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case3-4:鶯色

『あり…が…と……』


母のその言葉が頭から離れなかった。

僕は礼を言われるような人間ではない。

僕は医者でありながら死にゆく母に何もしてあげられなかったのだから。

両親の葬式の事は良く覚えていない。

虚ろな心のまま(おこな)った葬式は記憶に残らなかった。


僕は今、あの丘に来ている。

赤い花は相変わらず見事なまでに咲き乱れ、風に揺れている。

僕は何故か花を摘んだ。母はもう居ないのに。

花を摘んでいる手に涙が落ちる。手元は目が涙で(かす)んでよく見えない。

無心に花を摘み続け、いつの間にか僕は抱えきれないほどの花を持っていた。


花を抱えて丘を下り、母と父の眠る墓に花を供える。

目を瞑り、手を合わせて僕はその場を去った。




勤め先の病院に付く頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。

荷物と赤い花を抱えて病院内にある自室へと向かう。

どんなに落ち込んでも起こってしまった事はしょうがないし、時間を戻せるわけも無い。

部屋に入り、電気を点ける。後ろ手でドアを閉める。

一つ一つの動作が面倒臭いほど僕は疲れきっていた。

何とか気を紛らわせようと、赤い花を抱きしめると甘い香りがした。

故郷の香り…。

幸せな昔の香り…。

目を瞑ると母と父の記憶が蘇る。

どうしても気が紛れないと分かった僕はもう寝ることにした。

花瓶に花を活け、それで僕の長い忌引は終わった。



翌日から、いつものように仕事を再開した。

吹っ切れた訳ではないが、幾らか気持ちは落ち着き、何時も通りに過ごせるようになった。

彼女はというと、僕の不在が長かったため心配していたらしい。

心配をかけてしまった分、何かお詫びをしてあげなければ。

それに明日は彼女の誕生日だ。

彼女を喜ばせるようなプレゼントを用意しよう。


僕は仕事が終わると、早速彼女にプレゼントを買いに行った。

近くのデパートの洋服売り場で目に付いたのは淡い薄紅色のワンピース。

きっと彼女によく似合うはずだ。

僕はそれを買い、綺麗に包んでもらった。




次の日の早朝、僕は彼女にプレゼントを渡しに行ったが彼女は眠っていた。

また自室に持って帰るのも面倒だし、他の医者に見つかると不味いので彼女の寝ているベットの下に隠しておく事にした。

ふと彼女の腕に目をやると、僕のあげた時計をしていた。

寝る時くらい外せばいいのにと思いつつも、僕はそれがとても嬉しかった。

今の僕にとって彼女こそが心の支えなのだ。

そうだ、あの花も彼女にあげよう。

いつか一緒に僕の故郷に行く事もあるだろう。

母の好きだった花だ、きっと彼女も気に入ってくれるに違いない。


病室を出て、いつも通りに仕事をこなし、夕方にもう一度彼女の元に向かった。

手には故郷の赤い花。


コンコン――


「入るよ。」


気付かれないように花を背に隠し、病室に入る。


「具合はどう?」


聞いても意味の無い事だと分かりながらも、癖で聞いてしまう。


「うん、いつもどおりよ。」


彼女は今も僕のあげた時計をしていた。


「水沢さん、せめて寝る時くらい時計を外したらどうです?」


「嫌よ、せっかく先生がくれた時計だもの。」


冗談とはいえ、こんな風に呼び合うのは違和感を感じた。

僕達は恋人同士だというのに。


「今日は誕生日だったよね?ほら、これを君にあげるよ。」


僕は隠し持っていた花を彼女にあげた。


「わぁ、素敵!こんな綺麗な花、今まで見たこと無いわ!!」


彼女のその言葉が少しだけ引っかかった。

“今まで”?

彼女は記憶を取り戻しているのだろうか?


「その花はね、僕の故郷にだけ咲く珍しい花なんだ。君に良く似合うよ。」


自分の僅かな焦りを悟らせまいと、出来るだけ落ち着いた声で言った。


「……ありがとう。」


彼女は嬉しそうに花束をギュッと抱きしめた。

花の甘い香りが病室中に広がる。

彼女は何時もと変わらない。考えすぎだろうか?


「そうだ、もう1つプレゼントがあるんだ。」


僕は彼女の寝ているベットの下から今朝方隠しておいたプレゼントを取り出し、彼女に渡した。

そして箱を開けるように促した。

彼女は丁寧に箱を開け、中のワンピースを取り出した。


「それも君にあげるよ。きっとよく似合うよ。」


「ありがとう、隆志さん。」


嬉しそうににっこりと微笑む彼女が愛らしくて、もっと彼女を喜ばせてあげたくなった。


「そうだ、君の病気が治って退院したら、その花が咲く丘に行ってみないか?辺り一面その花が咲き乱れているんだよ?中心には桜の大木があってさ……」


「連れてってくれるの!?」


彼女は僕の突然の提案に驚き、そう聞き返してきた。

驚いた顔も愛らしい。


「うん、約束するよ。」


そんな彼女を見て、僕は微笑してそう答えた。

彼女の嬉しそうな顔を見ていると僕まで嬉しい気持ちになる。


「約束だよ?先生…」







彼女の病室から出て自室に帰る途中、後ろから肩を叩かれた。


「ちょっと杉村くん。話があるんだけど――」


振り向いた先に立っていたのは険しい顔をした院長だった。

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