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 瑞希の時間が一瞬止まった。体が石のように固くなり、自由な目線は逃げ惑うように動く。

 身動ぎしても手を掴まれては逃げられず、かといって俯くこともできない。

 瑞希は逡巡の後、力なく首を横に振った。


 「ごめん、なさい……」


 瑞希が謝罪以外の意味でこの言葉を口にするのは初めてのことだった。言われるよりも、言う方がずっと苦しいのだと初めて知った。

 アーサーの顔が悲しげに歪む。

 そんな顔をさせたいわけじゃないのに、瑞希は頷けなかった。


 「駄目、なの……。私には、そんな資格ない……」

 「……それは、どういう意味だ?」


 思いのほか低い声に瑞希が怯えるように震えたが、アーサーは退かなかった。退いてはいけないと、何かが告げている。


 「資格とは何だ。誰が決めるんだ。どんな資格があれば、お前は俺の傍にいてくれる」


 矢継ぎ早に問うアーサーの瞳に火が灯る。あの夜と同じ、奥底に瑞希の知らない何かを滾らせて。

 直感的に手を引こうとした瑞希の動きを読んで、それよりも早くアーサーがその手を引いた。

 体勢の崩れた瑞希の体がアーサーに倒れこむ。慌てて退こうとする華奢な体を抱きしめて、アーサーは苦しげに声を出した。


 「資格だとか、そんなもの関係ない。俺はお前がいい。お前でなければ嫌なんだ」


 アーサーに掻き抱かれて、熱い涙が頬を滑り落ちた。

 これは毒だ。甘くて熱い、夢のような毒。


 「…………世の中には、もっと……若くて素敵な子がいるわ」

 「そんなこと知らない。興味もない」

 「私は身寄りも無いし、何かに秀でてるわけでも無いし」

 「だから何だ。それなら俺は、好きな相手にすら何も言えない男だ。それに、ミズキの良いところは山ほどある」


 穏やかな性格、真面目、向上心。偽善とは違う、芯の通った優しさ。大人らしい態度と、時折見せる少しだけ子供っぽいところ。--挙げだしたらきりがない。

 瑞希は自分を過小評価しがちだが、そんなことはないとアーサーは知っている。

 俯いた瑞希の顎を、アーサーが軽く持ち上げた。薄っすらと水膜の張った目が見上げてくる。

 一度は堪えたが、今はもう堪えられなかった。

 

 「愛しいという言葉も、心も、ミズキ以外には向けたくない」

 「 あ、アーサー……お願い……っ」


 何をなんて口にできなかった。それでもアーサーにはきっと伝わっているはずなのに、聞き入れられることはなかった。

 震える瑞希の唇に、アーサーの唇が重なる。

 強引、けれど、優しい。触れるだけのキス。

 それでも、触れてしまえばもう駄目だった。

 アーサーの激しい感情が、触れ合った唇から流れ込む。こんな想いをぶつけられては、心を揺らさずにはいられない。


 「年とか、身の上とか、そんなことを言い訳にしないでくれ。そんな理由では、俺は引かない」


 はらはらと溢れた涙が頬に幾筋もの線を描く。焦がれる胸の苦しさを、どうしたら伝えられるのだろう。

 もうだめだと、抑えきれなくなった心が唇からこぼれ出る。


 「…………好きよ……好き……。好きなの…………」


 譫言(うわごと)のように吐露してごめんなさいと何度も謝る瑞希が、アーサーは堪らなく愛しいと思った。


 「ああ。俺も、お前が好きだ」


 にわかに震えた声が耳朶を打つ。

 その瞬間、瑞希は心臓が止まるかと思った。

 甘く蕩けるような笑み。子どものような無邪気さを滲ませて、頬を染めたアーサーの表情を瑞希は一生忘れないだろう。

 アーサーが、もう一度顔を近づける。

 瑞希は頰を火照らせながらも、そっと目を閉じた。

 もう一度、二人の唇が重なる。


 長い騒動の幕は、これでようやく、本当に閉じられたのだった。

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