④ そこに〇〇があったから。などと供述しており…!?
溺れかけてぐたりとした王を、岸辺で兵らに渡してから、マリルは賓客であるアンヴァルに頭を下げた。
「お騒がせしてしまい、まことに申し訳ありません。こんなこと、滅多に起こらないのですが……」
稀にでも起これば大惨事だ、とアンヴァルは呆れてしまう。
気にはなるが、彼女が何者かは聞かずにおいた。きっとアリアンロッドも、根掘り葉掘り聞かれたら嫌だろうと想像したからだ。しかしこういった能力があるから、彼女が側近として周囲に認められているのだろうと思い至る。
その夜はアンヴァルも疲労で熟睡だった。
目覚めた頃には太陽も真南に上がっていて、食事をもらおうと出ていくと、ある部屋のドアの前で、マリルが室内を覗いている。
近寄ったら、彼女が涙を流しているのに気が付いた。
(なんだろう?)
アンヴァルも彼女の頭の上からその中を覗き見る。
「!?」
彼は驚いて後退りする。
「お前、ナニ見てるんだよっ」
彼女はそこでアンヴァルに気付き、小さく声をかけた彼の方を一度は見たが、何も答えずまた覗き始めた。
アンヴァルはその彼女の様子に、自分は何か幻のようなものを見たのかと、もう一度同じように覗いてみた。
「っ!! ……」
再び声にならない声を上げ、彼はドアから離れた。
その中では間違いなく、王と妃が一糸まとわぬ姿で睦み合っているのだった。
そして再び彼女を見つめると、やはり彼女は涙を流しているのである。
「何やってるんだ、本当に……」
そこにローズが通りかかった。ふたりがどうも何かやらかしていると見て、彼女は足早に駆け寄ってくる。
「何をなさっているのです?」
アンヴァルはそれに何も答えないし、マリルはまだ覗いている。ローズは不審に思い、自分もマリルの頭上で、顎を突き出して覗いてみた。
「まぁ……」
驚きながらも継続して覗き見る彼女に、アンヴァルは呆れてその首根っこを引っ張った。
「彼らはどうしてこちらで? 王の寝室はこんなところではないでしょう?」
「気分を変えるためかと。日中はいろいろな処でなされています。こちらのように人目に付く可能性のある場もお好みのようです」
マリルはこぼれ落ちる涙を拭おうともせず、淡々と答える。
「へぇ…そうですの……」
ローズですらどうにも脱力している。
「で、あなたはどうして泣いているのかしら?」
「……羨ましい、から?」
「から? と聞かれましても。アンヴァル様、あちらへ行きましょう?」
「ああ。だが、なにか食べ物を……」
そこでやっとアンヴァルに気付いたかのようなマリルは、涙をためた目をこすり、
「今、用意させますね。お部屋でお待ちください」
そう告げて走って行った。
「変わった方ですわね……。それより、早くここから立ち去りましょう!」
「……そうだな」
アンヴァルは、“俺は別に何も見ていない”と自己暗示を掛けながら、そこを後にした。
◇◆◇
またまたこちらは王宮――。
「ディオ様、事件って何が起こったの?」
アリアンロッドは神妙な顔つきになってしまった。そんな彼女の様子をディオニソスは一度くすっと笑って、しかしまた彼も神妙な顔をした。
「これは、国民に知られるわけにはいかない、王宮の中だけに留めたいスキャンダルだ。覚悟はいいね?」
「は、はいっ」
アリアンロッドは息を呑んだ。
(若き日のお母様、何をやらかしたのかしら……)
「あの方は才気に溢れ、明朗快活で悠然とした、魅力的な女性であったな」
「まったくよね! ……ん? で、彼女が、訪問先で何を?」
やはりディオニソスもあまり口にしたくない内容のようだ。
「どうやら当時の、海沿いの国の第一王子がすっかり彼女に夢中になってしまってね」
アリアンロッドは、ああ~~そういう話か~~と、また、苦虫を嚙み潰した顔になった。
「でもこの国の聖女は、たとえ男性に慕われても、応えることもできないのだし……」
その言葉尻で、ディオニソスをちらっと睨んだ。
「もちろんあの方が受け入れることはなかったが、その王子は構わなかったようだ。よって友人としての交流を続けたんだな」
アリアンロッドは聖女として、友人でも構わないので親交を深めたいという気持ちを慮り、同情心で口をつぐんだ。
「そして何度目かの訪問時、彼女が国に帰るという時分に、事件が起こったという」
そこでヒヤッと顔を強張らせたアリアンロッドを、ディオニソスは流し目で窺いながら話す。
「彼女を見送りに出る王子の背後に、忍び寄るはその妃……」
「ちょっと待って! 王子、お妃がいるのにお母様に恋しちゃってたの!?」
「まぁ率直に言えば、王子妃が嫉妬に駆られ、王子を撲殺してしまったんだ」
普通によくあることなのでアリアンロッドの叫びは放っておかれた。
「ぼ、撲殺!?」
「実際は、聖女を殴ろうとして、それを庇った王子が……という現場の報告だったかな」
アリアンロッドの顔色は真っ青に。彼女には刺激の強い話だった。
「しかも、その撲殺事件の凶器は……。何であったか分かるか?」
「え? え??」
「それが、こちらが献上した銀縁の鏡で……、なのだ」
「な、なんてこと……」
「そこに凶器があったから、といった話だが、とにかくそのような事件が起きたせいで、断交状態に、というわけさ」
アリアンロッドは身も蓋もない思いを噛みしめた。
「しかし東からの脅威が迫ってくる昨今、このままでいるわけにもいかない。実は発破をかける意味もあり、今回の献上品も同じ匠による鏡にした」
「それは大丈夫なの……?」
「そもそも、こちらにこれといった落ち度はないしな」
確かにそうだ、とアリアンロッドも思った。
「先代大聖女も、事件の後はしばらく塞ぎこまれていたようだよ。しかし、海が美しく綺麗な国だと時折話されていた。人々は穏やかで優しかったとも」
「お母様……。天国に旅立つ前に、その海岸に寄り道をして、波と遊んでいるのかもしれない……」
物騒な話の最後には、少女時代の先代大聖女が波や海鳥と戯れ、浜辺を駆けまわっている空想をめぐらせて、胸を温めたアリアンロッドであった。
◇◆◇
その夜、アンヴァルは寝床で珍しくうなされていた。
昼間あんなものを見てしまったせいか、夢の中で苦々しい思いに駆られている。が、ある瞬間、ふわっと身体が軽くなり──……
(ああ、やっと憑き物が飛んでいったか……。ん?)
「アリア?」
ふっと、目の前に彼女が現れた。
(だから気が軽くなったのか……)
そう理解した時、透きとおる彼女がふわりと纏わりついてきたので、温かさと柔らかさを存分に感じられた。
その心地よさに目を細める。
彼がこうして、ほんのり幸せな気分に浸っていたら──、
夢まぼろしのアリアンロッドはこう質してきたのだった。
『私と、《《ああいうこと》》したいの?』
「!??」
アンヴァルは堪えもきかず、後ろに転がった。
「いてっ……」
尻もちをついたので「痛い」と思った、だから声をあげてみた。が、実際痛いのかどうかよく分からない。
『あはははは!』
「!? …………」
ぼぉっとしたアンヴァルの視界に、ひととき感じたアリアンロッドは消えていて、代わりに、立ちはだかる女性が高笑いの声を上げている。
「えっ……?」
アンヴァルは目を見張った。目前の、どうも見覚えのある、光輝く美しい女性は────