読めない人
「ごめん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。すみません、急いでいたのでつい……」
ぶつかったのは青年だった。
手を差し伸べてくれる好意に甘えて立ち上がる。改めて向き合ったその人は観光客らしい。茶髪と金茶の目の華やかな顔立ちが、申し訳なさそうに顰められている。
「っかしいな、確かにこっちで声が……」
「っ!」
来た道から聞こえてきた声に、瑞希は思わず息を詰めた。一瞬にして強張った体に、青年が眉を動かし、掴んでいた手を強く引いた。
「っきゃ……!」
溢れかけた悲鳴は、青年の手の中に消えた。くるりと身を反転させられて立ち位置が変わる。
ひょこりと、曲がり角から人が顔を覗かせた。
「ん? おーい、そこの兄ちゃん、こっちに人は来なかったかー?」
「いや、知らないよ」
青年の回答に「そっかぁ」と気の抜けた声で返して、その人は別の道を探しに行く。
足音が聞こえなくなってからもしばらく待って、ようやく瑞希は解放された。
「もう大丈夫。びっくりさせてごめんね」
「い、いえ……その、重ね重ねお世話をおかけして……」
瑞希の声が小さくなる。木登りして、鬼ごっこに熱中して、良い大人が何をと恥ずかしい。
「追われてるみたいだけど……頼みにする当てはあるの?」
青年が心配そうに問いかける。
頼みとはどういうことかと瑞希は戸惑ったが、すぐにあらぬ誤解だと気づいて慌てて首を横に振った。
「違いますっ!これは鬼ごっこでして、本当に追われてるわけじゃないんですよ!」
ほらこれ証拠!と胸元の番号札を見せつける。最初はそれが何という目をしていたが、コンテストだと付け加えれば青年はようやくほっと表情を緩めた。
瑞希も安堵に胸を撫で下ろしたところで、カァーン!と聞き覚えのある音色が聞こえてきた。鐘の音だ。
「終わり、かな?」
「はい。あの、ありがとうございました」
「いいよ、このくらい。あ。でも名前、教えてくれる?」
「瑞希といいます」
「ミズキね、私はライ=シド。よろしくね」
にこりと華やかに笑うシドに戸惑いつつ瑞希もよろしくと社交辞令で返す。なんというか、妙に人懐っこい人だ。
視線をうろつかせると、シドの手に擦過傷を見つけた。ぶつかった時にできたのだろうか。
瑞希はポケットに忍ばせておいたクリームケースを差し出した。
「これ、よかったら。傷薬の軟膏です」
「え? ……ああ、これか。ありがとう」
小さな木製のそれを受け取って、シドが目を細める。
そろそろ広場に向かわなければと断って、瑞希が踵を返す。立ち去りかけたその腕を男が捉えた。
「あの……まだ、なにか?」
「ああ、広場へ向かうんだろう? 一緒にと思って」
迷子なんだよね、と言うシドがにっこりと笑う。嘘だとは思わないが、なぜだか作り物めいている気がした。
しばしの逡巡を経て、瑞希は訝りながらも受け入れた。
こっちです、と手で示しながら小路を進む。その間も右腕は掴まれたままで、痛くは無いけれど気になって仕方がない。目で訴えてみても、意思は通じているだろうに素知らぬふりを貫かれた。
(ああ……早く帰りたい……)
ひっそりと溜息を吐く瑞希は精神的に疲れていた。




