⑥ 人魚の肉を食べると……
────「私はもうかれこれ、百年の時を生きています……」
「「!!」」
彼女の語りはとても信じられない、まかふしぎな話だった。
「私は物心ついた頃、山間の小さな村にいました。親の顔は知らずに。それから誰かが育ててくれていたと思います……」
年頃になった彼女は同じ村の青年のもとに嫁がされ、農耕中心の暮らしを営んでいた。
それから十数年が過ぎた頃、村人らはこの夫婦が十数年前とまったく代わり映えしないことに不審がる。取りも直さず、夫婦は長い間、歳をとっていなかったのだ。
「二十年たつと、村の人々に私たちは気味悪がられ、交流は最低限となりました。そして更に数年たった頃……」
とうとう村人らは、夫婦が悪霊に憑りつかれた怪物なのだと、刃を向けてきた。夫は殺され、彼女は命からがら逃げおおせた。
「私はどうしてそんなことになったのか分からず……ひたすら逃げて、そんな中、知り合った人とまた添うようになりました」
そしてその村でも同じ運命を辿る。彼女は思い至った。
「私は確かにアンデッドなのだ、と。そうした頃、賢者と呼ばれる老人と遭いました。彼は私を海の怪物……“人魚”だと言いました。そして人魚の肉を食らった者も同じく不老になると。それはつまり、私と番った人は私と同じ、人ではない存在に……。これを夫に話したら、彼は悲観して共に死のうと言い出しました」
「死ねはするのか」
「最初の夫は殺されたと話しましたよ。命を無理に終わらせることは可能なのです。ただ歳を取らない、そういうことです」
「そんなこと、本当にありえるのです?」
「信じるかどうかは、お任せします……」
そして彼女はふたりめの夫と海で心中を試みた。
「私は気付いたら、ひとり、この王宮にいました。流され着いて、死ねなかったようです。荒れ狂う海を、私は泳いでしまったのでしょう」
そこで現在の王が彼女の身柄を引き取った。これが7年前の出来事だという。
「あの方は以降ずっと私を大事にしてくださいました。ここの言葉も、すべてあの方から習いましたし……」
彼はまもなく今の妃を娶ったが、それと同時にマリルを側妃に迎えたいと言った。
「心は私のことを正妃にしたいのだとおっしゃって……。もちろんそういうわけにもいきません。それでも私は、ものすごく嬉しかったのです」
「正妃も何も、愛妾にすらなれるわけなかった、ということですわね?」
「そう、愛しい人まで怪物になってしまう。こんな事情も話していません。なので彼は拒まれたと傷付いたようです。でも無理強いはしない立派な方です」
彼女は心から王を慕っているようだ。彼について話すたびに表情が華やぐ。アンヴァルにはそんな彼女が、少しアリアンロッドのように見えてきた。恋をしても結ばれることのない、そんな星の下に生まれ孤独を抱える少女を、助けてあげられたらという気持ちにはなるが、己はただの凡人である。
「はっ。それでは、アンヴァル様を誘惑していたのは……!」
「ですから不老になれば、きっと大事な方より長く生きることができますよ。その方を見送ってから、命を断つのも自由です」
「大事な方?」
アンヴァルは慌ててマリルの口を塞いだ。ローズはそんな彼を少しの間、睨んだのだが。
「不老不死なんて、それを求めてやまない人はこの世に山ほどいそうですけど。私ももう少し若い時点で、時が止まったら…と思いますわ」
「そうですか? 生とは限りあるから、素晴らしいのではないですか?」
「そんなこと考えたこともないけれど……」
口ごもったローズを放っておき、マリルはアンヴァルに向かって立ち上がった。
「では、私は下がります。もしお心が変わりましたら、いつでもお言いつけください」
そして行ってしまった。
ドアがぱたりと閉じられたら、ローズは問いかける。
「アンヴァル様、彼女を抱いたりしませんわよね?」
「そんなの怖すぎる」
