⑧ 歴史は繰り返す?
その夜、アンヴァルは亡霊に立ち向かう意志を固めた。アリアンロッドの映像を視た影響かどうかは分からない。ただ確実に、昨日より気持ちが大きくなっていた。
とにかくもう決着をつけ、国に帰ろうという、清々しい決意を胸に抱いて部屋を出た。
彼は自室ではなく例の寝室で、悪しきものと対峙しようと、寝ずに待った。
明け方に近い頃であろうか。がたがたと周囲で音が鳴り、大きな陰が視界に映った。
「亡霊のおでましか。寝室を変えてもやってくるってことは、やっぱり人違いじゃなかったんだな」
アンヴァルは剣を振るった。大きな陰を見ずに、まるで自分と体格の変わらない人間の男を相手にするように。
『そう。己の方がより大きい、強い、と念じるのじゃ!』
「俺、気合で戦う術は正規で習ってないんだけどなっ」
しかしその機会さえあればと思っていた。
そのように自身の心を強く構えて戦っていたら、だんだん手応えを得るようになった。亡霊に核のようなものがあったのだ。それは得物を手にしている。慌てずに応ずれば、対等な打ち合いになる。
結果感じた、この相手のクセは覚えがあると。やや神経質な手癖だ。
遠慮はいらない。
「はぁああ────!」
彼は気合を叫び、ついにそれを打ち破ったのだった。
「ただの人なら、俺の相手じゃねえな」
暗がりの中、剣の先を向け敵を追い詰めた。追い詰められた人物の眼光だけが見える。
“カノジョヲ……カエセ……”
アンヴァルにはそのように聞こえてきた。もちろん何のことやら、心当たりもない。
ここで彼は迷った。この敵は一応外交先の長であるので、これ以上の追撃は慎重にならざるを得ない。しかし亡霊に憑りつかれた者を放したまましておくのもどうなのかと、とりあえず意識を失わせてみようと拳を振り上げた時、部屋の入り口から声が上がった。
「やめてください!」
駆け寄ってきたのはマリルだった。
「この方は何もしてません! 悪霊に憑りつかれた、哀れな身の上です!」
彼女は庇うようにその者の前で膝をつき、アンヴァルを見上げる。
その時、夜が明け光が差した。するとやはりただの人である、国の王の姿があらわになった。先ほどの眼光はどこへやら、情けなく項垂れ、もはや見る影もない。
「どうしてあなたが俺を? 俺が何かしましたか?」
「あなたはこの娘と……。この娘に求められ……」
「はぁ??」
「私は幾度申し入れても、受け入れてもらえなかったのに……」
アンヴァルはまったく意を得ず、恐らく王は何か誤解をしているのだと訝しんだ。
『精神が弱ったところを、悪霊につけこまれたのじゃろうな』
俺もある意味この姦しい霊につけこまれてるけどな、とアンヴァルは思ったが。
ともかく、その神やら何やらに愛された娘を求め、手に入れられぬ苦しみに焦がれる様は他人事にも思えず、毒気を抜かれてしまった。
その間にもマリルは王に、必死に食い下がる。
「あなたはそんなに私のことを……? でも、私はあなたのためを思って……。あなたを苦しめたくなくてっ……」
『確かに不老の身体になれば、以前の夫たちのように不幸な運命に見舞われるやもしれぬが、今ですら苦しんだ挙句、霊に取り込まれてしまっておるしのう』
アンヴァルの中の彼女は好奇心ゆえか、いまだなかなか姦しい。
『良い機会じゃ。今ここで互いの思いを打ち明けるがよいぞ』
アンヴァルは心の中で、いやふたりには聞こえないから、と彼女に言ったが、ふたりはついに打ち明け始めたようだ。彼女は肉体さえあれば、したり顔になっただろう。
「あなたはお気付きになっているでしょう。あなたに助けられた時から7年の月日が流れても、私はちっとも変わらない、16歳のままです。これから何十年何百年たっても……。あなたもそうなってしまう。どんなにあなたと添い遂げたく思っても、こんな私には無理です……」
「君と共に居られるなら、この身がどうなろうとも構わない。君の苦しみを私にも背負わせてくれ」
