一-2・無題 ――高校二年
パチパチパチ。
母が、拍手する。黒髪で、いつも落ち着くから、とか言って着物を着ているような、少し浮いた人。童顔、幼児体型。
「いっつもお母さんは若く見られるんですから!」
と無い胸を張る、色々と残念な母親だ。
「…………」
ピアノの蓋を閉めて、私は母に向き直す。赤みがかった髪を持つ私が結構羨ましいと思う、母の髪を見る。
「柚眞の髪はいつも綺麗ですね。お義母さんの髪と似ていて、お母さんいつも羨ましいなって思います。ピアノも上手だし……」
ピアノの置いてある部屋の隅には、母の着物のなおされている箪笥が置かれている。その整理をしながら、母は私にそんなことを言う。お互いに青い芝生でも見ているんだろうか。そんな風には思えない。何故なら幼い頃の私が、
『お母さんみたいな黒髪が良い! 私の髪を黒く染めてよ』
と駄々をこねて泣き、両親を困らせたその日から、母は決まって私が母の髪を見た時に今のセリフを言うのだ。
もう私も高校生、染めたければ自分で染められる。実に馬鹿馬鹿しいものだと思う。
ピアノについてもそうだ。
『じゃあなんで、私はコンクールで賞が取れなくなったのかしら?』
口は開けても音は出さない。手と、指を使って私はそう母に聞いた。母の顔に、愛想笑いの皺が見える。嘘がヘタクソで、私は本当にこの顔が嫌いだ。
「それは、周りの皆が上手だから……」
『じゃあさ、中学ん時まで私が取ってた賞は何? ライバルは結構同じ顔なんだけど』
「そういうのは……きっと時の運だし……」
『もうさ。言ったらいいじゃん。柚眞は下手になったってさ』
手と手がぶつかり合う時の音は意図しなくとも激しくなる。
「お、お母さんピアノのコンクールのことはもう難しくてわからないから……」
『あーでたでた。そうやっていっつも逃げるんだ。もうさ。いい加減にしてくれないかな。そうやってピアノのことをわからないくせに褒めちぎったり、髪のこといっつまでも言ってくるの。何。自慢なの? ねえ!』
「ごめんなさい。やっぱりこの前のことも気にして……」
『うるさい!』
という言葉を言葉に表す事もできないまま、ピアノの蓋を小突く。小突いたつもりで、結構な音がする。それだけで母は体を震わせ、娘の私にびくびくしてしまう。
背丈の小さな母だ。小学生の時に追い越してしまった。今や二十センチ近く私の方が大きくなってしまったのだ。力に訴えれば、すぐに黙るしか無い母を見て、私は何故か落胆する。
『ごめん』
軽く手話で言う。謝る私も、何で謝っているのかわからない。
「いいえ。いいんですよ。お母さんも、いっつも柚眞のことを傷つけてしまうから……」
軽く泣きそうになっている母の顔を、直視出来ない。わからないくせ、イライラする。
「ダメだよ。柚眞」
背中越しに聞こえてくる、父の声。
「柚眞、どうして謝っているのかわからないまま謝ったって、しょうがないんじゃないかな」
穏やかな物腰で、そして刺し貫くような視線と声。目が見えないはずの父は、一瞬の内に私の腰掛ける椅子の眼前で膝をつき、私に手を差し出した。