正直に答えた。
「……大事な方とは?」
「そんなこと誰にも一言も言ってない」
ツンとそっぽを向いて答えるアンヴァル。それも嘘ではない。
「アリアンロッド様のために、不老の身体を手に入れたいのですか?」
「ないないないない!」
不老に関してはそうかもしれないが、彼が事あるごとに彼女のことを考えているのは、ローズにも分かっていた。
「あなた様がどれほど思って尽くしても、あのお方は気に留められないでしょう。聖女は神の使いですもの。人に崇められるのが至極当然ですし、きっと見えている世の中も違いますわ。本当に、不毛です」
「別に、気に留められたくて何かしてるわけじゃねえよ……」
アンヴァルは目を伏せて、こう独り言ちた。
その夜アンヴァルはまた夢の中、“彼女”と共にいる。
『そう落ち込むな。きっとアリアンロッドは日頃から、そなたに感謝しておるぞ』
「まったく……揃いも揃ってなんなんだ」
アンヴァルは絶えずせっつかれている気分に陥り、女性が苦手になりかけている。元々得意なものでもないが。
『本当じゃぞ? 聖女は人が見なすほど己を特別とは思わぬ。その証拠に、アリアンロッドはそなたに嫌われたと幾日も悩んでおったぞ』
「む? なぜあなたにそれが分かるのですか?」
『私には何でもお見通しなのじゃ! 私の力はそなたですら、認めることができるじゃろ?』
「まぁ、そうですね」
夢枕に立たれているのだから疑いようもない。
『事実、聖女はみな似たような悩みを持つのじゃ。本当はただ人に愛されたい、ただの人として』
ただの人であるアンヴァルには、理解し得ない心情だった。
『聖女は、神にわざわざあのような印を刻まれて、下界に放たれるからのう。神とはこれまた嫉妬深い存在じゃ』
神はそんな下世話なものなのか、とアンヴァルは訝しむ。
『そう。だから神に創られた生きものは、嫉妬という感情を切り離せない。争いの元になるのは避けられぬのにな』
やはり彼には口出しのできない、難しい話であった。
夜の闇がいっそう深さを増した頃。
「!?」
まだ真っ暗だというのにアンヴァルは目を覚ました。夢かうつつか、自身に覆い被さる不穏な陰を感じた。
(いいや、まだそこにある……!)
その影はどんどん膨らんでいく。その有り様が、確かに見えている。
すぐ隣に置いてある短剣を手にし、それに向かって振りかぶった。
すると、その黒いものは消え去った。
「なんだったんだ今のは……」
ただ思い至る。もしかしたらマリルが見たのも同じものかもしれない、と。
それからだった。毎晩、いびつな陰がアンヴァルに襲い掛かった。
彼はかつてないほどに惑う。
戦おうにも実体がない。逃げるしかなく、必死で走り、体力が尽き、とうとう捕まる、声を上げる。
それがすなわち、睡眠の途切れ。
「はぁ────、はぁ、はぁ……」
飛び起きて、息を整える。
このように、どうしても真夜中に目覚めてしまうのだった。
代わりに昼間眠っているようになった。それではいけないと、もう国に帰ろうと思った。しかし手ぶらで帰るわけにはいかず。
同盟を結ぶ旨の書状を、王より受け取らねばならないが、王からそういった言はまだない。王はこの頃、内政業務に追い立てられていて、その時間以外は寝て過ごしているという。
アンヴァルの部下の兵らは、海という目にしたことのない大自然に、また、海の幸に酔いしれる日々を過ごしている。そこは束の間の休息の場。
アンヴァルは、自分だけ悪夢をみているのかと、苦悶していた。
ご訪問ありがとうございます。
「人魚の肉を食べると不老不死になる」というのは本当の伝承です。(“本当”とはいったい…??)
聞いたことないよ~という方はぜひ、昔話『八百比丘尼』をチェックくださいませ (´。•◡•。)ノテストニハデナイ
今回の章ゲストヒロイン、人魚本人!で男を八百比丘尼にしてしまう~。というハイブリットな設定です。