case3-1: 草色
僕はとある片田舎で生まれた。
古い仕来りが溢れるこの村が僕は嫌いだった。
実家の農業を継ぐなんてもってのほかだった。
早く都会に行って、一儲けしてお金持ちになるのが幼い時からの夢だった。
だから、僕は親の反対を押し切って都会の医科大学へ通い、医師免許を取得したのだ。
昼は勉学に励み、夜は仕事に励む生活は楽ではなかったけれど、その分医師免許を取得できた時の喜びは大きかった。
大学卒業後、僕は大学近くの総合病院に雇われた。
いくら医者とは言えどもまだ見習いのような感じで、安い給料しかもらえなかった。
それでも何時かは、この立場から抜け出せると思い僕は一生懸命働いた。
それに何人かの看護婦たちも僕を支えてくれた。
逆にそのことがいけなかったのだろうか?
僕は先輩の医者にも無視され、院長からは目の上のたんこぶだと思われていた。
この病院はコネのある人が殆んどで、何のコネもない人が実力を付け上に上がろうとするのは気に喰わないらしかった。
そんな状況で一年が過ぎた。
よく自分でもこの状況に耐えてきたと思った。
それはきっと看護婦の相模薫が僕の事を支えてくれたおかげだろう。
彼女は面倒見がよく、僕にとっては姉のような存在だった。
両親の反対を押し切って家を出てきた僕にとって唯一心が許せる存在でもあった。
さらに半年後、僕はやっと「見習い」というレッテルをはがされ、一人前の医者としてやっていけることになった。
周りは僕のことを認めてくれたのだろうか?
でも油断は出来ない。問題を起こせば、鬼の首を取ったかのように何かされるに違いないから。
そんなある日、夜勤をしていたところに一人の急患が運ばれてきた。
所々焦げた寝巻き姿で、腹部から出血し、首にチアノーゼが出ている……この生と死の境に居る少女に僕は何故か強く惹かれた。
こんな状況の少女に一目惚れなど自分でも考えられない事だった。
少女を治療室に運び、治療を始める。
救急隊員によると一家心中をした中で一人だけ生き残ってしまったらしい。
腹部の出血と、首のチアノーゼは恐らく彼女を殺そうとして刺したり、首を絞めたりした跡だろう。
でも、彼女の素性なんてどうでも良かった。
ただ彼女を助けたい一心で僕は彼女の治療をした。
「良かった、気が付いたんですね。水沢さん。」
意識を取り戻した彼女に私はそっと話しかけた。
医者として当然の心遣いだか、僕にとってはそれより深い意味を持っていたと思う。
「あ、貴方は?」
初めて聞いた彼女の声は小鳥の囀るような可愛らしい声だった。
「僕は君の主治医の杉村です。」
そういうなり、僕は彼女の手首を優しく掴んだ。
もちろん彼女の脈を計るために。
この時ばかりは、自分の医者という立場が素晴らしく良いものに感じられた。
「うん、脈は正常だね。あとは検査の結果次第だよ。じゃあ、僕はこれで。何かあったら手元のナースコールで呼ぶといいよ。」
僕は彼女ににっこりと微笑みかけ、その場を去ろうとして後ろを向いた。すると…
「あ、あの!」
彼女が僕を呼び止めた。
それは僕にとっても不意打ちで、少しだけ驚き、照れくさくなった。
「あの、此処って何号室なんですか?」
そんな突拍子のない質問が僕を更に驚かせた。
きっと彼女も心細いのだろう。
過去を失い何も思い出せず、思い出したところで家族を失っている事に変わりはない。
何の躊躇いもなく家族を捨てて家を出てきた自分と彼女は根本的に違う。
私から見れば過去を知らない、持たない彼女は純粋で、それに引き換え僕は汚れている。
自分に無いものを持っている彼女に惹かれるのは当たり前の事だったのかもしれない。
「ここは203号室ですよ。」
僕は彼女にもう一度微笑みかけ、今度こそ病室を後にした。
彼女の病状は記憶喪失という事さえ除けば、いたって正常だった。
彼女の親戚と話がつけば今日にでも退院出来る状態。
ただ僕はそんな事をしたくなかった。
彼女を…水沢正美を手放したくない、そんな衝動に駆られた。
そのためには――
僕はカルテを書き換えた。
「記憶喪失」プラス「肺尖カタル」と。
そうして彼女にそのことを告げる。
僕の嘘に彼女は少し戸惑ったような表情を見せたが、その顔は何処となく嬉しそうだった。




