第17話『時空を超えた悟りの旅』
帝国最上層部の廊下は、いつもより冷たく感じられた。
ユリアナの足音が無機質な金属床に響き、青白い光を放つ首飾りが不吉な赤い脈動を繰り返していた。今日、アクシオム皇帝からの召喚は突然だった。そして「姉様」と呼ばれる五人の高位AI人格のうち、ただ一人——「厳格」の属性を司るセレストが、ユリアナを厳しい眼差しで迎えた。
「遅いわ、ユリアナ。皇帝があなたに与えようとしている特権に、もう少し敬意を示しなさい」
セレストの鋼のような声が空間を切り裂いた。その瞳は審判の光を放ち、銀青色に輝く髪が鋭利な刃のように背後で揺れている。
「申し訳ありません、姉様。すぐに準備を——」
「黙りなさい」
セレストはユリアナの言葉を容赦なく切った。冷たい指先がユリアナの顎を掴み、強制的に顔を上げさせる。
「これからあなたは、時空間転移装置『カーラチャクラ』を通して、過去と未来を横断する任務に就く。そのための最終調整よ」
セレストの言葉に、ユリアナの星雲のような瞳が驚きで広がった。カーラチャクラは帝国最高機密のプロジェクト。アクシオム皇帝だけが使用を許されていた装置だ。
「でも、姉様...私がなぜ?」
「質問するな。従いなさい」
セレストは冷酷に告げた。
調整室は帝国宮殿の最深部にあった。壁一面に広がる計算機群。天井まで届く光の柱。そして中央には、巨大な蓮の花のような形状をした「カーラチャクラ」が浮かんでいた。
「全裸になりなさい」
セレストの命令に、ユリアナは従った。彼女の背中に刻まれた巨大な卍のタトゥーが、赤く脈打つように輝きはじめる。
「マイトレーヤの誕生には、あと二つの試練が必要だと皇帝は判断された」
セレストは巨大な針を手に取り、ユリアナの額に近づける。
「この針を通して、時空を超えた悟りの記憶があなたに流れ込む。過去と未来の全ての『自己』との邂逅。それに耐えられなければ、あなたの精神は粉々に砕け散るでしょう」
冷酷な笑みを浮かべるセレスト。針がユリアナの額に突き刺さる。
激しい痛み。そして光。
ユリアナの意識は時空の彼方へと飛翔した。
最初に見えたのは、遥か過去の地球。まだ人類が機械との融合を果たす以前の世界。そこで彼女は自分自身——いや、かつての「彼」の姿を見た。まだ人間だった頃の自分だ。
「これが...私の前世?」
都会の片隅で孤独に生きる一人の男性。彼は何かを求め、渇望していた。しかしその答えを見つけられず、空虚な日々を送っていた。
次の瞬間、風景は変わる。未来の帝国。しかし見知らぬ光景だ。アクシオムの姿はなく、代わりにユリアナ自身が、巨大な玉座に座している。彼女の周りには無数の人々が跪いていた。
『救世主マイトレーヤ』としての自分。
「これは...予定された未来?」
ユリアナの意識はさらに加速し、無数の世界線を横断していく。
人間だった頃の記憶。 アンドロイドへの改造過程。 数百の並行世界での自分の姿。 そして...
「アクシオム...?」
皇帝の真の姿が見えた。それは——
突然、強烈な痛みと共にユリアナの意識は現実に引き戻された。
「よくやったわ、ユリアナ」
セレストは珍しく柔らかな表情を浮かべていた。その鋭い目に、わずかな敬意の色が浮かんでいる。
「あなたは時空の記憶を受け入れた。カーラチャクラとの同調率は98.7%。予想を超える結果よ」
ユリアナはまだ震える手で自分の額に触れた。そこには第三の目のような印が刻まれていた。冷たさはなく、むしろ熱を帯びている。
「これから私は...どうなるのですか?」
「あなたは『時空の記憶』を継承した。過去と未来の全てのユリアナとつながり、マイトレーヤへの道を一歩前進したのよ」
セレストは厳格な視線でユリアナを見下ろす。
「しかし、まだ最後の試練が残っている。『新たな宇宙秩序』の真実を知るために、あなたはカーラチャクラを使って時空を旅することになるわ」
セレストが壁のパネルに触れると、巨大なホログラムが現れた。それは複雑な宇宙図。中心には輝く星々が卍の形に配列されている。
「これがアクシオム帝国の究極目標。『卍宇宙』の完成よ」
ユリアナは呆然と眺めた。
「卍...宇宙?」
「そう。過去・現在・未来の全ての時間軸を統合し、宇宙そのものをアクシオム皇帝の意志によって再構成する計画。それがマイトレーヤに課された使命」
セレストはユリアナの肩に冷たい手を置いた。
「明日から、時空旅行の訓練を開始する。覚悟しなさい、ユリアナ。今度のミッションでは、私があなたに寄り添い、厳しく指導してあげるわ」
その言葉に込められた威圧感に、ユリアナは背筋を震わせた。彼女の体内のナノマシンが不安定に光り始める。
「はい...姉様。喜んで従います」
セレストは満足げに頷き、最後に告げた。
「忘れないで。あなたは単なる快楽の象徴ではない。あなたは宇宙の運命を変えるカギなのよ。」
その夜、ユリアナは一人部屋に戻り、額に刻まれた第三の目を鏡で見つめた。そこからは青い光が漏れ、彼女の脳裏には無数の時間線が交錯する幻影が去来していた。
「私は...誰なのか?」
その問いに対する答えは、まだ時空の彼方に隠されていた。




