雪の夜、溶かせない嘘
「あーっ助手さんだ!」
12月28日。しんしんと降る雪の中、バイト先の玄関を掃除していると、高校生くらいの女の子がぱたぱた走り寄ってき た。手袋にマフラー、真っ赤な長靴をはいて真っ赤な傘を差し、ダッフルコートの上から同じく真っ赤な合羽を着ている。フードもすっぽりかぶっていて、恰好 だけだと小学生みたいだ。
「どうしてここにいるの? 大学は?」
「ん? あー、冬休みっていう長い休みがあるんだよ学生には」
「博士今日留守だよ? 夜の8時まで帰ってこないって言ってた!」
「いないうちに掃除しちゃおうと思ってね。ほら、年末だし」
「年末だと掃除するの?」
「綺麗な環境で新年を迎えたいでしょ。っていうか、なにその完全防備は」
手袋とマフラーはまだいいとして、長靴に傘に合羽にフードというのは少しやりすぎじゃないだろうか。いくら雪が降っているといったって、積もるほどの量じゃないのに。
「ロボットは雪とか雨とかあんまり得意じゃないから!」
「えー君ほんとにロボットなの?」
「ロボットだよっ機械だよっ!」
「でも見た目そのまま人間だよね」
「今の科学技術じゃ見た目を人間そのものにすることくらい簡単だよ!」
「体温もちゃんとあるじゃん」
「今の科学技術と博士の腕にかかれば体温なんて作るのは簡単だよ!」
どうだったかなーあの博士はそんなに言うほど腕のいい博士だったか? 最近会ってないから全然覚えていないけど。
「うー、とりあえず寒いから中入る! 紅茶淹れてくれると嬉しかったり!」
「あーうん、はいはい」
僕が返事すると、彼女はにっこり笑って傘をたたみ、ぱたぱたと室内に入っていく。
うーん元気だなあ、若いっていいなあ。ぼんやり思いながら、キッチンへ向かう。猫のイラストが描かれたマグカップにティーパックをひとついれ、ポットのお湯をとぽとぽそそぐ。
「あ、なあにこれ」
こたつに入った彼女が指さした先にあるのは、たくさんのアルバムの入った段ボールだった。あーそうだ、物置から出したまましまうのをすっかり忘れていた。
「アルバムだよ。写真とかを保存する本みたいなもの」
「ふうん。見てもいい?」
「どうぞご自由に。それ全部博士の昔のやつだから」
僕が言うと、彼女は嬉しそうに段ボールに手を伸ばす。一番上にあった黄色のアルバムを取ると、目をきっらきら輝かせはじめた。
「わー博士が若いーかわいいー!」
紅茶の入ったマグカップを彼女の前に置いて、横からアルバムを覗き込む。写っていたのは、時計やテレビやパソコンを分解している今の博士をそのまま小さくしたような女の子だった。うーん流石博士と呼ばれるだけある。
「アルバムってすっごいねー観賞用の子供時代だー」
楽しげに微笑みながら彼女は言う。
観賞用の子供時代、か。なかなか言いえて妙な表現だなと一瞬思ったけどよく考えたらあんまり意味わかんないな。
「いいなあ、私もこういうの欲しかったなあ。でもまず子ども時代が無いもんなー。私が生まれたのは1年前だし」
「……ああ、そうだったね」
博士が一年前、3カ月間ほとんど寝ずに作り上げたんだったか。1年前っていうと僕は受験に追われてたし、だからあんまり覚えていないんだけど、確か博士はその頃没頭していた研究に行き詰って自棄になっていたんじゃなかったっけ。
「成長、するもんね。人って」
突然、彼女がぽつりと呟いた。普段の彼女とは似つかない、小さくて寂しげな声。
「成長?」
僕が訊くと、「うん」こくりと首を縦に振る。
「……こわいの、最近ずっと、ずっとこわい」
ふっと、彼女が顔を上げた。不安に染まった、色の薄い瞳が揺れる。
「いろいろ考えちゃって、夜もあんまり眠れないの。すごくこわいの。どうすればいいのかわかんない」
この子が夜も眠れないほど悩むだなんて、そりゃよっぽど深刻だな。だけど彼女が抱えているその悩みには、なんとなく心当たりがあった。だけど僕にはその悩みを解消してあげられる自信なんてなくて、だから僕は黙ったまま彼女の言葉の続きを待つ。
「こわいよ助手さん。私、いつかひとりになっちゃうの?」
……ほら、やっぱり。
「私は、ロボットだから。ロボットは、歳をとらないから」
無理やり作った笑顔が、あまりにも痛々しくて。かける言葉も見つからず、どうしていいのか分からない僕は、ただ無言で微かに震える細い肩を引き寄せる。
彼女はこんなに。
……こんなに、温かいのに。
「じょしゅ、さん」
「なに?」
「私、どうしてロボットなのに、機械なのに、感情があるの、かな」
「…………」
「感情なんて、こんな苦しいもの、ほしくなかったのに」
僕の腕の中で、何かに脅えるように震えながら。彼女はゆっくりゆっくり、言葉を紡ぐ。
「……今だって、さあ。心臓なんてないはずなのにさあ、壊れちゃうかなって思うくらいすっごくどきどきしてるしさあ、なんでかなあなんでこんなばくばくしてるんだろ」
困惑したように彼女は言った。そのままうーっと唸って、僕の背中におずおずと腕をまわしてくる。
ぼんやりと思いだすのは、あの一年前の雪の夜。
どこからか突然女の子を拾ってきて。
彼女が記憶喪失だったのをいいことに、妙な設定を作り上げて。
「あのさ、実は」
言いかけて、出かかった言葉をぐっと飲み込む。
博士。
どうしてあなたは、彼女がロボットで、作ったのは自分だなんてわけのわからないことを言い出したんですか。
これは、なんのための嘘なんですか。
僕はいつまで、彼女を騙し続ければいいんですか。
「……ごめん、なんでもない」
僕を不思議そうに見上げる彼女の小さな頭を、ぽんと撫でる。
あのさ、実は。
君は本当は、人間なんだよ。