三-1・私達の今(A) ――高校二年
別に泣いたっていいんじゃねぇの? という貫太の声が頭に染み付くこともある。そうして、その染みが生み出す音と一緒にピアノと向き合えば、大抵何かが狂いだす。それがわかっていても、不思議とその染み付いた響きが心の中に不協和音を作り出し、そしてそれに左右されずにピアノを弾く事が、どうやら私にはできないようだった。
「困った、なぁ……」
という師匠の声を聞いて、私も困る訳だ。指導者が困ってどうするっていうんですか。
「柚眞、君は譜面にもっと集中するべきだ」
そんな単純な指摘を受け、私は返事をしながらも、
『そんなこと、わかってる』
というそんな思いを、手話や文字盤――五十音に濁点、半濁点、アルファベットが備えられている意思表示用の板だ――を使わなければ人に伝えられない私は、師匠に伝えないまま、頷いている。
私は譜面をあまり演奏しながら見ていない事が多い。何せ何度か弾いてしまえば音は頭に残り、それらが私に教えるのだ。次はここだ、こういう風に運指して、そんな風に弾いていればミスは一切無い。
「ミスが無いのは君の一つの魅力だ。でもね、ミスが無いだけならロボットの方がより良いんだよ。君の演奏は……」
そういう風に続く言葉に私は手話で斬って返す。
『ロボットのなり損ね、ですか?』
その手話を見て、師匠は、
「……いや、それなら、まだ良かったと思うよ」
とだけ言って、黙ってしまった。黙ったまま、次の指示がない。
『じゃあ次、私はどうすれば良いですか?』
と、指示を仰ぐ。
「…………。いや、もう止めだ」
師匠が、重たく口を開いた。重たい口、ではない。かつてドイツを始め、世界各国でコンサートを成功させ、指導者としても優れた人。そんな人を父や曾祖父が見つけて口説き、私の師匠になってくれた師匠が、匙を投げた瞬間だった。
『…………』
私も、これには流石に絶句せざるを得なかった。
「君は、あれからちっとも変わらないんだ。自分の出す音に振り回され、何もコントロールできていない。君は譜面を正確に、ロボットのように弾いているのかも知れないが、実際はロボットにもなれていないし、まともな大人にもなっちゃいない。そして子どものような楽しさだって微塵も持っていないんだ。何の為に君はピアノを弾いているんだ。君はピアノを弾く事が楽しいのか?」
一気に、堰を切ったように溢れ出す師匠の言葉を聞きながら、私は、
『……………………』
何も言葉が出てこなかった。
正確じゃない? 私は演奏に際してミスなどしていないはずだ。譜面に描かれた情報の読み損ねや弾き損じ等、ない。
感情がダメなのか? 楽しい? どういう意味だろう。私はピアノが楽しいと思った事はない。一度もない。
本当に子どものように、楽しそうにピアノを弾く大人のプロを、私は知っているが、私から見れば、何が楽しいのだろう、どうして楽しいのだろうと疑問に思えてならない。
要するにバカみたいに思えてくるのだ。そういう風にピアノを弾く事が偉いのか? そんな風にピアノを弾くから素晴らしいのか? そんな表層的事柄しか見れないものなのか? そういう疑問が私の中にはいつだってあって、そして今の師匠の言葉は、
「うん、そうだよ」
という肯定にも等しかった。言葉が出ないということは、つまりは落胆だ。私はそんなコトに対する師匠の肯定と、私に対して並べようとしているハードルに対して、落胆した。