞希は何の話からするべきかと考えを巡らせる。
(いえ、それよりもまずお茶ね)
泣いて、大声まで出したのだ。きっと喉が渇いているだろう。これから話し合うためにも、喉を潤わす必要があるだろう。
瑞希はリビングのソファーにサイレンを促した。そして自分はキッチンに入り、慣れない手つきで火を起こす。水を張った鍋をかけて、その間にティーセットの準備と、茶請けに作り置きのクッキーを小皿に盛った。
すべての準備を整えてリビングに戻っても、サイレンは神妙な様子でソファーに腰掛け、自分の膝を見つめていた。
「どうぞ、熱いのでお気をつけくださいね」
瑞希は茶と菓子を供してから、サイレンの真向かいより少しずれた席に腰を下ろした。
テーブルに置いたカップから湯気が立ち上る。それとともに鼻腔を擽る香りに心惹かれたのか、サイレンが躊躇いがちに手を伸ばした。
「…………花の香りがしますわ」
「ジャスミンティーといって、緑茶に花の香りを移したお茶なんです」
そう、とサイレンが慎重にカップに口をつけた。ほっと目が細められて、口にあったらしいと安堵した瑞希も火傷に気をつけながら静かに一口分を嚥下した。




