case3-3:臙脂色
『貴方のお父さんが亡くなったそうです。』
院長からその言葉を聞き、僕は慌てて支度をして病院を飛び出した。
あの日、家を飛び出してから勘当同然だった家に戻るのは少しばかり気が引けたが、そんな事を考えている場合ではなかった。
自分の親父が亡くなったのだ。
そんなに歳を取っている訳ではなかったはずなのに。
確かめたい気持ち半分、受け入れたくない気持ち半分であった。
実家に着くと、其処にはすでに何人かの人が集まっていた。
忙しそうに皆、テキパキと動いている。
僕はその中から母の姿を見つけようと目を凝らした。
しかし――
母は何処にも居ない。
近所のお寺にでも行っているのだろうか?
「あら、隆志くんじゃない。」
色々と考えを巡らせていると叔母さんに声をかけられた。
「お久しぶりです。叔母さん。ところで母は……」
「え?知らないの?由希子さんならこの村の病院に――って、隆志くんちょっと何処に行くの!?」
僕は叔母さんの話の途中で病院に向かって無我夢中で走り出した。
この村の病院は此処からそう遠くはない。
父親の死も、母親の病気も認めたくは無い。
病院に着くなり看護婦に母親の病室を聞き、すぐさま其処に向かった。
其処にはベットに横たわる母の姿が。
母は全体的に憔悴していた。以前の健康な姿など見る影も無いほどに。
「もしかして、杉村さんの息子さんですか?」
後ろから誰かに声をかけられた。
振り向くとそこには白衣を着た男が立っていた。
「私は医院長の草津と言います。」
「どうも、お世話になっております。ところで母の病気はどういったものなんですか?」
僕自身も医者だが、こんなに酷く憔悴してしまう病気など実際に見たことが無かった。
「非常に言いにくいんですがね、心筋症、拡張型かと。」
心筋症は原因不明の難病である。
拡張型は心臓の収縮力が弱まり、心不全の症状や不整脈でその病気に気付くことが多い。
肥大型と比べ、拡張型の方が重症でうっ血性心不全や重症な不整脈が起こりやすい。
母がこんな難病にかかっているなんて……今まで気付かなかった自分が悔しかった。
「こんな病院ですし、ここでやれるだけの事は全てやりましたが、結果はご覧の通りです。しかし、もっと大きな病院に移しても残念ながら結果は同じかと思われます。」
そんな事言われなくても分かっていた。
こんな状態になるまで何も出来なくても自分だって医者なのだから。
そう、こうなってしまった場合助かる可能性がある方法といえば――
「もう、こうなってしまうと心臓移植しか方法はありませんね。ただしドナーが見つかればですけど。」
そう、それしか方法は無いのだ。
しかし、ドナーを待っている人は何千人と居る。
母親にドナーがまわってくる確率などゼロに等しい。
それに、仮にドナーが来たとしても、この病院での手術は設備的に不可能だ。
他の病院に移す際に、母の体力が持つかどうか…。
「隆ちゃん…?」
今まで眠っていた母がうっすらと目を開けた。
久しぶりに聞く母の声に、こんな状況でも少しだけ安堵した。
「隆ちゃん…来てくれたのね…」
私は細くなってしまった母の手を強く握った。
「お袋!頑張るんだ!絶対に僕が何とかしてやるから!!僕のいる病院へ来れば設備も整ってるから何とかなる!だから頑張るんだ!!!」
母を死なせたくは無かった。
僕は母に面倒をかけてばっかりで何もしてあげらていない。
父についてもそうだ。僕は何て親不孝者なのだろう。
「隆ちゃん…」
母は僕の手を弱々しくそっと握り返してきた。
「隆ちゃん…立派になったわねぇ。でも私は、この地で生ま育ったから最期まで此処から離れたくないの。最期くらいはこの地で迎えたいの…」
「最期だなんて言うなよ…!」
「ねぇ、隆ちゃん。一つだけお願いがあるの…」
「何だ?何でも言ってくれ。」
「この病室から見える景色はいつも…同じ…。だからね、あの花が見たいの…よく隆ちゃんが小さい頃に一緒に行った…あの丘の…あの花が……」
「わかったよ。お袋…」
僕は脇目も振らずに病室を飛び出し、一目散に駆け出した。
それが母の望みだというのなら今からでもいい、少しでも親孝行になることをやってやりたい。
あの丘は病院から500メートル位のところにある。丘というよりは小さい山みたいな感じの場所だ。
母親が欲しがっている花は今頃が丁度時季だから咲いている筈。
そんなことを考えながら急いで目的場所まで小さな山を駆け上がる。
頂上に着く直前で、木や雑草だった景色が急に開けた。
そこには辺り一面に母が大好きだった赤い花が咲き乱れていた。
ぶわっ――
強い風が吹き、花弁が舞い上がる。
咲き乱れている赤い花の中心には桜の木がある。その木が立っている場所は頂上に当たる。
今は丸裸の桜の木が、舞い上がった花弁によって花が咲いているかのように見えた。
昔は此処に、母と二人でよく花を摘みに来たものだ。
この赤い花はこの村にしか咲かない花である。
母はこの花が本当に大好きで時季になると毎日家に飾っていた。
あの頃が懐かしくて、今となっては遠い昔で…それが切なくて涙が出そうになった。
僕は手近にあった花を5本程摘み、花を大事に抱え急いで病院に戻った。
「ほら、お袋が大好きな花だよ!」
僕がそう呼びかけると母は瞑っていた目を薄っすらと開けた。
「隆ちゃん…取ってきて…くれたのね…」
苦しそうに、途切れ途切れに言いながら、母は僕の持っていた赤い花にその細い手を伸ばした。
「あり…が…と……」
母の手は花にとどかず、ゆっくりと下に落ちた。