……などと、ついには思い通わすふたりに、アンヴァルは、そういえばこの男は想われているのだから、その姿は自分ではなくむしろ殿下のほうなのだと思い直した。
その時、粗暴にドアを開け、震え立つひとりの女性が、そこにいるすべての者の目に映った。
「やっぱり……あなたはその娘と……!」
夫の姿が見えぬと探しにきた妃だ。
彼女は夫が身元の知れぬ少女を側に置いて特別に目を掛ける様子を、以前から案じていたのだった。
カツカツと鋭い靴音を立て、ふたりの元に寄っていく。
そこでなんと、そのとき目に入れた、そばに転がり落ちていた例の鏡を包みのまま手に取り、掲げ上げた。
「「「!」」」
もちろんそれは、マリルに向かって振り下ろされ――――。
「危ない!!」
王は隣の彼女を押し飛ばそうと、自身の身を乗り出す。
「!!」
ここにいる全員が息をのんだ。
この束の間、鏡が彼の額を直撃した。
アンヴァルは、“嫉妬で怒り狂った女”という非常に苦手な生きものを前にたじろいだせいか、制止が間に合わず、王が嗚咽もなく崩れ落ちてから、慌ててその上半身を抱え上げた。
妃はその場で腰を抜かし、マリルも真っ青な顔で、声を失っている。
アンヴァルが急いで彼の頭を確認すると、
「……??」
そこにあるはずのものがない。それはつまり、“出血”である。
「なぜ……?」
代わりにあるものは、なかなかに大きなたんこぶだった。
アンヴァルもマリルもふしぎに思い、目線を、彼の頭に直撃した凶器にやった。その包みからはみ出していたものは────、
「木板……?」
「どうして……」
そういうわけで、王はそのうちに無事、意識を取り戻したのだった。
◇◆
この騒動にもそれなりの決着が着いた後。アンヴァルはローズの泊まる客室に出向いた。
「アンヴァル様、私の寝室にお入りくださるなんて」
初めてのことに、彼女は胸躍らせる。
「アマリリス……お前、俺に隠してることがあるだろう?」
思わせぶりに問いかけた。
ここで、じっと彼女の目を見るアンヴァルにひるむことなく、
「何のことでしょう?」
彼女はいつもと変わらぬすまし顔。
(舞台役者というものは、まったく食えないものだな)
アンヴァルが辺りを見回すと、隠すように置かれていた物が目に入った。それを手に取り、布を取っ払う。
見つけたのはやはり、この国に差し出した銀縁の鏡だった。
「あの寝室にこれがあったと知る者は、そう何人もいないからな」
「…………」
目線をどこぞへやっている彼女に、アンヴァルは理由を聞いた。
「私も欲しいのです。私の生まれ故郷である国にも頂けたらと思います」
「国に献上するのはともかく、お前個人にやるものじゃねえよ」
「国に頂けたら、父から個人的にもらいます」
アンヴァルは脱力した。
「しかしどうして……」
「この鏡、私がいちばん美しい頃の姿が映るのです。だいぶ前の」
「そんなわけないだろう」
彼女は鏡を覗いた。
「5年ほど前の私です」
実に嬉しそうに微笑んで、鏡をうっとり眺める。そこにアンヴァルが割り込んだ。
「いや、俺もお前も今の姿だ」
「そんなことありません。あなた様は今のあなた様ですが、私は若い私です」
彼女は冗談を言っているようではない。なんにせよ、この鏡を手放さない意志は伝わってくる。
『そこはほれ、“今がいちばん美しい”と言うてやればよいぞ』
頭部全体に響かせるように、相変わらず例の彼女は世話を焼いてくるが、そんなこと言えるわけないとアンヴァルは一蹴した。
『ならば、女性から鏡を無理に奪うか? 無体を働くか?』
このように彼の弱いところを攻めてくる幽霊だった。
「あぁ、アマリリス……」
「はい」
「今がいちばん美しい、から鏡よこせ」
「……はい」
アンヴァルは受け取ろうとするが、彼女が手にぐっと力を入れ、すんなりと取らせてはもらえない。
「もうあと5回ほどおっしゃってください。“から”以降は省いて」
「…………」
結局、無体を働いたようだ。




