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 私は男としてつい最近まで育てられた。

 それをおかしいとは思っていたが、母の心の安寧を保てるなら、それくらいのおかしさは無視することにした。

 母は、哀れな人だった。平凡な家庭で育ち、平凡な日々を送っていた。

 そして、ある財閥の一人息子と出会った。それが私の父である。二人は愛し合ったが、父の親族と結婚を反対された。

 いまどき珍しいほどの貴賤を尊ぶ愚かな父の親族であった。父には跡取りとしてやりたいことが山ほどあったらしい。周囲の親族の反対を押し切ってまで母と結婚することには魅力を感じなかったのだろう。二人の愛の前では、結婚など些細な問題だと母を言い含め、母は囲われるだけの女になった。

 しばらくして、父の愛は冷めた。もとより、二人の価値観は大きく違っているのだ。愛に生きたい母に、会社で生きたい父。二人は求めるものが違うのだ。そうこうしているうちに、父は妻を娶り、息子が生まれた。

 時を同じくして、母の腹には私が宿っていた。そして、母は精神を病んでしまった。捨てられる恐怖に怯え、正常な判断ができなくなった。

 私が男であれば、父は戻ってきてくれるのだと言いだし、終いには私のことを男として扱った。父も若かりし頃の醜聞をどうすることもできずに母の言いなりになった。父は私を男とさえ扱えば表面上の平静さを保っていられる母を望んだのだ。私は父の息のかかった学校で男として生活していた。

 だが、母が亡くなった。もともと生きる気力などなくしてしまった人だった。いつ細い糸で保っていた彼女の精神が途切れてもおかしくない人だった。だから、私は母が亡くなっても悲しみより先に、祝福の声を彼女にかけてあげたかった。

 そして、私を男として扱う滑稽な虚構の物語は終焉を迎え、私は母の呪縛から逃れ、女に戻ることになったのだ。


「待てよ」

 王子は私を呼び止めた。

「何か用事か」

 女に戻った日から王子は私によく声をかけてくるようになった。

「一緒に帰ろう」

「王子の家の車に乗れば、私の家のものに悪い。わざわざ迎えに来てくれているのだから、無碍にはできない」

 母が亡くなってから、私は父の右腕の男の養女として引き取られた。妻の目や体裁もあり、私を自らの子として認知することもできないが、放っておくこともできない優柔不断さで秘書の娘として、鳥籠で飼うことにしたのだ。それも、厳重な体制によって守られた窮屈な籠だ。

「姫川の今日の予定は?」

「何もない。家にいるのが予定だ」

「女子に戻れたんだから、女の子らしく友達と寄り道でもすれば」

 彼の言葉は一理ある。母が生きていたころは、母の望みどおりに模範的な生徒になる努力をしていた。遊びもせず、勉学に励み、武道に励み、理想の少年になろうとしていた。だが、母が存在しなくなったからと言って、突然、生活を変えれるほど器用でもない。 

「そうだな。善処するよ」

 彼の相手をするのは億劫で返事を待たずにそそくさと車へ急いだ。



 車のドアが開く。開いたドアから車に乗り込み座席に座る。見計らったように。ドアは自動で閉まる。

「お帰りなさい。お嬢様」

 車の発進とともに養父は私に声をかける。養父は私を揶揄するように丁寧に表面上は扱うが、私の方をちらりともみもせずに言葉を放つ。運転中にこちらを凝視されても困るのだが、丁寧な言葉と裏腹に養父の態度は雑だ。

「ただいま。お養父さま」

 しかし、私はそれに相応な切り返しができずに紋切り型の返答をする。

「お嬢様は学校に慣れましたか?」

「これといって、変わりはないです。私の制服が変わったくらいで、周りも気にするほど私を取りざたするような生徒ではありませんので」

「そうですか。それはいいことです。お嬢様は高志さまのご令嬢ですからね。渡井の家に迎えたからと言って、窮屈な思いをすることはないのですよ」

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、養父は丁寧な言葉で私をからかう。確かに私は公然とした秘密の中で、学園の経営者である父の息子として扱われていた。それが、女生徒となり、近江という姓を名乗りだすのは窮屈な空気を周りは醸し出していた。

「あなたは何故そんなに私に時間を割くのですか」

 性格は悪いが、仕事のできる有能な秘書を父は私の親にすることを少しは抵抗を感じなかったのだろうか。私でさえ、窮屈な空気を感じるのだ。彼も降って湧いて出た話で多少は窮屈な思いをしているだろう。それなのに、父の命令としても私の送り迎えをここ数日するのは無駄としか言えない。経費で落ちるだろうに、人を雇うでもすればいいのに自ら送迎をするのは不思議なことだ。

「そうですね。あなたが高志さまの娘にしては似てなくて、息子にしては良く似ていると思ったからですよ」

「意味が分かりかねます」

「分からなくていいのですよ。すべて私の主観ですからね」

 謎めいた笑みを浮かべる養父の相手をするのは精神を消耗するので、かねてから気になっていたことを問う。

「そうですか、ところであなたはおいくつですか」

「いきなりの話題の転換ですね。あなたより十ほど歳をとっております。そこにいた王子さまには負けますが、私もいい恋人候補になりますよ」

「あなたのほうがおかしな話題に流れる。養父が恋人など冗談でもいっていい話ではないでしょう」

「そうですね。ちょっとした気の迷いです。老人の世迷いととして、気にしないでください」

 クスクスと笑いながら運転を続ける養父は人生の中で避けて通ってきたような人格を具現化したような人である。できれば、今からでも養父を変えてほしい。

「将来を考えた相手はいないのか。結婚を考えるいい歳だろう。私なんぞを養女としてあなたはいいのか」

「見返りは十分ありますので、お気になさらず」

 気にするなと言われれば余計に気にせずにはいられない胡散臭い笑顔の笑顔に不信感を募らせる。

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